この列車はかつて115系で残った時間帯の列車で吉田で1時間程度停車して柏崎に向かう列車だった。弥彦線とは接続も悪く待たされる列車だった。 利用は内野付近で空席が目立ちそのまま吉田へ向かう。
巻付近では雪山は遠くなりすぎてしまった。単調な冬枯れの風景を列車が行き来するだけである。午前中郷土資料を読みながら私鉄だった時代を思い起こしていた。
古い払い下げのタンクSLが二軸客車を牽引して走る時代。じつはそのころがスピリットに満ちた時代だった。大正時代沿線では大河津分水の工事が行われ、西山付近では油田が全盛期を迎えていた。弥彦へ線路が伸びると行楽客が集中して吉田は弥彦へ、巻は岩室温泉への連絡駅としてにぎわいを見せていた。
いまは油田もなくなり、並行道路が整備され、商業地も移転マイカー時代となり鉄道沿いの旧市街や町内の凋落が進んでしまった。それでも越後線は新潟と吉田の区間は電化後は列車本数の多い区間となっている。編成は短いものの信越本線と変わらない本数の列車が走っている。