ミニ新幹線である秋田新幹線E6系「こまち」が一路東京へ向かう。秋田と首都圏をつなぐ最重要路線である。かつて485系特急「たざわ」が果たしていた役割は1997年3月22日ミニ新幹線としてスタートした。盛岡乗り換えが東京直通となって利便性が向上した。しかし、メインから外れた奥羽本線や羽越本線は特急減便となった。
ミニ新幹線である秋田新幹線E6系「こまち」が一路東京へ向かう。秋田と首都圏をつなぐ最重要路線である。かつて485系特急「たざわ」が果たしていた役割は1997年3月22日ミニ新幹線としてスタートした。盛岡乗り換えが東京直通となって利便性が向上した。しかし、メインから外れた奥羽本線や羽越本線は特急減便となった。
どういう用途の機材なのか?だいぶくたびれた印象の機材である。
通勤時に気になっていたので越後湯沢に行く道中眺めてみた・・・
EF81 134他 旧長岡車両センター
大沢で撮影にいそしむ各位に謝辞を伝え、六日町へ。ここで復刻塗装のHK100を目撃。従業員ではなさそうな人が車庫にいるが、帰宅後調べたら雪月花の乗客のイベントだったようだ。雪月花も片道7000円と安い(食事はなくスイーツのみ)こういう機会があれば乗車できそうだが・・・
梅雨入り前の午後越後三山が残雪を頂き、きれいに望める。上越線列車と絡めてみたいが、夕方の貨物列車も狙いたいので折り合いを・・・
上越線では六日町~五日町間がきわめて迫力を感じる、また大沢で出会った各位は北越急行ほくほく線魚沼丘陵へ行くとも言っていたが・・・
六日町から浦佐の区間はアップダウンのある盆地・・・上越新幹線が五日町を通過すると現れる。浦佐駅近くに越後三山を絡められる場所がありそこで上り新幹線を。E7系の編成が残雪の山の前をゆったりと走り抜けてトンネルへ消えていった。
小出で只見線キハを眺めて南長岡へ。ここでしばらくぶりに配8788レの牽引機EH200‐6が発車待ちする場面を眺める。他引退が近いEF81などを遠めに見て北長岡付近で水田地帯を走るEF510の3098レを下り3097レは遅れているのか来ないのでそのまま買い物をして帰宅した。 久しぶりに晴れの週末を楽しめた。梅雨入り前の乾いた空気に包まれた山岳地や盆地のたたずまいを堪能できた。
前途多難な整備新幹線 とは本年6月号で休刊となる鉄道ジャーナルの4月号特集記事のタイトル。この雑誌の休刊についての云々はすでに多くの方々が記事にされているのでここでは論評しない。ただ60年近い歴史を持つ雑誌であり、休刊は残念に思う。
メイン記事は「北陸新幹線」でありそれらの概要が記されている。昨年ようやく東京から敦賀まで開業した北陸新幹線であるがそこから関西へのルートはまだ定まっていない。政治問題で揺れていてまだ開通までは相当な年月を要するようだ・・・・
さて購入するきっかけとなったのは”凋落のメインライン22「上越線」”である。きわめて陰鬱な表題とともに現在の上越線の様子が紹介されていた。
上越新幹線の開業後は地域間の輸送とわずかに残る貨物輸送だけが残る実質「地方交通線」状態となった上越線の今が紹介されている。
今年の冬は顕著な豪雪で日中の列車を止めて除雪を行っている。このようなことは上越新幹線開業前には考えられなかったが乗客数が減少し地域輸送のみとなった現在はこれでもよしとしなければならないかもしれない。
おもえば最初に購入した鉄道ジャーナルは1978年6月号で特集は「上越国境に架ける鉄路」でありこの沿線の様子が詳細に記されている。引退間近の旧型国電も取り上げられて撮影などをするきっかけのなった特集だった。あれから45年が経過してしまった・・・・
鉄道ジャーナルは列車追跡と地域の様子を紹介してくれる雑誌であり解説も平明であってとっつきやすい印象が強かった。一方で社会派の凄味もあったので休刊は残念であるが時代の流れとして割り切るほかはないのかもしれない・・・・
下り秋田新幹線 「こまち」
1985年に通勤新線として開業した「埼京線」今年で開業40年を迎える。大宮~赤羽間は東北新幹線に並行して走る。東北新幹線の上野駅開業から本年で40年である。
車両は当初103系、205系と使われいまはE233系が走る。
このころ見られた0系はJR化以降の塗装変更車で、この編成は終焉末期で塗り戻されたもの。1970年代末期以降の製造で1964年の東海道新幹線開業時のものではない。
この日新大阪では塗装変更された6連の100系、300系、700系も見ている。
現在それらはすべて廃止され見ることは不可能である。日常当たり前に見ることができるものも見ることがかなわなくなることが必ずある。
関西以西というより市振以西は行かなくなってもう13年になろうとしている。北陸新幹線は首都圏と北陸だけを結ぶ「単機能」であり日本海縦貫線の機能はない。そもその敦賀から先をどうするか紛糾していつできるかもわからない。これが現実である。
2024年3月16日 金沢~敦賀間が開業。
この開業で関西~北陸は「サンダーバード」を敦賀で「つるぎ」に乗り継いで金沢なり富山に行くことになる。
「はくたか」「かがやき」は首都圏と北陸の 連絡列車の使命を持つ、よって「サンダーバード」には接続をしないという趣旨のダイヤとなる。
ここに列車のすみわけがされることとなり、かつて存在していた日本海縦貫線的機能は北陸新幹線には用いられない。近畿から新潟県に移動する場合サンダーバード、敦賀乗り換え、ここで長時間待たされるか「つるぎ」で金沢へここで乗り換え、上越妙高で乗り換えということになるのかもしれない・・・ 上越妙高は「かがやき」は停車しない。
新潟県と近畿の連絡は上越妙高乗り継ぎの北陸新幹線では到底用をなさないと考えられ、従来通り航空機主体で残りを高速道路と上越新幹線東京乗り継ぎが担うと思われる。
午前中に東京まで1往復して、午後の1往復の始まり。この列車の前に時刻表に無いE7系の編成が通過していった。
冬枯れの水田を前景に新潟平野を貫く上越新幹線の高架。高速で駆け抜ける新幹線列車。
1982年11月15日行動様式を変更することを迫られた交通革命がおこった日。首都圏は遠くの町ではなく、越後路は首都圏の移動範囲に取り込まれていく。
ただし上越新幹線が主役となったわけではなく、隣を走る高速道路がメインルートとして主流になっている。多くの人々は多少時間がかかっても費用が少ないマイカー移動を選ぶことが多い。
E2系J66編成 200系色を纏う 落葉が進む越後平野を走る。
200系色は落ち着いた配色で越後平野の風景に溶け込んでいた。本年は上越新幹線開業40年の節目。
当時はまだ多数の運用が残る時点での保存車の発生。E4系は10月1日定期運用が終わる。保存車が意味を持つことになる。新津鉄道資料館の保存車は2階がグリーン車で1階がリクライニング座席の普通車であり、悪名の高かった自由席6列座席はここでは見ることができない。
2階建て新幹線ということで大いに盛り上がった1990年代2階建てで首都圏へ遊びに出かけることが流行だったころが今は懐かしい。
日本列島の背骨というべき奥羽山脈を越えてようやく平坦地に降りてきた。
踏切りと新幹線車両 板谷峠区間を新しいトンネルで越える計画があるようだ。もし実現すると山岳地帯はフル規格新幹線と同様になり踏切りもなく米沢までは快適に高速走行でき気候の影響もうけなくなるかもしれない。
目の前には山塊が立ちはだかる。大カーブの庭坂と同様山越えを感じさせる場所ではある。米沢~山形間の列車本数は33往復(臨時運転の「とれいゆつばさ」は除く)