2017年10月23日月曜日

鉄道ジャーナルの特集は日本海縦貫線

1985年9月 信越本線青海川~笠島の日本海沿岸を走るEF81貨物列車。貨車は車扱いのため雑多であった。
昨日書店で鉄道ジャーナルNo614 2017年12月号の特集は日本海縦貫線である。
主なテーマは大阪・青森普通列車乗り継ぎと貨物輸送の基地富山機関区。
表紙はEF510-6牽引のコンテナ列車。

すでに北陸本線の直江津~金沢間は第三セクター路線となったので通しでの切符を買うことはできない。旅客列車では大阪から青森まで通す列車もない。
いまは湖西線の列車、北陸本線の列車、IRいしかわ鉄道の列車といった具合にそれぞれの路線の列車になる。

また新幹線の開業で日本海縦貫を経由する必要もなくなった。
2001年の時点では特急「白鳥」12時55分金沢発青森到着は22時59分だった。
2017年の現在は12時56分「はくたか」564号で大宮へそこで「はやぶさ25号」乗り換えで新青森は18時43分の到着である。

貨物列車の方も大阪~青森間通しの列車は4往復
4060~4061レ、4091~4090レ、3099~3098レ、4075~4976レである。
これ以外は金沢、新潟、秋田付近で運転が終わるものが多い。
単線の区間が無く冬の悪天候の影響がない東海道~東北経由が主力で新潟から北の白新線、羽越本線、奥羽本線は単線区間が多数あり冬の気象条件は悪い。
それが原因で他線区転属も行われたり船便に変更されることもあった。
現在の日本海縦貫線の貨物列車の本数は下り17本で上りは16本となっている。




2017年10月22日日曜日

なぜ人々の記憶から消えたのか? 頸城鉄道百間町駅舎

2017年5月5日  旧頸城鉄道の本社 現在は頸城鉄道の資料を展示した資料館となっていて一般公開の日に限って見学できる。(一般公開=保存車両などの運転のことで年5回)




本年の大きな収穫はこの頸城鉄道保存車両たち。2004年に神戸より帰還を果たし地道に整備がされ現在は復活運転をしている貴重な機械式気動車ホジ3


NPO法人「くびきのお宝のこす会」は今年設立10周年である。「くびき野レールパーク」がオープンしたのは2010年10月。

くびき野レールパークの存在は各種サイト、新潟日報など新聞記事、TVのニュースなどで存じてはいたが公開も年に5回と少ないためつい後手に。
しかし積年の疑問を解決すべくやっとの訪問となった。
動いているホジ3の姿を見たときは感動したというより幽霊に遭遇した気分だった。すでに復活して存在しているという知識はあるにしても。実物を眼前でみると・・・・
頸城鉄道の車両や駅舎はいずれも幽霊に遭遇的な出会い方をしている。

1981年7月今の県道33号新井~柿崎線が増田地区で通行止めになって迂回した結果百間町にでてしまい鉄道のない場所に残る駅舎に遭遇・・・・急いでいたので見る暇もなく走り去ったが・・・
1988年11月長野県須坂市井上の自動車解体店に鉄道車両みたいなものを発見(国鉄貨車とは違うもの)しかし急いでいたのとそもそも駐車場所が無いのでパスそしてホハ3型客車と判明したのは2年後1990年10月。
ほかに廃線跡を発見したのもそのころ・・・・
いずれにしても1969年の5月に全線廃止とくれば当時幼少の身とあってはその存在を知りえることもなかった。頸城鉄道の存在を知ったのは新潟日報事業社刊行の写真集「新潟の鉄道百年」に記載されていたことによるからである。
新潟県下越から上越は遠い場所でそこに私鉄があったことも知らなかったし子供時代はそれほど鉄道に関心があったわけでもないので・・・・・
新緑に輝く「くびき野レールパーク」の車庫(旧頸城鉄道の百間町車庫)


人々の記憶から百間町の旧駅舎が解体された時代のことが出てこない理由は駅舎と旧本社が棟続きでさらに車庫もきちんと存在していたからだろう。駅舎の建物は付属建物的な感じで壊されたとしても記憶に残らなかったのかもしれない。

古老の先生方も「さあていつだったかな?」という回答でほかの話題にすり替えられそうになったし。
地元の女性たちの答えも「あの建物じゃないの?」と車庫や旧本社を指さす・・・
長年にわたって残っていても影の薄いものだったのかもしれない。
1981年にここを通過したときはまだ駅舎が存在していたわけなので解体はそれ以降だとおもわれる。
1990年(平成2年)頃この付近を通った時は駅舎らしきものは見当たらなかった。
そのときは偶然頸城鉄道の廃線跡の橋梁(ごく小さなもの)を見つけてこのあたりを散策してその後信越本線を走る貨物列車でも撮影に行く途中通過したのかもしれない。


伝説のような存在だった軽便鉄道が構内だけとはいえ動き回る姿は感動的である。
本年の一般公開は終ったが来年も期待である。






115系越後線普通列車

2017年10月19日  115系更新車6連 越後曾根発村上行き  
最近様々な塗装の組み合わせが見られるが現在最も一般的編成である。
115系もあと数年で運用を終了し鉄屑に帰る時が来るがもっとも人々の記憶に残るべき編成かもしれない。当たり前に存在する日常生活の記憶の一部として。
この場所も稲の収穫も終わって冬を待つ間つかの間の緑地帯となっている。

2017年10月20日金曜日

25‰を行く~えちごトキめき鉄道はねうまライン二本木駅前

2017年10月14日 二本木駅のすぐ近くの踏切りから 雪月花がやってきた。
二本木駅は25‰急こう配の区間に存在するスイッチバックの駅である。




勾配を上っていったん引き上げ線に入る。
直江津行き普通列車と並走して駅構内に進入。

駅構内に入らなくてもスイッチバックだとわかる場所。

撮影者が多数待つホームに到着。




直江津行きが発車。引き上げ線に入った後本線に合流する。
下り勾配を直江津に向かう。しばらく進むと左手に上越市を一望できる場所があり日本海も望める。


スイッチバック二本木駅鉄道まつり2017~3

2017年10月14日 二本木駅からみた日本曹達二本木工場 大正9年(1920年)に日本の電解ソーダ製造の草分けとして操業を開始した。寒村であったこの地域に雇用の中核をなす存在となり最盛期は1万人を超す従業員を抱えてその乗降でホームは大いににぎわったという。
深夜並走する国道18号線から見る工場の夜警も見事で不夜城の様だった。
平成19年(2009年)までは原料や製品の輸送も鉄道で行われていて本線から分岐した専用線をコンテナ車やタンク車が行き違い機関車が貨車の入れ替えでせわしなく動く光景が見られた。

トラック輸送に切り替わった今専用線の跡を眺め往時をしのぶのみ。土曜のせいか工場は静かだった。
 一旦改札を出て喫茶コーナー「さとまるーむ」でコーヒーを頂く。200円(税込み)お店の人たちと雑談をしながらいただくコーヒーは格別。地元の女性たちが運営している。コーヒーのほかにせんべいやかりんとう饅頭をすすめられた。おいしかったです。
喫茶コーナーはかつて待合室であった場所を利用しているとの事。
天井が高く開放感があった。また二本木駅のジオラマも展示されていた。喫茶コーナーは第2日曜と第4日曜の営業で12月まで。他に駅前には二本木駅スイッチバック市も開催(10月第4日曜)
日本曹達設立100周年記念事業のラッピング電車。
リゾート列車「雪月花」の発車を見送る方々。大勢の人が見送っていた。
二本木駅から北国街道を見る。奥の建物の後ろにえちごトキめき鉄道はねうまライン(信越本線)の25‰の急こう配区間があり右手にしばらく進んだところでスイッチバックして二本木駅に到達する。
スイッチバックによって町ができたので商店や住宅、裏手は日本曹達工場と生活の匂いが漂う空間である。篠ノ井線の姨捨のような風光明媚な雰囲気はない。






2017年10月17日火曜日

スイッチバック二本木鉄道まつり2017~2

2017年10月14日  二本木駅の改札から地下道までの連絡通路。長い庇の下にある。
このあたり豪雪地帯である。
ホーム先端で警備に当たる駅員氏無線で連絡業務の最中。満開の花壇を見つつET127系普通列車が発車していった。右手に見えるのは除雪機械である。ロータリとラッセルを兼用。
二本木駅のヤード群。2008年に廃止されるまで貨車がひしめいていた。左手に日曹工場への専用線があったが現在は撤去されている。

ホームの待合室。昭和10年(1935年)に設置。
 二本木駅駅本屋 国鉄時代は通勤輸送駅の扱いで特急「あさま」「白山」急行「妙高」「とがくし」「赤倉」などは停車しなかった。「二本木駅?さあどこだろう?」という人も多かった。

 


2017年10月16日月曜日

スイッチバック二本木駅鉄道まつり2017~1

2017年10月14日 鉄道の日  くびき野レールパークの見学後上越市中郷区二本木に。
天気がはっきりしない日であまり暖かくない。おこわやおやきを買ったがなんとなく食欲がわかない。
さらにへたに食べると眠気に襲われて事故の危険もある。頸城平野を走り抜けて妙高市旧新井市を経由で二本木に。(とちゅう姫川原のコンビニでコーヒーを)
お目当ては赤レンガの油庫の公開と駅舎内の荷物扱い所の展示品見学さらに展望デッキも。
二本木駅前には看板が多数・・・・えちごトキめき鉄道になってからは二本木駅のスイッチバックも観光資源になったようだ。 昼時が過ぎたが結構な人でにぎわっていた。受付を済ませて書類を出して駅舎に向かうと「縄文汁」のお振る舞いが。大きな寸胴から少しから目の豚汁が。
となるとおこわも食べても良かったかもしれないが・・・

先にレンガの油庫を。
ご覧のように油脂類が若干。かつては保管量は多かったのでは。庫内には柱は無い。レンガの頑丈な建物は防災上油脂の保管には最適だった。

 財産標によると明治43年の9月とあった。開業当初か?二本木は隣の関山や新井より後にできている。駅本屋の財産票も明治43年9月となっている。
駅の窓口の隣には荷物の扱い所が。これらは1986年1月のダイヤ改正で国鉄の小荷物扱いの営業が終了した際に多くはふさがれた。このたび復元されたようで二本木駅ゆかりの鉄道関連の品々が展示された。駅の裏手にある日本曹達の製品もあった。
窓口で入場券を・・・・駅員氏「普通のでいいですか?」「普通じゃないのもあるんですか?」
ということで貴重な硬券の入場券のセットが。(210円なり)

雪国特有の雁木を思わせる通路を経由してホームに出る。
ホームの屋根を支える鉄骨の支柱・・・・1950年に設置。まだ戦後で鋼材が不足していたので線路を使用した。
ET127系の直江津行きと妙高高原行が並走してやってきた。左手の電車の後ろにスイッチバック引き込み線があり木製スノーセットがある。