1985年6月 米坂線越後金丸付近を走るキハ22、キハ40、キハ58の3連
当時の山形機関区の気動車で急行を除き山形が米坂線の運用を行っていた。
キハ22は北海道の印象が強いが東北地方でも配置があり山形のものが米坂線、奥羽本線、陸羽西線、鼠ヶ関までの羽越本線で見かけた。
2017年11月19日日曜日
EF64 1001 貨物1985年6月
貨物列車も大幅削減され主流はEF81牽引となった。そんななかで午後2往復EF64の運用があった。1987年2月には茶色に塗装変更されることになるEF641001もこのころはごく一般的な運用だった。長年茶色だったEF641001も最近この塗装に戻ったらしいが当地では首都圏方面の貨物はEH200、日本海縦貫はEF510となり国鉄型機関車が貨物の先頭に立つことはない。
EF641001の後ろに写っている緑のC20コンテナも今は無い。
新津運輸区で見かけたJR長野支社飯山線色キハ52 121
1999年4月 新津運輸区で見かけた飯山線色キハ52 121
秋田新幹線開業に伴いそれまで走っていたキハ110系300番代を長野に転出させて飯山線に配置そして余剰になったキハ52は新津へ。キハ58の置き換えに回った。
1997年4月時点で長野にはキハ52が10両(101、102、117、120、121、122、123、127、135、137)下線は実際に羽越本線、米坂線などで運用されたもので、下線無は運用されないで廃車になったものである。
キハ58系はキハ28とキハ58合わせて23両あってキハ52の転入によってキハ282371、キハ58677、キハ581022を除いて運用から離脱することとなった。
飯山線色もわずかな期間見ることができただけで新潟色に変更された。
キハ52のうち122、127、137は国鉄一般色に復元されて人気を博した。
2009年の3月ダイヤ改正でキハE120の導入でキハ58とキハ28は廃車解体、キハ52はフィリピンへ転出した。
秋田新幹線開業に伴いそれまで走っていたキハ110系300番代を長野に転出させて飯山線に配置そして余剰になったキハ52は新津へ。キハ58の置き換えに回った。
1997年4月時点で長野にはキハ52が10両(101、102、117、120、121、122、123、127、135、137)下線は実際に羽越本線、米坂線などで運用されたもので、下線無は運用されないで廃車になったものである。
キハ58系はキハ28とキハ58合わせて23両あってキハ52の転入によってキハ282371、キハ58677、キハ581022を除いて運用から離脱することとなった。
飯山線色もわずかな期間見ることができただけで新潟色に変更された。
キハ52のうち122、127、137は国鉄一般色に復元されて人気を博した。
2009年の3月ダイヤ改正でキハE120の導入でキハ58とキハ28は廃車解体、キハ52はフィリピンへ転出した。
2017年11月17日金曜日
すすきと鮭の帰ってきた川を渡る
2017年11月12日 加茂川を渡る115系N3編成 447M
加茂川はすすきに覆われ鉄橋の向こうにはさかのぼってきた鮭を捕らえる仕掛が用意されている。
背後の低山にも紅葉が・・・・・晩秋を行く「懐かしの70系新潟色 」115系N3編成。
加茂川はすすきに覆われ鉄橋の向こうにはさかのぼってきた鮭を捕らえる仕掛が用意されている。
背後の低山にも紅葉が・・・・・晩秋を行く「懐かしの70系新潟色 」115系N3編成。
2017年11月12日日曜日
115系N3編成 434M
2017年11月12日 115系N3編成 里にも紅葉が下りてきた。低山を背に1カット。
N3の「懐かしの70系新潟色」が登場したのが厳冬期本年1月21日であるからそろそろ季節が一周したことになる。 色が塗り替えられたから115系電車が70系電車に見えるということはないが70系が引退した時代を思い出すことができるのかもしれない。
115系の方も各種塗装のラインナップが増えて絢爛たる状況である。
消え去る前の最後の輝きと言える。
N3の「懐かしの70系新潟色」が登場したのが厳冬期本年1月21日であるからそろそろ季節が一周したことになる。 色が塗り替えられたから115系電車が70系電車に見えるということはないが70系が引退した時代を思い出すことができるのかもしれない。
115系の方も各種塗装のラインナップが増えて絢爛たる状況である。
消え去る前の最後の輝きと言える。
鹿島鉄道キハ600型~旧キハ42000系(07系)
1987年8月15日 鹿島鉄道線 後ろには霞ヶ浦が見える。
少しわかりにくい撮影方法となったがこの形式は国鉄キハ42000系(キハ07系)からの改造である。
キハ42000系(キハ07)は九州鉄道記念館に保存車があるが前面は丸みのある外観が特徴である。
この気動車キハ600型は関東鉄道時代に国鉄よりゆずりうけて改造したものである。
1972年に前面の平妻化と車内のロングシート化さらに機械式から液体式に変更など。
キハ42000系時代の面影は車体側面の3つ扉と窓割に残るのみとなっていた。
鹿島鉄道は2007年に廃止になるが1994年に冷房が取り付けられ、塗装は急行型気動車のような塗りわけとなって生涯を終えている。
キハ600型601は1936年川崎車輛 キハ42032(キハ0729)・・鹿島参宮鉄道キハ42503・・・
関東鉄道キハ42503・・・関東鉄道キハ601・・・鹿島鉄道キハ601
602は1937年鉄道省大宮工場 キハ42032(キハ0732)・・鹿島参宮鉄道キハ42504・・・
関東鉄道キハ42504・・・関東鉄道キハ602・・・鹿島鉄道キハ602
本形式については詳細な解説を行っている文献やサイトがあるのでそちらをご覧ください。
少しわかりにくい撮影方法となったがこの形式は国鉄キハ42000系(キハ07系)からの改造である。
キハ42000系(キハ07)は九州鉄道記念館に保存車があるが前面は丸みのある外観が特徴である。
この気動車キハ600型は関東鉄道時代に国鉄よりゆずりうけて改造したものである。
1972年に前面の平妻化と車内のロングシート化さらに機械式から液体式に変更など。
キハ42000系時代の面影は車体側面の3つ扉と窓割に残るのみとなっていた。
鹿島鉄道は2007年に廃止になるが1994年に冷房が取り付けられ、塗装は急行型気動車のような塗りわけとなって生涯を終えている。
キハ600型601は1936年川崎車輛 キハ42032(キハ0729)・・鹿島参宮鉄道キハ42503・・・
関東鉄道キハ42503・・・関東鉄道キハ601・・・鹿島鉄道キハ601
602は1937年鉄道省大宮工場 キハ42032(キハ0732)・・鹿島参宮鉄道キハ42504・・・
関東鉄道キハ42504・・・関東鉄道キハ602・・・鹿島鉄道キハ602
本形式については詳細な解説を行っている文献やサイトがあるのでそちらをご覧ください。
2017年11月11日土曜日
新潟交通の機械式気動車改造のクハ37
1981年6月 弥彦山を背に走る左がクハ37と右が日車標準型モハの編成。
クハ37の前身はキハ41080で1934年3月28日に新潟鉄工で落成して大館機関区に。
終戦間近の1944年7月22日新潟交通入りしている。
当面は気動車の姿で走っていたがのちに正面を2枚窓にして側面も改造されている。
この手の改造車は関東鉄道を思い出させるが新潟交通にも存在した。
1989年に廃車になっている。
クハ37の前身はキハ41080で1934年3月28日に新潟鉄工で落成して大館機関区に。
終戦間近の1944年7月22日新潟交通入りしている。
当面は気動車の姿で走っていたがのちに正面を2枚窓にして側面も改造されている。
この手の改造車は関東鉄道を思い出させるが新潟交通にも存在した。
1989年に廃車になっている。
2017年11月8日水曜日
屋根に雪を乗せて海沿いを走る~EF81牽引旧型客車
1982年11月 EF81牽引の旧型客車編成。ダイヤ改正まで急行「妙高」に使われた編成で14系に編成替えのためお役御免。11月13日と上野に着いた編成はいったん石打に留置されてその後所属地の直江津に向かった。1982年は雪が早かったようで11月には山間部にはかなりの雪が積もった。
2017年11月7日火曜日
115系N40~鮭が帰った川を渡る
2017年11月5日 434M 115系N40編成 だいぶくすんできた湘南色。こちらはN38編成と異なりJRマークは貼られていない。
115系N40編成先頭の447M 加茂川を渡る。加茂川には鮭が多数上ってきていた。
深まる秋を走る。
115系N40編成先頭の447M 加茂川を渡る。加茂川には鮭が多数上ってきていた。
深まる秋を走る。
2017年11月6日月曜日
115系 N38編成
2017年11月5日 東三条 弥彦線の115系6連 N38編成が湘南色に復元されて帰ってきた。
クモハ115‐1001 1977年に造られた115系1000番代のトップナンバー。
登場してからもう40年が経過した。
クモハ115‐1001車内は更新改造されているのでそれほど古いという感じはない。
銘板が4枚 長期にわたって活躍した車両特有といえる。
鮮やかな湘南色となって帰ってきた115系1000番代トップナンバー編成N38 しばらく楽しめよう!
クモハ115‐1001 1977年に造られた115系1000番代のトップナンバー。
登場してからもう40年が経過した。
クモハ115‐1001車内は更新改造されているのでそれほど古いという感じはない。
銘板が4枚 長期にわたって活躍した車両特有といえる。
鮮やかな湘南色となって帰ってきた115系1000番代トップナンバー編成N38 しばらく楽しめよう!
2017年11月5日日曜日
蒲原鉄道クハ10~旧国鉄気動車キハ41120
1999年7月 蒲原鉄道村松駅 クハ10とモハ71の2連 貸切乗車会のための臨時列車。
この写真撮影後10月3日蒲原鉄道は鉄道線の歴史を終えている。
目的はなかなか乗ることのできない旧国鉄機械式気動車キハ 41120改造のクハ10の乗車だった。
後ろのモハ71は村松町内の保育園が貸し切っていた。
国鉄大館機関区で廃車となったキハ41120は1950年(昭和25年)7月に蒲原鉄道にやってきた。
当初は原型のまま(エンジンなどは撤去)はしっていた。
参考のため 原型のキハ41307を 2013年1月2日 大宮の鉄道博物館にて
(なおミッションは機械式から液体式に変わってますので原型ではありません 旧筑波鉄道461号)
モハ71と編成を組むクハ10(2両目)
キハ41120は1930年(昭和5年)川崎車輛で造られて大舘に配置1949年(昭和24年)廃車
1950年(昭和25年)7月蒲原鉄道に。1958年(昭和33年)暖房取り付け。
1961年1月西武鉄道所沢工場で不燃化、片側運転台に改造し貫通扉設置、残った運転台の正面窓が4枚から3枚になった。 乗務員の扉が設置され車内のロングシート部分が拡大された。
1967年6月に窓枠がアルミサッシとなっている。
この姿で蒲原鉄道唯一のクハそしてクロスシート車両として走り続けた。
通常このクハ10は朝の通勤時間帯のみ運転だったようでそれが終わるといつも村松で お休みになっていた。日中は増結しなければならない状況が発生した(団体輸送など)に限られていて、冬以外は加茂線では見かけなかった。
加茂線では冬のスキー列車の増結で一度見ている。3両編成の中間に挟まれて唯一のクロスシートだったので「??!」という感情に襲われた。それまではすべてロングシートだと思っていたので。
さて乗車することがかなったクハ10であるが村松と五泉のわずかな距離を走るのみであり風景は単調で乗り心地は特に悪いということもなかった。(線路が40キログラムレール主流?)
座席が小さくてせまっ苦しいだけが問題なのであるがこれも時代物の車輛ゆえ往時をしのぶアイテムでありむしろ好ましく感じた。
さて、クハ10の相方だったモハ71は旧武蔵野鉄道の デハ1322で(のちの西武鉄道モハ221→モハ215→クハ1211/1927年(昭和2年)日本車両で造られている。1965年7月西武所沢工場で単行仕様に改造されて蒲原鉄道にやってきた。幌をセットしてクハ10と走ることが多かった。
乗車会の時も園児さんたちが幌の向こうからやってきて保母さんに引き戻される光景に遭遇した。
この2両は路線廃止後村松町内の方が村松駅のホーム屋根や架線柱などとともに引き取ったが、2012年ご逝去され保存の難しさから2013年6月解体撤去された。
この写真撮影後10月3日蒲原鉄道は鉄道線の歴史を終えている。
目的はなかなか乗ることのできない旧国鉄機械式気動車キハ 41120改造のクハ10の乗車だった。
後ろのモハ71は村松町内の保育園が貸し切っていた。
国鉄大館機関区で廃車となったキハ41120は1950年(昭和25年)7月に蒲原鉄道にやってきた。
当初は原型のまま(エンジンなどは撤去)はしっていた。
参考のため 原型のキハ41307を 2013年1月2日 大宮の鉄道博物館にて
(なおミッションは機械式から液体式に変わってますので原型ではありません 旧筑波鉄道461号)
モハ71と編成を組むクハ10(2両目)
キハ41120は1930年(昭和5年)川崎車輛で造られて大舘に配置1949年(昭和24年)廃車
1950年(昭和25年)7月蒲原鉄道に。1958年(昭和33年)暖房取り付け。
1961年1月西武鉄道所沢工場で不燃化、片側運転台に改造し貫通扉設置、残った運転台の正面窓が4枚から3枚になった。 乗務員の扉が設置され車内のロングシート部分が拡大された。
1967年6月に窓枠がアルミサッシとなっている。
この姿で蒲原鉄道唯一のクハそしてクロスシート車両として走り続けた。
通常このクハ10は朝の通勤時間帯のみ運転だったようでそれが終わるといつも村松で お休みになっていた。日中は増結しなければならない状況が発生した(団体輸送など)に限られていて、冬以外は加茂線では見かけなかった。
加茂線では冬のスキー列車の増結で一度見ている。3両編成の中間に挟まれて唯一のクロスシートだったので「??!」という感情に襲われた。それまではすべてロングシートだと思っていたので。
さて乗車することがかなったクハ10であるが村松と五泉のわずかな距離を走るのみであり風景は単調で乗り心地は特に悪いということもなかった。(線路が40キログラムレール主流?)
座席が小さくてせまっ苦しいだけが問題なのであるがこれも時代物の車輛ゆえ往時をしのぶアイテムでありむしろ好ましく感じた。
さて、クハ10の相方だったモハ71は旧武蔵野鉄道の デハ1322で(のちの西武鉄道モハ221→モハ215→クハ1211/1927年(昭和2年)日本車両で造られている。1965年7月西武所沢工場で単行仕様に改造されて蒲原鉄道にやってきた。幌をセットしてクハ10と走ることが多かった。
乗車会の時も園児さんたちが幌の向こうからやってきて保母さんに引き戻される光景に遭遇した。
この2両は路線廃止後村松町内の方が村松駅のホーム屋根や架線柱などとともに引き取ったが、2012年ご逝去され保存の難しさから2013年6月解体撤去された。
2017年11月4日土曜日
機械式気動車 南部縦貫鉄道キハ101、キハ102
1984年5月5日 南部縦貫鉄道七戸駅 キハ102型レールバス
唯一乗車経験がある営業用の機械式気動車 バスの車体が線路を走るといったイメージ。
東北本線野辺地から終点七戸まで乗車。混雑する東北本線の客車列車を降りて南部縦貫鉄道の乗り場に。ようやく春が訪れたばかりの青森県。緑は少なく荒涼とした荒れ地や森林を見ながら七戸まで乗車。レールバスは二軸車輛のため線路の振動をそのまま拾ってくるため乗り心地は悪かったがこれがレールバスの乗り心地ということで納得していた。ドツンドツンした走行状態を楽しみながら北国の風景を眺めていた。水田は少なく畑または荒れ地・・・・北海道の風景に類似していた。小さな車体から見る荒野は旅愁をそそっていた。さて肝心な機械式気動車の運転操作はあまり見ないで風景ばかり楽しんでいたようだったので記憶がありませんが気動車の運転席にはちゃんとシフトレバーとクラッチペダルがありました。
1980年代ともなると機械式気動車はもう南部縦貫鉄道のレールバスだけだったのかもしれない。
筑波鉄道にはキハ410000型そのままに走っている物もあったがすでに液体式になっていたし・・・
唯一乗車経験がある営業用の機械式気動車 バスの車体が線路を走るといったイメージ。
東北本線野辺地から終点七戸まで乗車。混雑する東北本線の客車列車を降りて南部縦貫鉄道の乗り場に。ようやく春が訪れたばかりの青森県。緑は少なく荒涼とした荒れ地や森林を見ながら七戸まで乗車。レールバスは二軸車輛のため線路の振動をそのまま拾ってくるため乗り心地は悪かったがこれがレールバスの乗り心地ということで納得していた。ドツンドツンした走行状態を楽しみながら北国の風景を眺めていた。水田は少なく畑または荒れ地・・・・北海道の風景に類似していた。小さな車体から見る荒野は旅愁をそそっていた。さて肝心な機械式気動車の運転操作はあまり見ないで風景ばかり楽しんでいたようだったので記憶がありませんが気動車の運転席にはちゃんとシフトレバーとクラッチペダルがありました。
1980年代ともなると機械式気動車はもう南部縦貫鉄道のレールバスだけだったのかもしれない。
筑波鉄道にはキハ410000型そのままに走っている物もあったがすでに液体式になっていたし・・・
2017年11月3日金曜日
2017年11月2日木曜日
2017年11月1日水曜日
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