2017年7月25日火曜日

魚沼鉄道小千谷停車場跡の石碑

2017年5月20日 小千谷市の旭橋ちかく。魚沼鉄道小千谷停車場跡の石碑。
ここは西小千谷駅とは異なり戦後は復活しなかった。この魚沼鉄道の石碑は2代目。
先代は中越地震で壊れたため現在のものに建て直された。
魚沼鉄道の線路はほとんどが戦後復活した国鉄魚沼線と重なり合うが、来迎寺から南下するルートが魚沼鉄道は柏崎方向に出てから戦後のルートに合流する。戦後は来迎寺の0番ホームで長岡よりにありカーブを描いて西小千谷に向かった。 平沢で信濃川の方向に進路を取り旭橋たもとの小千谷駅に着く。
小千谷市の城内3丁目のぽっぽの里公園の石碑に描かれた魚沼鉄道の写真。762㎜の軽便鉄道である。客車の何両化は頸城鉄道に移った。くびき野レールパークに保存されている頸城鉄道ハ6はもとは魚沼鉄道のものである。

 1949年魚沼から頚城に転入してハ6となった。
魚沼からは4両転入している。
ハ5はとして転入頸城鉄道廃止後新潟鉄工に保存のちに新潟市中央区の自然科学館に保存されている。


瀬古龍雄監修の「新潟県の廃線鉄道」の魚沼線の項に興味深い記述が。
赤字に転落した魚沼鉄道は路線廃止の申請を1921年に行うが小千谷周辺の政財界を巻き込んで国有化が実現しかしもはや赤字路線に過ぎず1944年10月16日路線は休止となってすべて撤去の憂き目を味わう。 これが通説

さらに国有化が実現した背景には信濃川の電源開発があり来迎寺から小千谷や十日町方面の軽便トロッコを持ちいて建設資材を運ぶため買収したという見解もある。

来迎寺で軽便機関車を組み立て。トロッコは平沢から魚沼神社を迂回して十日町そして宮中まで向かったとの事であった。