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2025年7月23日水曜日

秋田新幹線「こまち」E6系

2025年7月12日 秋田駅 E6系

ミニ新幹線である秋田新幹線E6系「こまち」が一路東京へ向かう。秋田と首都圏をつなぐ最重要路線である。かつて485系特急「たざわ」が果たしていた役割は1997年3月22日ミニ新幹線としてスタートした。盛岡乗り換えが東京直通となって利便性が向上した。しかし、メインから外れた奥羽本線や羽越本線は特急減便となった。

 


 

2025年6月13日金曜日

長岡保守基地

2025年6月7日 上越新幹線長岡保守基地 
地味な色合いの保守車両
立ち入り禁止で防犯カメラ設置のため柵の外側から・・・

どういう用途の機材なのか?だいぶくたびれた印象の機材である。

通勤時に気になっていたので越後湯沢に行く道中眺めてみた・・・ 

2025年6月11日水曜日

梅雨入り前の午後

2025年6月7日 北越急行六日町 HK100 開業当初の塗装が復刻
六日町にて HK100


八海山とE7系 上越新幹線 浦佐付近 国道17号から
梅雨入り前のこの日乾いた空気に覆われ山岳地帯がきれいに望めた
小出駅で 只見線キハE120 
EH200-6 DD200 南長岡 配8788レ

EF81 134他 旧長岡車両センター


 大沢で撮影にいそしむ各位に謝辞を伝え、六日町へ。ここで復刻塗装のHK100を目撃。従業員ではなさそうな人が車庫にいるが、帰宅後調べたら雪月花の乗客のイベントだったようだ。雪月花も片道7000円と安い(食事はなくスイーツのみ)こういう機会があれば乗車できそうだが・・・

梅雨入り前の午後越後三山が残雪を頂き、きれいに望める。上越線列車と絡めてみたいが、夕方の貨物列車も狙いたいので折り合いを・・・

上越線では六日町~五日町間がきわめて迫力を感じる、また大沢で出会った各位は北越急行ほくほく線魚沼丘陵へ行くとも言っていたが・・・

六日町から浦佐の区間はアップダウンのある盆地・・・上越新幹線が五日町を通過すると現れる。浦佐駅近くに越後三山を絡められる場所がありそこで上り新幹線を。E7系の編成が残雪の山の前をゆったりと走り抜けてトンネルへ消えていった。 

小出で只見線キハを眺めて南長岡へ。ここでしばらくぶりに配8788レの牽引機EH200‐6が発車待ちする場面を眺める。他引退が近いEF81などを遠めに見て北長岡付近で水田地帯を走るEF510の3098レを下り3097レは遅れているのか来ないのでそのまま買い物をして帰宅した。 久しぶりに晴れの週末を楽しめた。梅雨入り前の乾いた空気に包まれた山岳地や盆地のたたずまいを堪能できた。

2025年2月28日金曜日

前途多難な整備新幹線


 2025年1月25日 E7系(W7系) 上野~大宮

 

前途多難な整備新幹線 とは本年6月号で休刊となる鉄道ジャーナルの4月号特集記事のタイトル。この雑誌の休刊についての云々はすでに多くの方々が記事にされているのでここでは論評しない。ただ60年近い歴史を持つ雑誌であり、休刊は残念に思う。

メイン記事は「北陸新幹線」でありそれらの概要が記されている。昨年ようやく東京から敦賀まで開業した北陸新幹線であるがそこから関西へのルートはまだ定まっていない。政治問題で揺れていてまだ開通までは相当な年月を要するようだ・・・・

さて購入するきっかけとなったのは”凋落のメインライン22「上越線」”である。きわめて陰鬱な表題とともに現在の上越線の様子が紹介されていた。

上越新幹線の開業後は地域間の輸送とわずかに残る貨物輸送だけが残る実質「地方交通線」状態となった上越線の今が紹介されている。

今年の冬は顕著な豪雪で日中の列車を止めて除雪を行っている。このようなことは上越新幹線開業前には考えられなかったが乗客数が減少し地域輸送のみとなった現在はこれでもよしとしなければならないかもしれない。

おもえば最初に購入した鉄道ジャーナルは1978年6月号で特集は「上越国境に架ける鉄路」でありこの沿線の様子が詳細に記されている。引退間近の旧型国電も取り上げられて撮影などをするきっかけのなった特集だった。あれから45年が経過してしまった・・・・

鉄道ジャーナルは列車追跡と地域の様子を紹介してくれる雑誌であり解説も平明であってとっつきやすい印象が強かった。一方で社会派の凄味もあったので休刊は残念であるが時代の流れとして割り切るほかはないのかもしれない・・・・

 

2025年1月28日火曜日

埼京線E233系

りんかい線 70‐000 新木場行き 

 2025年1月5日 埼京線 武蔵浦和駅 E233系


下り秋田新幹線 「こまち」

1985年に通勤新線として開業した「埼京線」今年で開業40年を迎える。大宮~赤羽間は東北新幹線に並行して走る。東北新幹線の上野駅開業から本年で40年である。

車両は当初103系、205系と使われいまはE233系が走る。

2024年11月21日木曜日

当たり前に見られたものが当たり前ではなくなる時


 2008年8月14日 新大阪 0系こだま博多行き 6連

このころ見られた0系はJR化以降の塗装変更車で、この編成は終焉末期で塗り戻されたもの。1970年代末期以降の製造で1964年の東海道新幹線開業時のものではない。

この日新大阪では塗装変更された6連の100系、300系、700系も見ている。

現在それらはすべて廃止され見ることは不可能である。日常当たり前に見ることができるものも見ることがかなわなくなることが必ずある。

 

関西以西というより市振以西は行かなくなってもう13年になろうとしている。北陸新幹線は首都圏と北陸だけを結ぶ「単機能」であり日本海縦貫線の機能はない。そもその敦賀から先をどうするか紛糾していつできるかもわからない。これが現実である。

 

2024年7月7日日曜日

新幹線確認車~上越新幹線


 2024年7月6日 AM5:15 雨で薄暗い日の朝。いつものように夜間の作業を終え始発列車前に新幹線の運転に支障がないかを確認するためのモーターカーが走り抜ける。

2023年9月2日土曜日

北陸新幹線 敦賀開業

2017年8月14日 北陸新幹線 E7系

2024年3月16日 金沢~敦賀間が開業。

この開業で関西~北陸は「サンダーバード」を敦賀で「つるぎ」に乗り継いで金沢なり富山に行くことになる。

「はくたか」「かがやき」は首都圏と北陸の 連絡列車の使命を持つ、よって「サンダーバード」には接続をしないという趣旨のダイヤとなる。

ここに列車のすみわけがされることとなり、かつて存在していた日本海縦貫線的機能は北陸新幹線には用いられない。近畿から新潟県に移動する場合サンダーバード、敦賀乗り換え、ここで長時間待たされるか「つるぎ」で金沢へここで乗り換え、上越妙高で乗り換えということになるのかもしれない・・・ 上越妙高は「かがやき」は停車しない。

新潟県と近畿の連絡は上越妙高乗り継ぎの北陸新幹線では到底用をなさないと考えられ、従来通り航空機主体で残りを高速道路と上越新幹線東京乗り継ぎが担うと思われる。

2022年11月22日火曜日

枯れ野とき326号


 2022年11月20日 上越新幹線 E2系J66編成 とき326号

午前中に東京まで1往復して、午後の1往復の始まり。この列車の前に時刻表に無いE7系の編成が通過していった。

冬枯れの水田を前景に新潟平野を貫く上越新幹線の高架。高速で駆け抜ける新幹線列車。

1982年11月15日行動様式を変更することを迫られた交通革命がおこった日。首都圏は遠くの町ではなく、越後路は首都圏の移動範囲に取り込まれていく。

ただし上越新幹線が主役となったわけではなく、隣を走る高速道路がメインルートとして主流になっている。多くの人々は多少時間がかかっても費用が少ないマイカー移動を選ぶことが多い。

2022年11月21日月曜日

疾風~200系塗装E2系J66編成


 2022年11月20日  燕三条駅を通過するとき311号

時速240キロで一気に東京~新潟間を駆け抜ける。上越新幹線では花形運用。

新潟に着いたら一息入れとき326号で折り返して2回目の東京運用。

2022年11月20日日曜日

とき304号 復刻200系色

2022年11月20日 上越新幹線 とき304号

E2系J66編成 200系色を纏う 落葉が進む越後平野を走る。

200系色は落ち着いた配色で越後平野の風景に溶け込んでいた。本年は上越新幹線開業40年の節目。
 

2022年8月18日木曜日

自動改札機の新幹線絵柄

2022年8月14日 長岡駅新幹線自動改札機

左から東北新幹線E5系、秋田新幹線E6系、北陸新幹線と上越新幹線E7系

2022新幹線イヤー 本年は上越新幹線開業40周年。
 

2021年9月29日水曜日

E4系の終幕


 2017年7月19日 新津鉄道資料館 E4系と115系

当時はまだ多数の運用が残る時点での保存車の発生。E4系は10月1日定期運用が終わる。保存車が意味を持つことになる。新津鉄道資料館の保存車は2階がグリーン車で1階がリクライニング座席の普通車であり、悪名の高かった自由席6列座席はここでは見ることができない。

2階建て新幹線ということで大いに盛り上がった1990年代2階建てで首都圏へ遊びに出かけることが流行だったころが今は懐かしい。

2021年5月22日土曜日

奥羽本線関根駅


 2021年5月8日 奥羽本線関根 山形新幹線「つばさ137号」

日本列島の背骨というべき奥羽山脈を越えてようやく平坦地に降りてきた。

ホームには家族連れが


 福島から続いてきた複線は関根から単線になる。「つばさ」は次の米沢は停車。山岳地帯から解放されるが一息つく間もなく走らなければならない。

 「つばさ144号」米沢盆地を後に板谷峠区間にむかう。改軌されても険しさは変わらない。

踏切りと新幹線車両 板谷峠区間を新しいトンネルで越える計画があるようだ。もし実現すると山岳地帯はフル規格新幹線と同様になり踏切りもなく米沢までは快適に高速走行でき気候の影響もうけなくなるかもしれない。

目の前には山塊が立ちはだかる。大カーブの庭坂と同様山越えを感じさせる場所ではある。




2021年5月20日木曜日

山形新幹線E3~菜の花と新緑の奥羽本線

2021年5月8日 奥羽本線 高畠~赤湯 やっと田起こしが終わった水田をみながらE3系山形新幹線「つばさ131号」がゆく。背後に菜の花畑があって黄色い帯状を形成していた。黄砂でかすんでいるが晴れていれば絶好の春景色だったかもしれない。

灌木と菜の花を入れて。この付近は単線区間で「新幹線」というより「地方幹線」といった風情となっている。列車は特急らしい速度で通過しけっしてのんびり走ってはいない。

あちこちで農作業をされる方々が・・・

すっかり深緑となった桜の木と「つばさ」号E3系。東京からの山形新幹線「つばさ」は16往復が山形まで走る。新庄までは8往復である。山形新幹線は1992年に開業し福島乗り換えがなくなり直通運転となったことで利便性が向上した。

米沢~山形間の列車本数は33往復(臨時運転の「とれいゆつばさ」は除く)


 




2020年7月20日月曜日

新潟第一運転所での200系

1993年9月 新潟市の上越新幹線第一運転所 200系編成
この日基地の公開が行われ展示されている200系編成のビュッフェでコーヒーを頂き、
そとに展示のE952及び953の車両を見学した。
ふだんはいることのできない新幹線の基地を見学できたことはよかった。

2020年5月20日水曜日

上越新幹線MAXとき306号

2020年5月16日 上越新幹線 ここ10年以上上越新幹線以外に乗車しなくなって久しい。
東京での公官署での書類申請に昨年の8月に乗っただけで今年は新幹線にのる所用は発生していないしコロナウィルスの影響で不要不急の外出特に県をまたぐ遠征は自粛すべきということで本年は乗車の機会はない。

さて新幹線撮影は和南津の峠の 魚野川をまたぐ付近に1か所あるので10年ぶりに訪ねてみた。棚田が点在するのどかな場所である。
ちょうど農家の方々が田植えをされていた。それ以外には通行される方もなく無人地帯にいる感じだった。

この和南津付近は上越線、上越新幹線、国道17号線、関越自動車の動脈が交わる地点である。上越新幹線と上越線は橋梁で、国道17号線は橋梁とトンネルで、関越自動車道も高所を通過してそれぞれ難所を通っていく。

和南津では新幹線を中心に眺めていた。東海道新幹線のようにひっきりなしに通過はしないが時折轟音を響かせて走る列車は高速鉄道であることを実感する。

MAXときのE4系は昨年の台風19号災害で10編成が被災したため上越新幹線に投入予定だったE7系を北陸新幹線に振り向けざるを得ず、E4系の当面の延命が決まった。
コロナウィルスの影響で自粛が求められる中輸送量が大幅減少となって厳しい状況が続いているいま、経費削減のためもしかしたらさらにE4系の延命が続くのかもしれないがもちろん不確実な予想に過ぎない。


2020年5月14日木曜日

5月28日から新幹線の大幅減便が始まる

2019年8月19日 E2系 長岡~新潟間の491号運転のための回送列車。
燕三条駅13番線でしばらく停車して長岡に向かった。

コロナウィルスの影響でJR各社の輸送量は大幅減少となった。緊急事態宣言による自粛要請で利用者が大幅に減少し鉄道事業そのものの収益性が悪化。
そのため5月28日より上越新幹線では4割削減。一日17往復程度の運転となる。
また「乗って楽しい列車」という「SLばんえつ物語」や「shu*kura」「海里」「現美新幹線」の運休も継続となる。
イベント列車や観光列車もコロナウイルスの感染を拡大する要因となるため、さらに生活と関連の薄い不要不急のものであるため真っ先に切られた。(撮影者が感染地域からやってきたり列車内の密の派生が考えられたりする)


これからも明るい話題があることは考えにくくこの状況が長期化すると運賃の値上げやローカル列車の一部の運転見直しやさらに最悪一部のローカル線の路線廃止などの議論も発生すると考えた方がいいのかもしれないがそうならないことを切に願う。

2019年11月30日土曜日

北陸新幹線の試練

2002年10月10日 北陸本線入善付近  いまはないE2系長野新幹線のイラスト。
北陸地方に新幹線がやってきたのは2015年3月22日。ようやく首都圏直結が実現したが北陸本線は並行在来線としてJRから切り離されてしまった。旅客の日本海縦貫線もこのとき完全消滅した。
2017年4月6日 上越妙高 E7系「はくたか」
2019年10月の台風19号災害では長野の車両基地が水没し新鋭E7系も10編成(W7系含む)が犠牲になった。
北陸新幹線はいまも本数を減らしての運転となっている。昨日JR東日本から 年末年始に東京へ旅行される方への案内がされ上越新幹線への乗り換えを推奨する旨が記載されていた。当面の間不便を強いられるがはやく元のダイヤに戻ることを願う。

厳しい試練が襲った北陸新幹線・・・・

2019年9月8日日曜日

クハ181-45 越後中里

1982年6月 181系「とき」2010M  スカート部分に丸い穴があって161系の設計であることがわかる。(ただしクハ181-44と45は161系の履歴を持たないで181系40番代として登場した.以後は181系100番代が増備される。
181系特急「とき」も日本海側と太平洋側・首都圏を短時間で結ぶ交通革命の象徴だった。それまで不可能だった日帰りが可能となったためである。
1962年の時点で新潟8時30分→上野13時10分 上野16時50分→新潟21時30分 4時間40分の乗車時間である。
3時間程度の滞在だったが都内での所用をすますことはできたかもしれない。14時から16時までの会議など・・・

1982年の時点ですでに特急「とき」は上野~新潟間を4時間10分程度で走っていた。(1978年10月ダイヤ改正以前は3時間55分で走っていたこともあった)
4時間だとやはり旅行のイメージになってしまい日常の延長ではないようだ。
「とき」に用いられた181系電車は老朽化するのが早く1958年製の151系改造車が1978年までにそれ以外も1982年の上越新幹線開業で役割を終えている。(一部は首都圏や九州で用いられたが)
冬の豪雪地での耐寒耐雪の問題で寿命を縮めたのであろう。
1975年には183系1000番代が登場し1978年ダイヤ改正までに主流となっている。



現在上越新幹線では東京~新潟間で大宮停車だけのものは2時間を切り、それ以外のものでも2時間10分程度のものが中心である。
首都への移動は利便性を増した。また新潟や長岡の発展にも寄与したと考えてよい。

まだ新幹線が工事中だったころ教員の方から今は4時間くらいかかる東京までの時間が半分になって午前中に東京で用務を行って午後に戻ってきて新潟で仕事をすることができる時代が来るという話を聞いた記憶がある。

先日東京に所用がありある役所にあることの申請をしに出た。行きとき302号~地下鉄で港区。帰りとき321号というコースで東京の滞在は3時間程度だった。ゆっくりしたかったがそれができない環境でとんぼ返りとなった。新潟市内には15時過ぎに戻っていた。
先に記した教員の方の話をそのまま実現したかたちになった。
所用だけを処理しよけいなことはせずに帰ってきた。
こうなると日常生活の延長(単距離の電車利用とおなじ)となってしまい旅の要素はないがそれでも2時間だと都会~山岳地帯(トンネルばっかり)~平野の風景の変化を見ることになり日常的な通勤電車と異なっていることは間違いはない。
この方法は新幹線の威力を最大限活用したことである。
もし、在来線利用や車利用の場合経費は安くなるものの万一の事故のリスクが大きくなるため確実に所用を処理するため新幹線利用とした保険の意味もあった。