1983年12月29日 弥彦線最終列車 年末に振り出した雪は翌年大雪になった。
弥彦線の最終列車はわずかな客を乗せて発車していった。翌年の電化開業に備え架線設備が張られ気動車列車にとっては最後の冬となった。
この通勤型気動車は1960年代弥彦線の沿線燕市の洋食器産業が全盛の頃押し寄せる通勤客をさばくことができなくなり1962年に導入された。また新潟市の人口も伸びて通勤客が多くなったことで新潟市近郊輸送の増強のため増備された。
1965年以降自動車交通が台頭し、燕市の洋食器も工場の郊外移転で弥彦線の利用も大幅に減少していく。そのため弥彦線でのキハ30系の全盛期は短いものに終わっている。
このキハ30系通勤型気動車は人気が無く、追いかける人もなかったようだが今にして思うと撮影よりは研究題材向きだったと考えられる。人気がないということは消息などが途切れやすく経歴を追うことが難しくなるためだ。