夕方まで待機し僚友たちの通過を見守る。ほかコンテナの未搭載のコキも付近に停車。
雪月花 トキ鉄ではフラッグシップであり最上級の列車。多くの観光客を乗せて待機。青空を楽しみながら一献ということであろう。穏やかな日本海にも映える車体。赤一色といっても国鉄末期の気動車の首都圏色と異なりうらぶれたイメージとは無縁。
夕方まで待機し僚友たちの通過を見守る。ほかコンテナの未搭載のコキも付近に停車。
雪月花 トキ鉄ではフラッグシップであり最上級の列車。多くの観光客を乗せて待機。青空を楽しみながら一献ということであろう。穏やかな日本海にも映える車体。赤一色といっても国鉄末期の気動車の首都圏色と異なりうらぶれたイメージとは無縁。
ふだんは離合することはないが若干の遅れでこのような光景が展開する。4061レが後続の4075レの時刻で通過。4075レはさらに定刻の10分後の通過だった。4075レはEF510-17牽引。
2024年6月15日 急行1号 「ひめかわ」
本年の冬検査が行われ、全編成が車内モケットを青に戻していた。
ヘッドマークは昨年の運転から大型タイプになった。
「ひめかわ」 は新潟~青海間の列車のためこの色の電車での定期運転はなく。マークを付けたことはない。御愛嬌ということで。
餅屋さんが出展されていたので仏前にそなえる草餅とおこわを、その隣で野菜を購入した。今は亡い若旦那の遺影が置かれていた。コロナの真っ盛りに事故で亡くなられ4年が経過。
いまは夏野菜が多数出ていた。トマト、きゅうり、茄子を購入。これらを焼いたり漬物にしたりして食べる。この六斎市にはパン屋さんも出ているほか近くにカフェもある。暑くならないうちに買い物をするのも悪くはない。お昼頃から蒸すようになり梅雨入り宣言がされた。
浴衣の人々、撮影者、親子連れ・・・様々な人が電車の前に集う
左手の堤防の上の木造建築が月潟駅跡。ぼんぼりの向こうに祭りの山車が望める。19時過ぎであるがまだ明るい。普段は人通りのない町もこの日は賑わいを見せていた。無印良品の直江津店を見聞して無印の直江津食堂で食事も済ませ、直江津駅に戻って横須賀線色ET127‐8の編成を飽きもせず眺め13時01分のほくほく線越後湯沢行きに乗る。ほくほく線は今回のダイヤ改正で最高時速は95キロに減速となり、快速運転も消滅して並みのローカル私鉄となった。
直江津13時01分発の列車時間帯がいいのか座席は7割が埋まった。
犀潟で信越本線から別れてくびきへ。田植えが終わった水田をながめそこそこの速度で高架橋を走り抜ける。くびきからは丘陵地帯をくぐって六日町に向かう。十日町駅以外はすべて秘境駅レベルであるがそれなりに乗り降りはあった。土曜なのに高校生が多数乗っているのも意外だった。
十日町駅で大勢乗り込み120パーセントくらいの乗車率になった。列車は単行で週末の越後湯沢直通列車のため上越新幹線乗り継ぎの客が多くなるようだ。このあたりかつての特急「はくたか」の面影を感じた。
六日町でも立っている乗客があった。上越線内は停車駅も少なく往年の急行列車の雰囲気で越後湯沢に着いた。110キロ運転だと特急といえるが95キロだと急行レベルであろう。
座席も転換クロスではなくボックス席ということであれば。越後湯沢に到着すると乗客の多くは新幹線乗場へ消えていった。
筆者はここで185系臨時特急「谷川岳ループ」を迎え撃つことにする。
送電線を絡めて鉄道がインフラであることを強調する。
この日は四季島は全般検査で運休。ただ配給は走った。
タチアオイやアジサイが咲いて梅雨が近いことを教えているが、なかなか梅雨には入らない。日照時間の長い一年で一番いい季節を堪能したい。
田島ルーフィングの復刻塗装第二弾横須賀線色。ET127‐V1のなつかしの新潟色の方は窓枠は黒のままでクールな印象であったが、こちらは窓枠もラッピングされて、荷物標記、さらに扉と客室の一部に荷物車のイメージである鉄格子のアレンジが。パワーアップバージョンである。信越本線での横須賀線色は1977年頃まで直江津~長野方面の一部列車が長野鉄道管理局の70系が受け持っていて、クハ68も編成に入っていた。荷物車や合造車はさすがになかったと思う。これはどちらかというと飯田線や身延線のイメージとなろう。
ともあれまた素敵な編成が出てくれたことに感謝をしたい。
直江津駅の電留線で待機する田島ルーフィング第一弾と並ぶ。この組み合わせも新潟県内では長岡運転所の70系編成で転入車と在来車が編成に入っていた時当たり前にみられていた。
この日は柏崎でE653系「しらゆき」の上沼垂色、直江津で田島ルーフィングの2種類、ほくほく線の復刻イベントバージョン(かつてのHK100-8と9が最初に纏っていた色)、一番人気の大御所413系とクハ455の「観光急行」と一気呵成に見聞できた。ほか雪月花、shukuraも見ることができたので満足したところで本日の目的地無印良品直江津店へ向かった。
臨時特急として大宮に向かう。往路は土合駅の地底を楽しみ 、復路は湯檜曽駅近くのループ線を堪能することが目的の観光列車。この185系は1982年に製造、40年の車齢となってしまった。
ここ越後湯沢のホームに多くの人が集い古豪185系の雄姿を見守っていた。列車が大宮に向けて発車すると人通りは途絶え静けさを取り戻した。
185系は来月6~7日に越後平野を走ることが決まっている。これで見納めかもしれない。
「谷川岳もぐらループ」シリーズは秋も走るがE257系になる。
2024年6月8日
E653系 H202 55M下り「しらゆき」5号が昼下がりを走る。復刻上沼垂色。
E653系「しらゆき」の復刻塗装は1988年11月に登場した485系の上沼垂色であり、当時はグリーン車と指定席車は車内が改良され快適さを増した。
この塗装と最初に遭遇したのは新潟行き「雷鳥」23号の車窓からで見慣れぬ洗練された特急がすれ違っていった。上りの「北越」8号だった。陳腐な国鉄特急色から見た光景はまぶしいものだった。翌日の新聞ではグリーン車の車内が紹介され当時国内を走っていた「オリエント急行」に匹敵するレベルという記述がされていた。
1988年はJR東日本新潟支社でも各種塗装変更が始まり、国鉄という悪しき時代を葬り去るのに必死だったころ。
新潟支社の初期の変更車はどこかくどくあか抜けない印象だった。この数か月前登場したお座敷12系客車からようやく洗練されたものとなり、上沼垂色485系の塗装も傑作の誉れが高いものとなった。
この上沼垂色は2014年にいったん消滅したが、羽越本線全線開通100周年を記念して復活したものである。7月31日にはこの日限定で特急マークが設置される。(いなほに限る)
2024年6月8日 EH200-19+DD200-18 配8788レ
けだるい昼下がり。配給列車が静かに走り去っていった。水田の緑が濃さを増して、夏になったことを実感する。
この列車の少し前に下りのトランスイート四季島が運転されていたが全般検査のため運転されない。
北越コーポレーションの紙輸送。週末以外の運転。1987年のJR発足のころは750レというワキ5000型の混載輸送だったが1988年に専用貨物列車5788レとなった。1995年頃からワム80000型に代わって、2010年まで続いた。コンテナ列車となったのは2010年秋から。
EH200が当地に現れたのは2009年のことでもう12年以上経過したことになる。
朝方の1月の余震とみられる地震のためダイヤは乱れ、3097ㇾの時刻ではあったが全くの別物。1本前の3093レか?早く地震がおさまり復興と平穏が当たり前になることを祈る。
以下近況
ミニマム化を進め、ここ数か月出歩くことを控え、目下不用品の処分と伸びすぎた樹木の選定に明け暮れる。鉄道関連のいらない資料も相当をゴミステーションへ・・・・まるで国鉄末期である。
鉄活動で最後までの付き合いが残るのはEF510であろうか?
体質が変化したのか人混みが苦手になってきた。
家の周りの樹木を剪定して枝と葉を分別して、リサイクルセンターに持ち込んだ帰り、丘陵地から。水田地帯を心地 いい風が吹き、田植えが終わった水田を列車が通過。
特急「しらゆき」2025年3月で登場してから10年が経過するが利用者は伸び悩みその存在意義が疑われる。日本海縦貫線があったのは遠い記憶。「しらゆき」の役割は県内の移動だけで北陸新幹線への乗り継ぎも多くはない。
この日新津製作所から落成車の配給がされるため機関車の送り込みがなされた。EF641000番台新潟車のいまの活動内容は配給と冬の架線霜取りだけとなって、あまり見かけることのない状況である。
EF641000番台はJR東日本ではほかに高崎にも配置があるがこちらもこの秋に運用がすべてなくなると言われている。
もっとも利用者の立場で言うと運賃の値上げを申請しそれがどれくらいのものになるのかが最大の関心事ではあるが・・・・・