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2025年9月3日水曜日

蒲原鉄道の線路が消えて26年が過ぎた・・・・

1999年10月5日 蒲原鉄道 村松駅 前日に最後の運転を終えて使命を終えた電車。左はモハ61、ヘッドマークの付いたモハ71 尾久に除雪機械と古豪モハ12

1999年10月3日 蒲原鉄道 村松~今泉 おなごり乗車の客が多く増結して対応に当たった。


 

1983年5月3日 冬鳥越~土倉間 モハ41

村松から加茂の区間は変化にとんだ風景が楽しめた。しかし人家が少なくこの時点で廃止が決まっていた・・・

 

今も残る加茂~陣ケ峰間の線路後。この付近はほとんどが宅地となって住宅や倉庫になってしまった。しかし信越本線をオーバークロスするための橋梁跡と旧陣ケ峰駅の築堤は残っていて往時をしのばせている。

村松~加茂間 1985年3月31日限り 廃止後40年経過

五泉~村松間 1999年10月3日限り 廃止後26年経過

加茂市の図書館で蒲原鉄道に関する詳細な資料を見つけた。これらを読むながら往年の時代を思い出してみたい・・・ 

 

2025年6月16日月曜日

さようなら冬鳥越バラ園~最後の蒲原鉄道ED1とバラ

 

2025年6月14日 加茂市冬鳥越 スキーガーデン併設のバラ園
蒲原鉄道ED1とバラとの組み合わせも今年で最後
ED1のほかにモハ61とモハ1も 数年前にモハ1は屋根の下になって印象が変わった。

ED1の後ろにバラ園を入れてみる。

バラ園・・・咲いてから時間がたっていたんだものも見受けられた。バラ園はかなり広い面積を持ちモハ61とモハ1を入れることも可能である・・・この日イベントが行われるようで大勢の人がやってきていた。この賑わいもこれで最後である。7月以降バラはすべて撤去されるという。跡地はどうなるのか?

蒲原鉄道の車両たちと共演してきたバラを来年以降は見ることはかなわなくなる。 

2025年4月15日火曜日

弥彦線の桜あれこれ~楢山一本桜

2025年4月13日 弥彦線下り 231M  越後線との分岐駅 小さな公園のようなところがあり越後線にも桜がある。

弥彦線は弥彦駅が、越後線は分水駅(毎年運転の夜桜shukuraなど)、関屋分水のほとりの関屋~青山間街有名どころである。


 クモハE128‐124  桜が咲いても霜取り用パンタグラフを上げている。使わなくなるのは桜が散ったあたりか・・・・


 弥彦線廃止区間 越後大崎~大浦間 浄水場付近の桜。1985年3月31日で廃止され、その年の暮れまでに国道289号線に代わった。もしこの区間が残存していたら名所になっていたかもしれない。(左手に線路あとの痕跡である柵がある)

弥彦線越後長沢廃止後から20分国道289号線を奥地に向けて進むと楢山の一本桜の看板が。

今まで知らなかったがこんな立派な枝垂れ桜がある。臨時駐車場が設営され多くの車が停車していた。先日NHKのローカル番組に放送され訪れる人も増えた。県外の車もあった。

2024年12月23日月曜日

越後線と弥彦線を走った可能性のある機械式気動車 キハ41000型

1983年6月 新潟交通電車線 燕 クハ37 画像は非運転台側で運転台側は2枚窓の「新潟交通仕様」となっている。車内はロングシートだった。

履歴(沖田祐作 機関車表から引用)

 キハ41080 新潟鉄工所= 1934-03-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1934-03-00製造→納入;国鉄;キハ41080→配属;?→配置;?→1934-06-29現在;尻内→

1941-07-31現在;尻内→1942-01-31現在;長町→1943-03-31現在;長町→

1943-04-13[達第1133/18達発]長町発西吉田支区→1944-01-31現在;西吉田支区→

1947-01-31現在;大館→1949-07-22廃車;大館→譲渡;新潟交通(新潟県);クハ37→廃車



2013年1月2日 鉄道博物館 キハ41307

 この車両は戦前から戦後に西吉田に配置歴があった。ガソリンカーから天然ガスそしてDMF13ディーゼルの履歴がある。クロスシートは小さく、キハ42000型や初期のキハ450000型もこれらを継承している。

 履歴 沖田祐作 機関車表から

キハ41056 川崎車両兵庫工場= 1934-01-30 DC19.78t1A-21067

4300

車歴;1934-01-30製造→納入;国鉄;キハ41056→1934-01-26配属;名古屋局→配置;?→

1934-01-31現在;梅小路→1936-01-31現在;梅小路→1939-01-31現在;西吉田支区→

1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→1944-01-31現在;中込→

1947-01-31現在;西吉田支区→1948-12-00長野工場改造;キハ41207(天然ガス動力化)→

配属;新潟局→配置;西吉田支区→1951-10-01現在;西吉田支区(本区白山)→

1952-10-01現在;西吉田→1952-11-00長野工場(大宮工場?)改造改番;キハ41307

(機関DMF13型)→配属;?→配置;?→1955-03-31現在;中込→

1957-04-01改番;キハ04-8→配属;長野局→配置;中込→1958-01-11廃車;中込→

譲渡;遠州鉄道(静岡県);キハ802→譲渡;北陸鉄道(石川県);キハ5211→

譲渡;関東鉄道(茨城県);キハ461→分離;筑波鉄道(茨城県)キハ461→廃車



2000年7月   蒲原鉄道クハ10 小さなクロスシートがある。

蒲原鉄道での唯一のクハそしてクロスシート車両であった。この年に蒲原鉄道の鉄道路線は廃止され一時村松駅近くに保存されたが個人所有であり2013年に所有者が亡くなられたことによって管理が難しいという理由で解体されて現存しない。

履歴 沖田祐作 機関車表から

 

キハ41120 川崎車両兵庫工場= 1935-09-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1935-09-00製造→納入;国鉄;キハ41120→配属;?→配置;?→1936-01-31現在;長町→

1939-01-31現在;西吉田→1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→

1944-01-31現在;大館→1947-03-01現在;借入;蒲原鉄道(新潟県);キハ41120→

1949-09-30廃車;大館→譲渡;蒲原鉄道(新潟県);クハ10


機関車表の履歴をまじまじ眺めていると判明した意外な事実。

ほかにキハ42000型も配置され、これも1951年に天然ガス改造され、越後線、弥彦線、信越本線新潟~新津間、磐越西線五泉~新津間などで運用され、さらにディーゼル化された。

これらは液体式キハ45000系列に置き換えられて1955年以降転出している。

2024年11月25日月曜日

低山の紅葉

2024年11月24日 EF510-18 4060レ 背後の低山も紅葉が進んだ。
三条市の五十嵐川のイチョウ 弥彦線廃線跡から

 所用で国道289号の奥地へ。河岸段丘から五十嵐川方向。低山の紅葉が終わらないうちに雪が降り出すこの界隈。白い大地に変わるのも間もなく。真冬が静かにやってくる。

2024年9月12日木曜日

越後交通栃尾線の跡地

2024年9月1日  旧越後交通栃尾線 工場跡地

土地と建物は現在も越後交通の所有。栃尾線は1975年3月に廃止。現在保存車両は全く無し。ごくわずかに遺構が残るのみ。この工場跡地の他刈谷田川にかかる橋梁跡と栃尾駅舎がよく知られている。

この路線は子供の頃ぼんやり眺めたことがある程度。子供の頃は鉄道に関心はなかったため記録ももちろんない。ただ今は多くの資料が残されていて概要をつかむことはできる。

電化軽便鉄道乗ってみたかったが近くにはない。いまあるのは三岐鉄道北勢線であろうか。

2024年4月5日金曜日

蒲原鉄道七谷駅跡の春


 2023年4月9日 蒲原鉄道七谷駅跡 春先はホームの跡と桜を楽しむことができる。

昨年は開花が異常に早かったが、今年は3月の寒さが続いたため遅れているようだ。

2023年8月13日日曜日

盆の始まり

2023年8月12日 弥彦線高架下 盆市 食材や仏花をもとめてすでに大勢の人が。周辺にはカフェもあってそこも人だかり。活気のある街中の風情。

ここで仏前と墓参用の花と仏前に供える果物を求める。弥彦線高架下の市は2と7のつく日に開催される六斎市で江戸期あたりから行われているらしい・・・・


 午後2時過ぎ・・・下りE001トランスイート四季島 お盆でも運転中!稲も随分黄色くなった。2週間後は稲刈りが始まる。

55M しらゆき5号  利用低迷の特急だが自由席は乗客が多め。お盆休みのためか?


 

EF510-501 3093レ  この列車以外貨物列車の姿を見かけなかった。16日まで運休のようだ。

数日続いた炎暑から解放され水田地帯を渡ってくる風を浴びながらのどかに列車を眺めた。

2023年7月3日月曜日

くびき半夏生

2023年7月2日 上越市頸城区 くびき野レールパーク

あじさいの向こうにコッペル2号機 公開日ではないが見学する団体があり入れ替えのため外に出したとの事だった。半夏生のの日曜日。

2023年5月7日日曜日

塚山峠を訪ねて

2014年5月4日 キハ40系「 越乃Shu*Kura」 そろそろ後継が出るのか?
塚山駅 2004年の中越地震で被災し建て替えられた。無人駅。

長岡市越路支所 塚野山活性センターにおいて隅田哀氏の写真展が行われているので鑑賞のため出かけてみた。1982年5月号の鉄道ファン誌に「塚山峠を訪ねて」という文章があり、この界隈が取り上げられていた。山間を走る列車の様子が鮮明に描かれ印象的であり、以降このあたりで撮影を行うきっかけとなった。

館内には今はないEF81牽引列車や485系特急などが多数展示され渋海川橋梁を俯瞰する列車や近くになる木造の小学校の校舎の後ろを走る列車も紹介されていた。

開館前にE653系特急「しらゆき」とキハ40系「越乃Shu*Kura」の様子も撮影した。

最近はこの付近に来ることはほとんどなかったがこの写真展が来訪の機会となった。撮影地は田植えが始まろうとして農家の方々は準備に余念がなかった。峠の小さな集落にようやく田植えの季節が来て新緑も濃くなっていくひと時をながめ往年の時代を懐かしみ帰宅した。

(画像は2014年のもの)

2023年5月5日金曜日

薫風軽便~くびき野レールパーク

2017年5月5日 旧頸城鉄道ホジ3 上越市くびき野レールパーク

こどもの日の公開運転。 伝説の存在であった頸城鉄道車両が動く光景を見た日。背後の丘は新緑に覆われ初夏の風情。水田では田植が進んでいた。1971年に廃止になる前はこのホジ3も初夏の風を受けて走っていた。遠い日の幻想。

2023年4月29日土曜日

代掻きが終わった水田と新緑の塚山峠~485系「雷鳥」


1990年5月 信越本線 長鳥~塚山間 485系〔上沼垂〕 4013M

柏崎から開眼を離れ信越本線は平野を目指す。長岡に向かう間に小さな峠越えがある。塚山峠で信越本線の前身「北越鉄道」はこの区間の工事で資金を使い果たし、新潟駅まで乗りいれることができなくなったと言われている。

複線電化の線路は塚山トンネルで一気に峠を貫くが明治の頃の土木技術ではトンネル工事は厳しいものであった。現在も旧線のトンネルが残っている。

画像は並行する道路で塚山峠を越えてきて長鳥駅を見下ろす見晴らし台から。新緑の山峡と水田、代掻きが終わって田植えを待つばかり・・

長鳥駅は秘境駅の風情があるが駅前には人家が多数あり、この画像撮影の頃は商店もあったように記憶している。平野部の東光寺と同等レベルだったようだ。

特急「雷鳥」はグレードアップ編成となり収容人数を担保しなければならない自由席はそのままだったが指定席は座席が改善されハイデッカー構造となっていた。この区間多くの乗客でごった返し長岡で上越新幹線に乗り継ぐ混雑区間。それは1997年3月の北越急行開業前まで続いた。

2023年4月13日木曜日

雨に散る桜

2022年4月19日 小千谷市高梨 セメントプラント脇の道 鋪装が切れたあたりに魚沼線高梨駅があった。1984年4月1日魚沼線廃止。あれから30年以上経過し線路跡もわからなくなりつつある。セメントプラント脇に桜の木があり花びらが道路に散乱していた。

2023年の桜は3月下旬爆発的に開花しすぐに散っていった。
 

2023年4月12日水曜日

魚沼線西小千谷キハ47

1983年6月 魚沼線西小千谷  125D~126D

朝の魚沼線列車。来迎寺から121D~122Dで西小千谷往復後、123D~124Dで片貝まで、125D~126Dで西小千谷往復したのち来迎寺から長岡へ回送され機関区で待機し夕方再び回送されて129D~130D、131D~132Dと走り長岡に回送。客車列車1323レ最後部に連結されて新潟に回送する運用。朝の列車は前日の急行「うおの」に連結され長岡にて切り離して機関区取り込みであった。 1983年の時点では十日町快速、信越本線下り普通455Dに変更されている。画像の西小千谷は小千谷市街はずれで人けもない場所だった。現在は商業地となっている。

魚沼線運用は気動車2連でキハ58、キハ52、キハ47が末期に用いられていた。

 

2023年4月4日火曜日

菜の花大蒲原

1983年5月3日 蒲原鉄道 大蒲原 モハ41

田植えを待つばかりの水田と菜の花畑。左手に鯉のぼり。春から初夏に変わるころ。
 

2023年4月3日月曜日

冬鳥越八重桜


 1983年5月3日 蒲原鉄道 冬鳥越 モハ12

五泉市の城跡公園に保存のモハ11型が塗装をされ鮮やかさを取り戻したようだ。モハ11はワンマン改造がされていなくて動いているところを見ることはできなかった。モハ12はモハ11の追番でワンマン改造され時々動いているところを見かけた。5月連休の初日代掻きが終わった水田を走るモハ11を八重桜越しに撮影したもの。

この頃の桜の開花はソメイヨシノが4月20日ころで八重桜が5月初めだった。それに比べると開花がかなり早くなってしまった。大災害の前触れにならないといいが・・・

2023年1月23日月曜日

越後線分水駅

2023年1月8日 越後線分水駅 駅舎は2000年3月10日に建て替えられた。

駅前広場。歴史を感じさせる建物があった。駅前から中心部はそれほど離れていないが活気はない。


 分水駅2番線(副本線)とホームの上屋 その後ろの樹木は桜の木。4月には新潟から臨時列車がこのホームに停車する。2番線が使用されるのはその時だけ。


 柏崎方向 左手の線路は保守車用。この駅構内の架線は直接吊架方式で交換駅でこの架線となっているのは分水駅のみ。通常は交換列車が無いためこの方式がとられたと思われる。


 2022年ダイヤ改正で無人化されみどりの窓口もなくなった。右手に待合室があるが4~5人しかいなかった。燕市分水地区も商工業の町を形成しているがほとんどがマイカー利用であり列車利用は極めて少ない。


 分水駅の財産標 2000年3月の建造である。


2023年1月19日木曜日

穀倉地帯の駅~越後線妙法寺


 2023年1月8日 越後線妙法寺 長岡市村田にある。旧駅名は村田で1913年越後鉄道によって開業1915年妙法寺に変更。1916年駅に昇格、1922年国有化され越後線の妙法寺駅となる。妙法寺は最寄りの日蓮宗寺院である。

水田地帯にたたずむ小駅。カプセル駅舎であり面白みはないと決めつけていたが・・・

改札口 乗車券発売窓口の痕跡が。電光掲示板もまだ稼働していた。この駅は1980年にそれまでの木造駅舎を解体してコンクリート駅舎に新築。木造駅舎時代の1973年に簡易委託になっている。完全無人化は1992年4月1日でもう30年も過ぎている。

手前の窓口で低くなっている箇所があり荷物扱い窓口の痕跡の様にも見えなくないが木造駅舎の頃に駅員配置が無くなり簡易委託となった際に廃止となっている。しかし荷物扱いも臨時で行われたのか?謎が多い・・・


 待合所 椅子が6脚。ほかに時刻表と乗車証明書発行機。この駅の利用は一日30人程度。

駅の向こうは水田地帯。ホームも島式で交換可能又は貨車の留置可能だったことうかがえる。

吉田方向


 

小さな公園と向うには年季の入った倉庫が。このあたりに貨車が置かれ米の積み込みがされたのだろうか?貨物扱いは1962年2月に廃止されているがそれまでは使われていたようだ。

廃線変更はいつだろうか?駅舎回送と同時か?

今も残る農業倉庫。ここから俵が右手の越後線に運ばれ貨車に乗せられて旅立っていったようだ。

参考資料海津英夫著 写真集 越後線 2022年新潟日報メディアネット