2021年9月29日水曜日

E4系の終幕


 2017年7月19日 新津鉄道資料館 E4系と115系

当時はまだ多数の運用が残る時点での保存車の発生。E4系は10月1日定期運用が終わる。保存車が意味を持つことになる。新津鉄道資料館の保存車は2階がグリーン車で1階がリクライニング座席の普通車であり、悪名の高かった自由席6列座席はここでは見ることができない。

2階建て新幹線ということで大いに盛り上がった1990年代2階建てで首都圏へ遊びに出かけることが流行だったころが今は懐かしい。

2021年9月27日月曜日

EH200-11 赤い羽根共同募金ラッピング列車

2021年9月27日 EH200-11 6082レ 新潟貨物ターミナル~隅田川間の運転。

車体に赤い羽根共同募金のラッピングがされていた。当地では機関車でラッピングを見るのはめったになく2001年の阪神淡路大震災の復興記念のものぐらいしか記憶にない。

*6082レは北越紀州製紙の紙輸送列車であり土曜と休日は運休。


 

2021年9月26日日曜日

秋桜映える秋

2021年9月25日 3098レ EF510-20 国内最長距離を走る列車であるが運転開始からすでに30年以上が経過した。札幌と福岡を結ぶこの列車は秋の今、農産品が満載だと思われる。

 

この日の朝9時コロナワクチンの2回目を接種。燕三条駅近くの集団接種会場で9時過ぎに接種したのでコスモスの画像は7時間経過後である。接種した左腕が少し痛いという程度。また倦怠感が若干現れた程度であった。終了後は家事を行い買い出しに出たついでの1カット。初日はあまり目立った症状もなく一時37を超えた程度だった。夜間はトイレの回数が多めになった。

翌日はさすがにだるくなり、悪寒や接種した腕も傷みが増大した。横になると一旦体が軽くなった。熱は37℃台。朝食を済ませて家事を行いまた買い物に。この時点で26時間経過。

帰宅するとだるさがひどくなり体温は38℃に迫ってきた。但し食欲があるので食べて横になった。 少し厚着をして解熱剤を服用したら体調も回復したのでそのまま安静にして過ごした。腕の痛みもなくなり熱も36.8℃を最高に36℃台となった。

一般的に言われている通り2回目の方がきつめであった。ワクチンを接種しても感染をまぬかれるわけではないので注意。

2021年9月25日土曜日

大糸線キハ120 22


 2021年8月9日 ひすいライン糸魚川 直江津行き普通列車を待つ人々と大糸線乗場のキハ120

JR西日本 富山鉄道部のキハ120 22 この日は色違い2連


 左手に到着した雪月花と大糸線キハ120

夏休み期間のためか幾分人の出も多かった。

2021年9月22日水曜日

183系特急「北斗」函館

2000年8月17日 函館 キハ183系 この編成は国鉄末期1986年に製造されたものである。もう35年も経過してしまった。現在北海道へ行くことはないのでこれらの形式の消息は知らない。

2021年9月21日火曜日

稲刈りが終わった田んぼにて

 

2021年9月20日 弥彦線 222M 115系N33編成 午前中は快晴


 115系N40編成とN35編成 227M 貴重な6連


 EF510-510 4060レ  稲刈りはコシヒカリが中心で週末も台風の影響もなく稲刈りが進んでいく。

EF510-23 3093レ 遠く福岡からの列車 黄金の水田を愛でながら終点へ急ぐ。

 

この日の締めは115系N40編成快速3374M これは動画で撮影

 

コロナがまだまだ猛威を振るい遠隔地には出ることができない。また親族の介護も発生したので遠征は高嶺の花であろう。 まあできる範囲でできることだけをすればいい話だ。

2021年9月19日日曜日

秋桜と彼岸花

EF510-511 3097レ  近所の撮影場所のコスモスが見ごろになった。列車は太陽を背にして走る格好となるがコスモスは逆光に負けず色合いも良かった。

EF510-506 3098レ 北海道と九州を結ぶ国内最長距離の貨物列車。登場したのは1988年の秋でありもう30年以上の歴史を重ねてしまった。右手の家族連れさんに汽笛を鳴らし列車は通過していった。子供たちは成長したとき記憶していてくれるだろうか・・・・

鉄道の分野では地域だけ、年配者だけということが通用しなくなってきているという。鉄道に乗った記憶が無ければバスか格安航空機で移動をするということだ。この子供たちが成長する頃は交通体系はどうなっているだろうか?自動車の方もガソリン以外の燃料が使われ安全対策がかなり進歩しているかもしれない。おそらく今と同じマイカーの時代であろう。

未来の予測はともかく秋を味わうには最適な日和だった。コスモスも彼岸花も見ごろ・・・

 


本日の午前中は新型コロナの特別警報で閉館していた新津鉄道資料館が警報解除で開館したので「瀬古龍雄鉄道写真展Ⅱ」を見学してきた。今回は蒸気機関車の写真のみで構成され1950年代から1970年代の写真が中心だった。ここでは詳しい内容は記載しないので関心のある方は現地にお越しいただきたい。

他、隣の鉄道友の会の部屋では北陸新幹線の写真が多数展示。ビデオは今はない寝台特急「日本海」「カシオペア」「北斗星」を中心に貨物列車牽引のEF65やEF210の活躍が放映されていた。「あけぼの」「北陸」の運転がされていたころのビデオであり2011年頃の作品かもしれない。

小中学生は無料だったのか家族連れの方が多数来館されていた。それに交じってその筋の方々も(男女各位)

HOの模型は475系立山の編成がお目見え。えちごトキめき鉄道の413系とクハ455型にちなんだ展示か?新潟色70系と懐かしの70系新潟色115系の並びもあった。関心のおありの方はご来館を。


2021年9月5日日曜日

過ぎ去った時代への記憶

1978年6月 東三条駅 クハ68211他 445M 構内に側線がたくさんあったころ。

115系1000番代がまもなく投入される直前の頃。戦前に造られた32系のサハ48改造のクハ47を3扉に改造してクハ68に編入したもので、1978年には新潟管内で見るクハ68は210と211の2両のみだった。1976年の115系0番代投入までは多種多彩なクハ68が存在していたが全く関心がなかったので記憶がない。

32系改造のクハ68は最古参だけあって座席に手すりが無かったり窓の立て付けが悪く冬場雪が入ってきたり暖房も効きがよくなかったりで極力乗らなかった。今の413系のような感じの荒れた車両だった。気動車の10系に通じるものがあるかもしれない。このクハ68210と211が残れた経緯はトイレがあったことだという。

2021年8月28日 えちごトキめき鉄道はねうまライン ET127系V1編成

田島ルーフィングのラッピング電車 金太郎塗りの電車をモチーフにされたということでクハ68型風味の外観に仕上がっている。当時のクハ68の一体どれかはわからないが。粋な計らいに感謝。 


クハ68210車歴

サハ48014 1930年(昭和5年)11月3日汽車支店→1959年(昭和34年)8月18日大井工場クハ47072に改造→→1963年(昭和38年)10月21日大船工場でクハ68210に改造。1964年(昭和39年)12月22日新潟局長岡第二機関区転入→→1978年(昭和53年)6月14日用途廃止

クハ68211車歴

サハ48012 1931年(昭和6年)1月24日日車→→1959年(昭和34年)8月25日大井工場でクハ47073 に改造→→1963年(昭和38年)9月26日大井工場でクハ68211に改造。1964年(昭和39年)2月19日新潟局長岡第二機関区転入→→1979年(昭和54年)1月24日用途廃止

参考までに1978年にこれら旧型電車を置き換えた115系1000番代は2018年3月ダイヤ改正ですべて引退し新津鉄道資料館のN15編成クモハ115‐1061を除いて解体済み。今残っている115系は2014年にJR東日本長野支社から転入してきた車両である。

 


 

2021年9月4日土曜日

信越本線春日新田駅跡

2021年8月28日 上越市春日新田 春日神社横

信越本線を背に春日新田駅が置かれた旨を記した掲示が。春日新田は北越鉄道の駅で官設の直江津線直江津駅と北越鉄道との連絡駅であった。北越鉄道がこの場所に駅を置いたのは直江津駅構内が狭く乗り入れが困難だったためという。直江津駅も現在の場所ではなく機関庫のあたり今のD51レールパーク付近にあった。

春日神社付近 直江津駅から関川を渡って右に回ると信越本線の踏切があり進行方向左手に春日新田の歴史を記した掲示版を見ることができる。


北越鉄道が直江津駅に乗り入れたのは明治32年9月。明治40年当時の鉄道地図 直江津駅の隣は春日新田で黒井の駅はまだなかった。明治35年7月1日に貨物駅として開業した黒井駅が北越鉄道の国有化後、旅客を扱うことで春日新田は廃止されたとされている。

参考資料 越後の停車場 朝日新聞新潟支局 1981年(昭和56年) 朝日新聞社

     写真集新潟の鉄道百年 1978年(昭和53年) 新潟日報事業社

初秋の湘南色


 2021年9月3日 115系N38編成 3481M 快速

実った水田を見ながら115系湘南色が走る。