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2025年9月30日火曜日

横綱大の里優勝とET122 K3ラッピング 

2025年8月23日   えちごトキめき鉄道ひすいライン 糸魚川駅

ET122K3とK6の泊発新井行き K3は横綱大の里ラッピング 


 


大の里のラッピングは本年3月場所で優勝したことでセットされた。この時点で大関。その後5月場所で幕内優勝し横綱ラッピングとなった。7月場所は平幕力士に屈する結果となり金星を3つ出す結果となり、平幕力士琴勝峰優勝となった。

9月場所はライバルの横綱豊勝龍の調子がよく全勝モードでありこちらが優勝するのか?という印象であったが12日目ウクライナの安青錦(あおにしき)13日目大関琴櫻に敗れ、そのあいだに大の里に抜かれてしまった・・・それでも1敗差で豊勝龍も健闘、優勝争いは千秋楽までもつれ込むことになった。

千秋楽ではあっさり豊勝龍に敗れたが、優勝決定戦ではきわどい勝負となり物言いの結果大の里の優勝となった。今回の優勝は琴櫻休場の不戦勝もからみ決定戦も豊勝龍に圧勝ではなくきわどい勝ち方であり相当な幸運に恵まれたと思う。

石川県出身の横綱大の里であるが、相撲留学で中高時代を糸魚川市で過ごし、新潟県立海洋高校相撲部で活躍。大学でアマチュア相撲を経て各界入りした力士大の里は新潟県の「誇り」となっている。

もちろん能登半島地震と大水害でダメージを追い 復興途上の石川県の人々にも大きな希望の明かりとなったことは言うまでもない。

 ET122-3 k3のラッピングも大の里の9月場所優勝でさらなる意義を持ったといえる。多くの人々に愛されるK3 ET122‐3であってほしいと思う。


2025年8月31日日曜日

御館って? クモハ412‐6のヘッドマーク


 2025年8月23日  直江津駅 クモハ412‐6

この日の観光急行は謙信公祭の輸送に413系が使われるため「御館」ヘッドマークがついた。

ちなみにクハ455‐701は「出陣」で あった。

この「御館」は直江津駅を降りてひすいライン沿いに1キロくらい行った場所にある小さな公園にちなんだものである。

上杉謙信が関東管領上杉憲政を迎えた際にその居宅として建設された関東管領の館のこと。

春日山城下に設けられてのちに上杉謙信も政庁として使用したという。

上杉謙信が急死したあと家督相続の争いが養子上杉景勝と上杉景虎の間で勃発した「御館の乱」(越後の内乱)で「敗死」した景虎の本拠として用いられた。

現在は住宅地の小さな公園で石碑があるだけである。ちかくにえちごトキめき鉄道はねうまラインと ひすいラインの分岐点がありその向こうに春日山が見える。

2025年8月26日火曜日

えちごツーデーきっぷ 糸魚川から豊栄

2025年8月23日 えちごトキめき鉄道ひすいライン 糸魚川駅 遠くに親不知が見える。左手は北陸新幹線。


 ET122‐6 1631D 泊発はねうまライン新井行き 先頭は横綱大の里ラッピングET122-3途中手を振る女性に遭遇!!大の里のファンに違いない。

浦本駅 ここからトンネル区間 エンジンが車内に響く。2両編成だがあまり空いていない。

直江津駅でクハ455‐701を 本日観光急行は運休。代わりにはねうまラインにて謙信公祭の輸送列車にあたる。出陣とは上杉謙信が出陣する光景を再現するもの。本年は時代劇大スター松平健が馬上の上杉謙信を務めた。猛暑にかかわらず大勢の見学客で盛り上がった。

鉄道関連の資料のある場所のはしごをするため直江津に来たので謙信公祭は見に行けなかった。(夏バテのため炎暑の屋外が苦手になった)

*この日は先に糸魚川のジオパルでキハ52を楽しみそのあと模型レイアウトとコレクション、蔵書を見学。雑誌が中心だが現場で使われた教科書も置いてあった。各地の愛好家の寄贈品であるという。糸魚川も直江津も資料見聞が目的であった。

ここで改札を出てセンチュリーイカヤに併設の「直江津学びの交流館」へ。1階は直江津駅のジオラマとコレクションが少々・・・ほか直江津エリアの写真もごくわずかであるが展示されていた。糸魚川に比べると少なく印象に残りずらい・・・・

図書館は3階・・・鉄道図書は糸魚川とは比べ物にならないくらい多い!国有鉄道百年史は全冊あった。また明治からの時刻表も多数・・・リファレンスには事欠かない様子だ!冷房の効いた館内フロアは割とすいていて快適だった。ここでは一癖ある書籍を見かけたのでつまみ読み・・・・

図書館の中はゆったりした時間が流れている。


 

ET127V3とならぶ長岡行きのE129系A17 直江津12時26分発長岡13時53分着。

黒井でコキから降ろされたカマボココンテナを発見。80レ~85レはEF510-509


 直江津からの乗車はすくなく2両でガラガラ。柏崎は1番先着。ここで相当人数が乗り込んで座席のほとんどが埋まる。来迎寺と宮内でもかなり乗車があって立ちが出て長岡に到着。長岡で改札から出て一息入れようかと思ったが駅到着前に上沼垂色E653系「しらゆき」6号、そのあと新潟行きの「しらゆき5号」や3093レEF510-5があるのでそれを狙う。暑いのでお茶を買うが買い物は今回それだけ。(ほかに直江津売店でパン1個 昼は眠くなるのであまり食べない。もちろん業務の時も)

長岡駅5番線 E129系B22編成 この列車で新潟へ・・・えちごツーデーはトキ鉄の市振から羽越本線府屋、上越線は宮内~越後中里間、磐越西線新津~野沢間、トキ鉄直江津~妙高高原間、上越新幹線新潟~越後湯沢間(新幹線料金は必要)他飯山線越後川口~津南、米坂線坂町~小国(現在バス代行 この切符の利用可否はJRにお尋ねください)只見線小出~大白川間 価格2800円 2日有効である。ワンデーきっぷが廃止されているのでこの切符もいつまで存続されるか不透明である。あまり先がないように思う。来年は運賃の値上げがありそれと同時か・・・・

東光寺付近  

列車は6連であり快適に移動。三条駅でかなり乗車し東三条で三条駅より少ない人数乗車があった。加茂で乗車が多めのほかは新津まで変動なし・・・新津からの各駅は乗車が多く立ち席発生。新潟車両センターにキヤE195が多数停まっていた。

新潟駅1番線 白新線 豊栄行き B16編成

新潟駅発車時は空席が目立つ。


 

新潟駅高架から・・紅白煙突は北越コーポレーション 上沼垂信号所から白新線に入ってやがて新潟貨物ターミナルの線路が見えてきて東新潟。


 新崎~早通間 阿賀野川  泰平橋を遠く望む その向こうは国道7号があり阿賀野川河口となる。左に新潟空港がある。現在新潟~大阪間の移動は空路が主流である。

豊栄駅改札口 糸魚川を午前に出て途中直江津の図書館で一息・・・16時台に豊栄に着く。この切符だと府屋~市振の日本海沿いの移動が可能。ツーデーが無くならないうちに行ってみたいものである。このあといなほ10号を捉えて乗ってきた編成で新潟に。途中駅で乗り込みが多数。わずか1分弱で直江津行き快速に乗車した。 

 

2025年8月19日火曜日

えちごトキめき鉄道はねうまラインの駅~南高田

2025年8月9日 えちごトキめき鉄道はねうまライン 南高田
ホーム1面の簡易な駅 

はねうまライン(直江津~妙高高原間)は南高田駅のほか交換できない駅は春日山、北新井の2駅となっている。

南高田駅は駅舎の前に踏切があるどこか私鉄風味の駅である。1961年12月10日に設置された請願駅で当初は気動車のみ停車の駅だった。(設置理由が磐越西線の堂島、笈川、会津豊川、姥堂などの小駅に似ている)

市街地に近く学校や金融機関もある駅で2024年時点で1日790名ほどの乗車がある (WIKIから)

2025年8月12日火曜日

ET122横綱大の里ラッピングK3


 2025年8月9日 直江津 1632D

横綱大の里 締め込みが鮮やかである。大相撲名古屋場所より横綱となった。残念ながら優勝を逃し金星ばらまき、座布団の雨が桟敷席に舞う結果。優勝は平幕の琴勝峰だった。それでも11勝あげて横綱の面目を果たしたといえる。今後に期待。大関時代のラッピングは貴重なものとなった。


 ET122-3 こちらは大の里とおなじ海洋高校の出身白熊のラッピング。

残念ながら現在は十両の関取である。ラッピング時は幕内だったので・・・こちらも奮起を期待したいところ! 

2025年8月11日月曜日

日本海縦貫線から眺める 象潟~市振「奥の細道」

2025年7月12日 羽越本線 象潟 


 

象潟駅 海側 松の木と象潟のイメージの庭園

象潟~金浦間 1689年に芭蕉が訪れた時代は湖面だった象潟はその後、1804年の地震で隆起して陸地になった。芭蕉が「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとく」と記している。

「象潟や雨に西施がねむの花」 

鳥海山  羽越本線遊佐~吹浦

「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」 *あつみ山は鳥海山の誤認という説がある


羽越本線 最上川橋梁から *午前撮影

「暑き日を海に入れたり最上川」

もうひとつの「五月雨をあつめて早し最上川」は最上川上流で読まれたもの 

羽越本線からみた粟島の夕景・・・出羽から越後へ 芭蕉は延々と歩いて旅を続ける。

信越本線 鯨波付近 北国海道から佐渡を望む・・
 

酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙遙の 思い胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行を改めて、越中の地市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。

「文月や六日も常の夜には似ず」

「荒海や佐渡によこたふ天河 」

日本海縦貫線は出雲崎駅のある越後線を包含しない。芭蕉が歩いた出雲崎は海岸沿いの町であり、海岸から離れた越後線の出雲崎駅付近から奥の細道のイメージはできない。

「荒海や」の句はそもそも実際に見えた情景を読んだものではないという説もあり、かなり多くのの論点を含んでいると考えられる。体調不良と暑さに苦しんだ越後でのことはほとんど記述されないことがこの句が名句に なったという見解もあるようだ。出雲崎を通ったのが旧暦7月4日である。8月のお盆前くらいであろうか?本来は海は穏やかな季節。荒れた海にに天の川が横たわる光景を見ることができたのか?


市振の海道の松・・・・旧暦7月12日

ひすいライン市振駅 ここがあいの風とやま鉄道との分岐駅 市振の関と反対側に富山県境の境川が流れている。親不知の険が終わってもまだ越後路というのも少し不思議ではある。糸魚川というより、富山県の朝日町の経済圏のように感じるが・・・

ちなみに出羽の境の鼠ヶ関は集落がつながった状態で県境となっている。鼠ヶ関付近は場所によって新潟県村上市、山形県鶴岡市となるようだ・・・

秋田から富山の区間の共通点として山が迫ってわずかな平地そして海は吹浦~上浜間の有耶無耶の関(鳥海山の裾が海に落ちる場所)あつみ温泉~府屋(ここも急峻な山岳地帯が海に落ちる地形)、笹川流れ、角田山と弥彦山の海に落ちる場所、柏崎~柿崎間の米山峠、直江津~糸魚川間の旧北陸本線沿いの地滑り地帯、北アルプスが海に落ちる親不知~市振の区間・・・似たような要害が連なる山形県庄内と新潟県の海岸である。他福井県にも険しい地形が連なる場所がある。北陸トンネルの前後で国道8号は親不知に似た狭隘な勾配区間となっている。

一つ家に遊女も寝たり萩と月 市振でよまれた句。以下に奥の細道の原文を紹介する。

今日は親知らず、子知らず、犬戻、駒返などという北国一の難所を超えて、疲れ待てれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて西の方に、若き女の声二人ばかり聞ゆ。年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし、伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて明日は故郷に返す文したためて、はかなき言伝などしやるなり。

白波のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の強引いかにつたなしと物言うを聞く  寝入りて明日旅立つに、われわれにむかひて、

「行方しらぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかなう悲しく待てれば、見えかくれも御跡をしたい侍らん。衣の上の御情けに大慈の恵みをたれて結縁させ給へ」と泪を落とす。

「不便な事に侍れども、我々は所々にてとどまる方おほし。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護かならず恙なかるべし」と言い捨てて出つつ、哀れさしばらくやまざりけらし。
 

 

市振~奥の細道にちなむ「海道の松」を見に行く ~ひすいライン


 2025年8月9日 ひすいライン市振 少し進むとあいの風とやま鉄道 ET122‐4

市振漁港
市振の集落 急峻な山と海岸に挟まれた集落  
市振関所跡地



芭蕉が泊まった宿桔梗屋跡地

弘法の井戸

遠くに能登半島を望む・・・思えは秋田の男鹿半島からここまで海岸沿いの列車を利用して見えた終端になる。羽越本線道川の男鹿半島、上浜付近飛島、羽越本線今川~越後寒川間粟島、信越本線鯨波付近佐渡・・・そして能登半島

 市振漁港と富山県の方向

海道の松 樹齢200年の松の木は2016年の台風で倒壊した。
在りし日の海道の松


 

クハ455‐701ほか急行1号が到着

2025年7月1日火曜日

ケーブルとどう向き合うか?~信越本線鯨波の場合

2025年6月28日 EF510-23 4076レ
EF510-6 4076レ
下り普通 E129系4連
キハ40系 shukura回送
E653系「しらゆき」2号 52M 新井行
E129系 長岡8時3分~直江津8時41分着の普通列車
EF510-508 4091レ 海の青さが出てきた・・・

 

2018年3月ころからケーブルの新設がされた。かなり太いもので見た目もよくない。

ケーブルは流しても消えない厄介者。ただ、場所によっては悪影響も少ないそして広角気味にすると目立たなくなるということだった。あまり深く気にする必要はないのかもしれない。

久しぶりに海を背に走る列車たちを楽しんだ後は越後線の未撮影駅舎などをしながら帰路に就いた。午後は「トランスイート四季島 001系」からスタートである。 

2025年6月10日火曜日

高貴な方々~四季島と雪月花 上越線を行く

2025年6月7日 下りE001トランスイート四季島 9011M 上越線大沢
大沢は戦前の信号所上がりの小さな無人駅であるがかつては加速線が存在したこともある。
上り「雪月花」えちごトキめき鉄道所属


 団体客を乗せて越後湯沢に向かう土休日にトキ鉄以外に進出するのは珍しい。

岩原スキー場前でE257系に振られたあとは四季島を狙うこととし、越後湯沢から国道17号を北上する。5月はすべての週末が雨にたたられた異常な5月だったが6月になりそのパターンが崩れた。乾いた晴天で山がよく見える(雨でも山がよく見えることもあるが)

四季島は小出で13時45分くらいなので、六日町の先まで行こうとすると追いつかれてしまうので石打~大沢の区間で折り合いをつけるしかなかった。大沢の集落を通って大沢駅へ。

ここでは列車利用の男性2名で関東方面の方、駅舎で休む男性でライダーさん、そして農家の男性が軽トラックで駆けつける・・・・

「特急列車が通過します」の放送を聴き特急ってなんだ?と関東の各位。これは「四季島」のことだと伝えると納得されたようで、ライダーさん、農家さん4名で四季島を撃つ !

大沢の駅は山間と盆地のへりにある駅でロケーションは最高である。山越えと里のいいとこどりの駅である(ただし食事をする場所は無いので17号線へ)

E001トランスイート四季島はミュージックホーンを鳴らしてゆったりと通過していった。平和な光景である。農家さん曰く「四季島」のフラグを振るとミュージックホーンを鳴らしてくれるとの事。

そしてもうすぐ「雪月花」ET122系が来るとの頃。いい情報を頂いたのでご相伴にあずかる。後でわかったことだが北越急行とタイアップした列車だった。

上越線で雪月花というレアな場面を見ることができたことを感謝し、情報をくれた各位にお礼を言って大沢を後にした。この各位とも一期一会なのであろう・・・・ 

ここでは「ネタ系」しか撮影できなかったので今度はEH200、E129系、HK100のレギュラーたちも記録しなければならないところ。