18時43分。陽が落ちた水田地帯を走る。風に吹かれながら列車を見送る。
大きな栗の木の木陰から。色づき始めた水田と弥彦山を入れて。この時間農家の各位は害虫予防のため農薬散布される。梅雨明けのあと雨が全く降らないので水の管理も大変である。稲作に限らずすべての農業は大変な手間を要するしごとである。
この時間ちょうど時代劇「雲霧仁左衛門」が放送されたのでこの番組を楽しみながら列車の通過を待っていた。
蓮の花が開いていた。まもなく旧盆が来る。農事暦ではそのあと早稲米の収穫である。農家は大忙しで害虫駆除に励んでいた。
日中は35度近い高温となり外にいるのが危険な状態になるため農作業も早朝の勝負となる。
この日上越線でEF15重連運転を高崎第二機関区で各種機関車展示の一般公開が行われていた。
体調はあまりよくなかったが、EF5861も国鉄に承継されないで廃車のうわさが多数あり、機会を見ては狙っていた。
新潟県内では蒲原鉄道の村松~加茂間廃止、弥彦線東三条~越後長沢間廃止で盛り上がっていたがそれらに背を向けて高崎に出向いたのもよき思い出となっている。
結局EF5861は廃車どころかJR東日本に承継後されて大活躍をし平成の「1号編成お召し列車」を2回、各種ジョイフルトレインを牽引し愛好家各位を喜ばせたのは周知のとおり。
新潟県内にも何回かやってきたが、首都圏ほど人の出もなく静かな環境で記録できた。2004年5月4日「新潟駅開業百周年記念列車」牽引の大役を果たし、単機で上越線経由で田端へ帰区するところを見たのを最後に関りをなくしてしまった。首都圏ではその後もイベントに入っていたようだったが・・・・昨年終の棲家大宮の鉄道博物館に車籍を残したまま収蔵されたが2023年5月31日除籍。EF58という形式は線路上から消えた。今後は機会を見て保存機などの巡礼に励みたいと考えている。
積乱雲がそびえる山塊を背にして走る。水田の緑は濃くすでに稲の花も咲きあとひと月後収穫開始。そんな光景を見ながら退勤客を乗せた列車が目的地に急ぐ・・・・夏の夕暮れ間近
新津を出た上りトランスイート四季島は夜の信越線へ。日暮れ間近側面に斜光を受け車体が金色に染まる。ミュージックホーンを鳴らし、静かに走り去っていく。
この界隈では見ることができる長大編成の 旅客列車。
最高気温が35℃を越えた灼熱の午後、富山貨物から新潟貨物ターミナルに向かう3097レにEH500が牽引しているという話を聞きつけて・・・BCP関連の運用であろう。昨日3096レで 新潟貨物ターミナルから富山貨物へ向かったEH500-31牽引3097レが新潟への帰路に就く。
通常は月曜日の編成は短いがこの日は黒井貨物駅で10両以上のからのコンテナ車をつないで通過していった。
乗務員交替は直江津で行われるため長岡は通貨となり旅客列車が通過線を走り抜ける姿を見ることができる。かつて深夜寝台特急「日本海」がこの通過線を走っていた。
Et127系 かつて走っていた新潟色旧型国電を再現したもの。スポンサーは田島ルーフィング。2年間の契約でそろそろ期間満了だがまだ走るのであろうか?この地域を訪れるささやかな楽しみ。
東日本大震災から1か月後首都圏から被災地への石油輸送が開始された。石油は上越線、信越本線、磐越西線で行われ、当時最新鋭のEH200牽引タキ1000型の貨物編成を見かけることになった。運転期間は1か月はなかったが復興の歩みが始まったことを喜んだ記憶がある。
先週から今週上越線、信越本線、、えちごトキめき鉄道はねうまラインでEH200-23牽引の石油輸送の試運転が行われていた。EH500の日本海縦貫線での試運転と同様に迂回輸送のための試運転である。
トキ鉄のコンセプトが413系国鉄色に乗ってD51827を見ることだという。
この日413系は仕留めた。最後の締めにD51827を眺めて切符売り場に向かう。
軽便、貨物並び、急行列車、最後にD51827 夢の時間が終わった。
かつて多くの特急が駆け抜けた名立駅通過線を走る列車も少なくなった。名立は谷あいの小さな無人駅。列車の来ない時間は川のせせらぎが聞こえるだけ。静寂を破るように列車は一気に通過していった。