府屋駅の駅名標 背後に大きな建物が見える。
ひすいライン市振まで続く新潟県内の日本海沿いの駅。新潟県内で日本海に沿って走るのは羽越本線の府屋~村上間、信越本線の柏崎~柿崎間、えちごトキめき鉄道ひすいライン直江津~市振間である。越後線の関屋分水の橋梁や、えちごトキめき鉄道はねうまラインの二本木~関山間で遠く日本海を遠望できる。
1924年7月31日 羽越線鼠ヶ関~村上駅開通時に開業。1965年3月現在の駅舎に改築、1984年2月1日業務委託駅となる。(1月20日に貨物扱い廃止)1984年3月14日荷物扱い廃止、1987年4月1日JR東日本の駅となる。2022年3月11日「みどりの窓口」廃止、3月12日無人駅となる。現在の利用数は乗車が56名(1日平均)
この周辺は国道7号、府屋漁港、村上市山北支所 、村上消防署山北分署、ほか、金融機関や郵便局もある。新潟県北部の駅でありうみぞい駅としては糸魚川市市振駅と類似するが市振が難所を超えて切り離された場所にあることに対しこの駅は合併前の山北町の中心でとなりの温海町(現鶴岡市)にほど近い。また新潟県と山形県の県境はつぎの鼠ヶ関駅近くであるため場所によって県境が分かりにくいようだ。市振駅と異なり秘境ムードはほぼない。
個人的に県境駅で秘境駅的な場所は上越線土樽、米坂線越後金丸、磐越西線豊美、只見線大白川、だいたいこのあたりであろうか?
松尾芭蕉 奥の細道
酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙遙の 思い胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行を改めて、越中の地市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。
この界隈の記述では出羽の鼠ヶ関から越後に歩みを進めた時点で心はすでに加賀の金沢にあり出羽から加賀への長移動中に憂いを見せているように記されている。途中病気を発症し越後でもあまりいい印象もなかったようで「荒海や佐渡に横たふ天の河」の句が出雲崎付近でよまれ、以降越後路の果て、芭蕉は厳しい親不知を抜けて市振にたどり着いたのでそこが越中だと感じていたようだった・・・・「一つ家に遊女も寝たり萩と月 」越後で詠まれた句はこの2つだけ・・・
芭蕉は遠く加賀金沢に思をはせながら日本海沿いに歩みを進んで行ったことに間違いないようだった。