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2023年7月3日月曜日

くびき半夏生

2023年7月2日 上越市頸城区 くびき野レールパーク

あじさいの向こうにコッペル2号機 公開日ではないが見学する団体があり入れ替えのため外に出したとの事だった。半夏生のの日曜日。

2023年5月5日金曜日

薫風軽便~くびき野レールパーク

2017年5月5日 旧頸城鉄道ホジ3 上越市くびき野レールパーク

こどもの日の公開運転。 伝説の存在であった頸城鉄道車両が動く光景を見た日。背後の丘は新緑に覆われ初夏の風情。水田では田植が進んでいた。1971年に廃止になる前はこのホジ3も初夏の風を受けて走っていた。遠い日の幻想。

2021年8月29日日曜日

直江津晩夏

2021年8月28日 直江津 D51827と車掌車 D51レールパークと駅構内手前まで体験乗車の乗客を乗せて走る。車掌車は内部を改造して乗客が乗車可能になっている。

 


日本曹達ET127系と旧型国電色ラッピングの田島ルーフィング ET127系

抜け殻状態だったえちごトキめき鉄道に現れた新星。イメージはクハ68型旧型国電で1978年6月に115系と置き換えられるまで健在していた。115系N40編成懐かしの70系新潟色より凄みを感じるラッピングである。

クハ455-701他 急行3号 ヘッドマークは「オリンピア」

この色の電車が直江津に姿を見せるようになったのは1985年3月14日ダイヤ改正から。それまで走っていた旧型客車の置き換えで583系からの改造の419系とともに北陸本線の輸送に従事した。国鉄分割民営化後は塗装変更され2015年3月ダイヤ改正まで走り続けた。一時期国鉄急行色になった編成も存在したがダイヤ改正で「えちごトキめき鉄道ひすいライン」となって姿を消していた。輸送量が極めて少なく気動車の単行で賄えるためだった。本年の3月29日JR西日本より413系を購入観光列車の急行1~4号として運用されている。


 街路樹とクハ455-701 この車両は413系の制御車として改造され急行型の471~475、457系とは連結できないとされる。内部はほとんどがロングシートの近郊型となっているが座席の座り心地はよく、窓にはひじ掛けがあり、洗面所が残っていて急行型の時代を伝えてくれている。

黒井駅前の頸城鉄道の記念碑 かつて頸城鉄道が出ていた。記念碑はいったん撤去されたが橋上化により復活した。

黒井駅はこの時間帯人の気配はなかった。北長岡駅と同様な工業地帯の駅である。

暑い日ではあったが海側から吹いてくる風は冷たく秋が近いことを告げていた。



2021年5月4日火曜日

今年の春も見ることができない~頸城鉄道廃止50周年

2018年5月5日 上越市頸城区百間町 くびき野レールパークにて

5月から10月まで行われている公開の際のカット。昼休憩で車両を展示して撮影会を行っているところ。


 ホジ3 客車改造の気動車で機械式。つまりマニュアル車。

2017年にこの形式が目の前を通り過ぎていく光景を見たときは感動したというより幽霊に遭遇した気分だったことを今も思い出す。

くびき野レールパークの5月公開は諸般の通り開催されないことが決定している。代わりに期間限定でサイト上に在りし日の現役時代の写真が公開されているので一見の価値がある。


2020年7月9日木曜日

まつだいの記憶

2017年6月17日 東頸バス本社 建物は頸城鉄道(現頚城自動車)の浦川原駅跡

1982年夏妙高方面から帰る途中、頸城村内で工事に出くわし国道253号線を迂回することになった、迂回路の合流地点を間違え浦川原に来てしまった・・・
鉄道の駅風の建物におどろきここがかつての頸城鉄道の浦川原の駅だったのであろうと思いさらに進路を進めると次第に道が狭くなりすれ違いも困難なくらいになってきた。
集落もあまりなく気が付くと「松代町」の標識が・・・人里離れた険しい道を走ってきたためか随分立派な町に見えた記憶がある。
しばらくして柏崎の標識があったので左折しておそらく今の国道403号線のルート(ひどい悪路)と思う道を経由し柏崎のはずれから塚山峠を越えて長岡を経由して帰宅の途に就いた。

2020年7月4日 北越急行 まつだい HK100型電車
この悪路も平成の頃に改修が進んで今は快適な道となっているところに時間の経過を感じた。
先日走った時は新道から古いかつての道を見つけたが極めて細い道でかつてこの道路を通って松代の町はずれを通過したことを思い出した。

2020年6月9日火曜日

たまには高速道路はいかが・・・

2020年6月6日 北陸自動車道 能生インター~名立谷浜インター
えちごトキめき鉄道(旧JR西日本北陸本線 筒石駅近く)
 北陸自動車道の上りトンネル出口 山間を走る道路橋も優美。
鉄道撮影と異なり橋だけを表現したいので車がいないすきに一発。

北陸自動車道の開通はこの地域にとっても福音だった。
地滑りに悩まされさらに豪雪に悩まされ・・・・
1980年代には地滑りや雪崩で惨事が起きていた。そのため当時の国鉄は不通になった国道8号が復旧するまで臨時列車を走らせたこともあった。

険しい地形の最果てのこの地域も高速道の開通で変化をしていったがいまはそれがあだになって過疎化や人口減少に拍車がかかった状態となっている。




2019年9月21日土曜日

DC92~くびき野レールパーク

 2019年9月14日 くびき野レールパーク
いかついスノープラウは本年5月公開の際から。



沖田祐作著機関車表から引用
DC92 協三工業=80118[114] 1954-11-00 D9tC(762)

車歴;1954-11-00改造(前1号蒸機=Koppel製7127)→
納入;頚城鉄道(新潟県);DC92→1971-05-00廃車→兵庫県の篤志家が保管→
2004-11-20(着)無償譲渡;新潟県頚城郡「頸城鉄道展示資料館」;DC92→
2005-06-19公開(所有者=頚城村)

2019年9月20日金曜日

コッペルひとりぼっち~くびき野レールパーク

2019年9月14日 コッペル2号 手前にいたニフ1が屋外へ。また左手の線の貨車もすべて屋外に出たためコッペルのみ留守番となった。お昼休みのひとこま。

2019年9月19日木曜日

保線作業~くびき野レールパーク

2019年9月14日 つるはしなどの工具を用いて線路の保守をされる「くびきのお宝のこす会」の方々。線路の保守は地味で脚光を受けにくいが最重要な作業である。
安全が最も優先されなければならない。

2019年9月18日水曜日

人力連結作戦!~くびき野レールパーク

2019年9月15日 くびき野レールパーク 時間はお昼!撮影タイム!
米俵を積んだニフ1 米俵の移送を兼ねて客車編成のことろへ。
移動はスタッフの皆さん。




無事に連結終了。いつもは外に出ないニフ1も日光浴ができる。
ニフ1の米俵は無蓋車へ! コメの輸送時期には有蓋者だけでは足りず無蓋車も俵を乗せて走った。

お昼休みももうすぐ終了!無蓋車からニフ1へ米俵を移送。

俵を背負ってニフ1へ。




13時からの運転開始のため客車編成も入庫。 ニフ1は切り離されて留置。


貴重な光景を楽しむことができた。

2019年9月17日火曜日

くびき野の風を楽しむ

2019年9月15日 くびき野レールパーク ハ6客車
ハ6型客車は1911年(明治44年)製造である。当初は魚沼鉄道で走っていた。新潟市中央区の鳥屋野にある「自然科学館」にて展示されているハ5型は頸城鉄道でも走っていた。
走行中の車内・・・・往年をイメージしてモノクロで撮影。
となりに地元の女性がおられたのでいろいろお話を伺うことができた。
この女性の祖父の代に鉄道が開通していたようで列車通過の際に竹筒で汽笛の真似をして遊んだこと。浦川原のバス車庫が当時の浦川原の駅であること。
黒井の駅前がさびれて店が無くなって不便になったこと。
山間部の温泉が営業をやめてしまったこと。バスが大幅に減って不便になったことなど…
北越急行も乗客が賑わうのは松代~十日町~越後湯沢の区間だけでこちらはそれほどでもないということ…

ほかに吉川の温泉は非常にいいのでぜひということだった。

二軸車輛のハ6は貨車そのままの乗り心地。だがこれが本物の軽便鉄道の味わいである。
ゴリゴリという線路の感触とポイント通過の揺れが遠い明治の頃の鉄道の記憶につながる。午前中は体験乗車の方々が多数やってきて臨時便も出さなければならない状況だった。

運転形態は駅を出てポイントを渡って浦川原よりに。そこから推進運転で黒井方向に走って浦川原方向に。同じルートをもう1回走って車庫に入る。
それ程速度が出ているわけではないが開放している窓から風が入り残暑の残るこの時期、涼しい風を浴びて昔日の鉄道旅行を思い起こすのは楽しかった。

2019年9月15日日曜日

初秋の「くびき野レールパーク」

2019年9月15日 上越市頸城区 百間町「くびき野レールパーク」
ホジ3型と有蓋貨車2両の混合列車風編成。
稲刈りが終わった水田と気動車ホジ3型
郵便荷物車 ニフ1の車内には米俵が。穀倉地帯の頚城地方の米が列車で運ばれた時代を再現したものだろうか?
客車ハ6と貨車 令和になってもこのような編成を楽しむことができるのはうれしい。




2018年12月30日日曜日

平成最後の年の瀬前編

2018年12月16日 新津駅から キハ40系shu*kura、国鉄色キハ47、キハ48の2連、リゾートしらかみ(青池編成)、さらにGV-E400型など・・・

年末になり冬型が強くなり時折強風が吹き荒れ、雪も積もってきた・・・
新潟県の年末年始の様相である。先日の天皇誕生日で陛下が最後の誕生日の挨拶をされていた。あと半年たたないうちに平成時代が終わる。長かったような短かったような平成時代・・・
一番の思い出は1996年10月のベルギー国王来日に伴う東北・両毛線で運転されたEF5861牽引の1号編成お召し列車であろう。大勢の撮影者に交じって見送ったのも思い出である。
撮影場所は400名くらいがあつまり、警備の警察官も多数・・・・
激闘の一日であった。1号御料車では両陛下が窓を開け手を振られておられた・・・

ほかEF81置き換えの新型機関車の製造もなかなか難儀であり、平成の初めに登場したEF200、EF500であったが諸処の問題でうまくいかず東海道線などで使うEF200は登場したものの本来の能力を下げて使う始末、交直両用のEF500は量産されず、実用的なスペックのEF210が1996年に登場し派生バージョンとして東北本線のEH200が先に出て、その後山岳用EH200と同時に2001年EF510の1号が登場。その後も増備は遅く完全に置き換わったのは2016年のダイヤ改正からだった。EF510はJR東日本にも登場し「北斗星」「カシオペア」用500番代が15両あるがこれも寝台特急廃止のあおりで短い活躍に終わって貨物に合流でようやくの縦貫線新性能化が実現したが15年以上もかかっている。
EF510も相当な「苦労人」であることに偽りはない。


さて前振りはそれくらいにして本年の見分・・・といっても遠征もほとんどしないうえ撮影者が集結するような場所に出向くこともしてないが・・・

主だったものは1月親戚の弔問で関東へ・・・
久しぶりにEF210のタンクを眺めた・・・また201系の「むさしの」号で武蔵野線を乗車帰りは皇居を探訪 インバウンドさんがあまりに多く圧倒された。このころ新潟県の信越本線で豪雪のため列車が立ち往生し乗客多数が閉じ込められるという事件が発生した。幸い死者はなかった。
この豪雪以降ことしの漢字が「災」であるように 大阪北部の震度6弱の地震、西日本豪雨、40度越えの猛暑、台風21号の大阪付近の災害、北海道胆振地方の震度7の地震と次々起きていく・・・・

こちらでは115系の70系新潟色が一時的に2編成となって仲良く重連運転したり同色交換があったりと楽しませていただいた。
また485系NODOKAが引退した。
 2月は豪雪そして3月は1978年に旧型の70系電車を置き換えた115系がすべて引退した。
現在残っている物は2013年以降に長野から転入した7編成である。ほかL99長野色4連もあったがこれも高崎の115系廃車処理の運用についたのち廃車となっている。

3月は村上にてE653系のはまなす色、瑠璃色、いなほ基本色が並ぶイベントがあり参加。
町屋のおひな様を見聞しつつE653系のカードを集めた。
また 地平の新潟駅の最後の利用となった。4月15日に高架となったためである。
3月25日は羽越本線新津始発となったC57180「SL村上ひな街道」を。坂町の保存機「D51735」の公開もかねて参加。坂町ではOBさんより解説も聞くことができ有意義な春の一日であった。また坂町の転車台も見学した。
このときは押入れから出てきた古いレンズシャッターカメラを使いフイルム撮影を行う。
白黒撮影を行ったが本体価格、現像価格、焼き増しもきわめて高価となり贅沢な行為となってしまった。なお国産フイルムは富士フイルムは製造を行わないアナウンスがされた。戦前、戦中、戦後、と歩んできた白黒フィルムがいよいよ途切れる・・・
4月14日は新潟駅の構内切り替えが行われる前日。長岡方面列車は新潟まで行かないで越後石山止めとなりE653系の「らくらくトレイン信越」は単なる快速「直江津行き」となって運転。仕事帰りE653系に初乗車となった。料金なしでも新潟駅とつながっていないためほぼ空席状態だった。


5月は3日に四季島の新津駅入庫を見聞、また鉄道資料館を訪ねて保存車両内部を見学、東三条で四季島の見送りを・・・雨であったが多くの方が見送りされていた。またC57180のばんえつ物語も見分。
5月4日は月潟駅の保存車の公開を見学、ボランティアさんにいろいろ解説をしていただいた。また115系N40新潟色を越後線で見分。
5月5日はくびき野レールパークを見学し(この日は出店無)午後は越後線で115系。
この日の朝の3371M快速は115系N38湘南色だった。
5月12日は新しくなった新潟駅を見聞。5月26日は越後線、信越本線、飯山線、ほくほく線、只見線の串刺し撮影を行った。新しくなった国道253号線新八箇バイパスも初通行した。この日は旧高柳町の荻ノ島集落を見聞。多数あったかやぶき農家も半減し無人と思われる住宅も。急速な過疎化と高齢化が進んでいることを実感した。
6月は23日に解体が進む新潟駅地平ホームを見聞した。4番線から奥は高架に飲み込まれ1~3番は解体が進行中。思い出多い地平ホームも消え去る直前の見分。
 新潟日報事業社の写真集「新潟の鉄道百年」には旧新潟駅(現新潟駅から5分くらい。代々木ゼミナールの前付近)解体の写真が掲載されているがまたまた新潟駅の解体場面に遭遇できる時が来るとはこの本を購入時点ではまったく想像すらできなかった。


8~9番は取り残された離れ小島となっていた。新幹線と「いなほ」への乗り換えはスムーズになったかもしれないが白新線、信越線と越後線の乗り換えは場合によってはタイトになるケースも多数ある。


7月分は後ほど



2018年5月17日木曜日

灯りが付いたホジ3車内

2018年5月5日 くびき野レールパーク こどもの日特別公開 この日も多くの来客があり軽便鉄道車両の市場を楽しんでいた。2軸のハ6とボギーのホジ3では乗り心地がまるで異なる。「くびきのお宝のこす会」の方によるとバネがへたれている(そもそも神戸の山の中に長期間保管されていたことと明治時代の車両であることなど)らしいとの事だった。
ハ6からホジに移るとホジの乗り心地はまるで普通の列車の乗り心地だった。

さて灯りがついていたので1カット。試験的に点灯されたようだが貴重な場面に遭遇できてよかった。

2018年4月26日木曜日

頸城鉄道のホトク1

2017年5月5日  上越市頸城区 くびき野レールパーク内で見かけた頸城鉄道の特別和式客車 ホトク1内部 現代にも通じるお座敷仕様 客層はどのようだったのだろうか?
1914年日本車両で製造日本初のお座敷車。下駄箱と傘立てもあったという。

ホジ3は上記ホトク1を改造したものだが車両中央に突き出たエンジンカバーが客車改造だったころを証明しているという。1931年にホトク1を改造した。(書類上は改造認可後の1932年4月)


2018年4月25日水曜日

くびき野レールパーク ホジ3


2017年5月5日 上越市頸城区百間町のくびき野レールパーク かつての頸城鉄道の名車たちの舞台。ホジ3型機械式気動車。ホトク1という和式客車からの改造で車内にエンジンカバーがある。木目が美しい車内。

2017年12月19日火曜日

くびき野レールパーク

2017年10月14日  上越市頸城区 百間町くびき野レールパーク
ホジ3と有蓋車2両の展示。

本年の収穫はなかなか重い腰のあがらなかったこの保存鉄道の訪問だった。
廃止から40年以上経過して周辺も近代的な様相となった現在往時をしのぶことも極めて難しくなったが保存会の方々の努力によりこれらの車両たちが走り回る光景は感動的であった。本年はくびきのお宝のこす会設立10周年の節目の年であったがその年に訪れることができたのはうれしいことであった。

2017年10月29日日曜日

機械式気動車

2017年5月5日 くびき野レールパーク 機械式気動車ホジ3  いまでは希少価値の高い機械式気動車。クラッチとシフトレバーで変速するマニュアル車。(DB92も含む) くびきのお宝のこす会の古参の方によると相当な貴重品との事であった。
ホジ3の運転席  左側にシフトレバー 中央にクラッチペダルがある。

鉄道博物館のキハ41307  キハ41000型は機械式気動車でガソリンカーであった。
昭和の初期から活躍を開始している。
機械式気動車内部  座席間隔の狭い小さなボックス席が並ぶ。
鉄道博物館のものは筑波鉄道から引き取られたもので1987年3月31日廃止。
すでに液体式気動車に改造されていたと思われる。

新潟県内では戦前から気動車の運転が始まっている。昭和11年(1936年)4月1日越後線及び弥彦線に気動車を運転する(写真集新潟の鉄道百年 年表より 1978年新潟日報事業社)
さらに戦時中の昭和18年(1943年)11月1日 信越本線貨物線が新潟~越後線関屋間開通。越後線と信越本線の区間に貨物列車の運転が開始。臨港地帯の工場労働者の輸送のため越後線から東新潟港まで旅客列車の運転が開始( 越後の停車場 朝日新聞新潟支局編  朝日新聞社 1981年)
この運転に使われたのがキハ41000型機械式気動車だった。 写真集 新潟の鉄道百年 P79には戦前のキハ41103の写真が。気動車の前には女性車掌3名も。
機動性に優れた機械式気動車は昭和26年(1951年)4月1日 新潟~新津~新発田~馬下に天然ガス気動車の運転を開始してさらに越後線などにも運用を拡大している。
昭和26年12月15日 信越本線貨物線新潟~関屋間は越後線に編入、従来の関屋~白山の区間は廃止された。12月31日白山機関区廃止で翌年1月1日西吉田機関区を新設。昭和29年5月1日には越後線はすべて気動車になった(貨物列車と他線区から関屋に乗り入れる列車を除く)

 西吉田の機械式気動車はキハ41614~41619とキハ42523と42538が配置されていた(鉄道ピクトリアル938 2017年11月号 P152 絵葉書の中の国鉄ローカル線 第33回 弥彦線 白土貞夫)
これらは昭和31年(1956年)キハ45000系(キハ17系)に置き換えられている。

さて機械式気動車は私鉄に引き取られることも多かったが
新潟交通のクハ37はキハ41080で1934年3月28日新潟鉄工にて製造され大館機関区に1944年7月22日には新潟交通に。

蒲原鉄道のクハ10はキハ41120で1935年9月 川崎で製造され大館へ1949年9月30日蒲原鉄道へ。

新潟交通の方はロングシートだったが蒲原鉄道はクロスシートで廃車まで勤めている。

現在どちらも解体されて現存していない。



2017年10月22日日曜日

なぜ人々の記憶から消えたのか? 頸城鉄道百間町駅舎

2017年5月5日  旧頸城鉄道の本社 現在は頸城鉄道の資料を展示した資料館となっていて一般公開の日に限って見学できる。(一般公開=保存車両などの運転のことで年5回)




本年の大きな収穫はこの頸城鉄道保存車両たち。2004年に神戸より帰還を果たし地道に整備がされ現在は復活運転をしている貴重な機械式気動車ホジ3


NPO法人「くびきのお宝のこす会」は今年設立10周年である。「くびき野レールパーク」がオープンしたのは2010年10月。

くびき野レールパークの存在は各種サイト、新潟日報など新聞記事、TVのニュースなどで存じてはいたが公開も年に5回と少ないためつい後手に。
しかし積年の疑問を解決すべくやっとの訪問となった。
動いているホジ3の姿を見たときは感動したというより幽霊に遭遇した気分だった。すでに復活して存在しているという知識はあるにしても。実物を眼前でみると・・・・
頸城鉄道の車両や駅舎はいずれも幽霊に遭遇的な出会い方をしている。

1981年7月今の県道33号新井~柿崎線が増田地区で通行止めになって迂回した結果百間町にでてしまい鉄道のない場所に残る駅舎に遭遇・・・・急いでいたので見る暇もなく走り去ったが・・・
1988年11月長野県須坂市井上の自動車解体店に鉄道車両みたいなものを発見(国鉄貨車とは違うもの)しかし急いでいたのとそもそも駐車場所が無いのでパスそしてホハ3型客車と判明したのは2年後1990年10月。
ほかに廃線跡を発見したのもそのころ・・・・
いずれにしても1969年の5月に全線廃止とくれば当時幼少の身とあってはその存在を知りえることもなかった。頸城鉄道の存在を知ったのは新潟日報事業社刊行の写真集「新潟の鉄道百年」に記載されていたことによるからである。
新潟県下越から上越は遠い場所でそこに私鉄があったことも知らなかったし子供時代はそれほど鉄道に関心があったわけでもないので・・・・・
新緑に輝く「くびき野レールパーク」の車庫(旧頸城鉄道の百間町車庫)


人々の記憶から百間町の旧駅舎が解体された時代のことが出てこない理由は駅舎と旧本社が棟続きでさらに車庫もきちんと存在していたからだろう。駅舎の建物は付属建物的な感じで壊されたとしても記憶に残らなかったのかもしれない。

古老の先生方も「さあていつだったかな?」という回答でほかの話題にすり替えられそうになったし。
地元の女性たちの答えも「あの建物じゃないの?」と車庫や旧本社を指さす・・・
長年にわたって残っていても影の薄いものだったのかもしれない。
1981年にここを通過したときはまだ駅舎が存在していたわけなので解体はそれ以降だとおもわれる。
1990年(平成2年)頃この付近を通った時は駅舎らしきものは見当たらなかった。
そのときは偶然頸城鉄道の廃線跡の橋梁(ごく小さなもの)を見つけてこのあたりを散策してその後信越本線を走る貨物列車でも撮影に行く途中通過したのかもしれない。


伝説のような存在だった軽便鉄道が構内だけとはいえ動き回る姿は感動的である。
本年の一般公開は終ったが来年も期待である。






2017年10月15日日曜日

コッペル2号機~くびき野レールパーク

2017年10月14日  鉄道の日。 上越市頸城区百間町にある「くびきのお宝のこす会」の「くびき野レールパーク」にて。
旧頸城鉄道車両の公開も残すところ10月14日と15日のみ。また「くびきのお宝のこす会」設立10周年のイベントも開催され多くの来場者でにぎわっていた。普段は庫の隅っこでじっとしているコッペル2号機も外に出て走り回る。(ただし煙はダミー)

 ホジ3が試乗のため動き出す。コッペルと顔を並べるのも久しぶり。
有蓋貨車ワ7が後部に。 頸城鉄道でかつて見られた混合列車の姿。

復元された荷物郵便車ニフ1は子供たちの絵本の読み聞かせ会場となっていた。普段は駅内留置でこども図書館となっている。
コッペル2型・・・自走はできないのでディーゼル機関車のDC92が後押しする。
DC92の運転を担当された方によると死重となっているコッペルを前に後ろには乗客多数の客車2両が連結されてとにかく重たくて運転は大変との事だった。(エンストなどあり)
コッペルを先頭にDC92と無蓋車さらに2軸客車ハ6が満席の乗客を乗せて走る。
短い距離の構内運転であるがそれでも軽便鉄道の乗り心地を体感することができる。
(2軸のハ6に乗るとポイント通過の時に振動が大きく伝わってくる。線路からのゴリゴリという音とディーゼルエンジンの息遣いも・・・・現代にあっては決して快適ではないが、昭和40年代の生活を思い起こしながら楽しむのも悪くはない。
撮影の跡、コッペル先頭の編成に乗車・・・・偶然に1967年=昭和43年9月30日(新黒井~百間町、飯室~浦川原の区間廃止の前日)の乗車された方とお話することができた。乗車されたのは鵜木までの区間で4歳の時だったこと。大瀁小学校に進学され校庭にあった「ホハ3」客車に入って遊んだことを懐かしんでおられた。大瀁小学校はその後移転して(かつてはP&G海洋センター付近)にあったが移転で現在地になったということだった。現在はこの地を離れられ違うところで生活されておられるということだった。奥様と愛犬とともに往時を思い起こされている姿が印象に残った。
ところでこの方に1990年に長野県須坂市の井上地内で「ホハ3」型を目撃したことを伝えたら驚いておられた。いまは須坂市井上のこの場所も大きく変貌して「ホハ3」があった時代を思い出すのは厳しくなってしまった。

構内ではお店が多数並んで「ぽっぽやき」「おやき」「五目おこわ」「くびきの押しずし」 「牛丼」「いくら丼」「ゴーゴーカレー」など多数。野菜なども販売されていた。他に餅つきも行われていた。

お昼の「おこわ」と 「おやき」を買い求めた。
聞いてみるとお店の方々は地元の方が大半の様で頸城鉄道に乗られた方が多かった。
百間町の駅舎がいつまで残っていたか尋ねたが車庫と旧社屋の建物の存在にかすんでしまっているようでいまひとつわからなかった。駅舎が使命を終えてしまった後はとくに利用するわけではないので昭和の何年に解体されたかはもはや記憶には残っていないのかもしれない。
駅舎はシェルのガスステーションと旧本社(資料館となっている。この日設立10周年の記念式典が行われていた)に間に挟まれた場所にあった。 いまも道路が右に一旦曲がってからガスステーションの左を曲がって頸城鉄道の廃線跡を利用した県道に出る構造になっていることそして周辺が舗装されていることを考えると1980年代の早い段階で駅舎は消えていたのかもしれない。

12時過ぎに次の目的地二本木に向かった。