2018年6月17日日曜日

115系青空に映える

2018年6月17日 弥彦線227M N36編成とN33編成 弥彦線の大半は市街地を走る。
越後線129M 115系N38編成 
弥彦山を背に走る 134M 115系N38編成  1984年4月8日の電化開業の際はすべて115系は湘南色で運転を開始したが1986年の夏からは第一次新潟色が登場した。
弥彦線226M  弥彦線では最も長い編成。2014年のダイヤ改正前までは4連と2連の結合だったがいまは3連と3連の結合である。
 
1978年に70系を置き換えたものも1984年の越後線の電化開業で各地からやってきたものもさらに165系置き換えのため1990年代に首都圏から転入したものも今はすべて消滅して2013年以降に長野から転入した編成が最後を走っている。




ハマナス色「いなほ」朝を駆ける

2018年6月17日 「いなほ」用ハマナス色E653系U107編成。首都圏(ディズニーランド?)からの帰りだろうか?定期の夜行列車は潰えたが臨時列車は適宜運転されている。信越本線では6両以上の旅客列車を見かけることはまれなので貴重な場面である。(四季島を除く)
EH200-19 2092レ 曇り空を走る 通常みられるEH200はこの列車だけ。紙列車の6082レは土曜休日は運転しない。
EF510-16牽引 4059レ 最高速度100キロの列車。せわしないジョイント音を残して走り去っていった。この時間帯から雲が無くなり快晴に。

この時間帯NHKでは「目撃!にっぽん  さようなら三江線 本州最大の廃線に」が放送されてた。ことしの3月31日に廃止された広島県三次と島根県江津をむすぶ108キロメートルの路線JR西日本三江線の廃止にまつわる話題。ナレーターは合原明子さん。

全通したのが1975年(昭和50年)すでにモーターリゼーションの時代に開業した三江線は江の川沿いに蛇行するローカル線であり当初から使い勝手はよくなかった。

沿線の住民の方々も当初は通学、通勤、所用、旅行につかっていたが車にその役目を移し利用することはなくなってしまった。
番組では貴重な全通当時の映像も出ていた。(1976年版時刻表では直通列車はなく乗り換えが各所で必要だったようだ)

三江線の最後を盛り立てる方々と廃線跡を使って新たな地域づくりを模索する方々の思いと苦悩がつづられていた。

宇都井駅付近がメインでライトアップやトロッコの製作など過疎化と高齢化が進む沿線の方々の闘いぶりが心を打つ・・・

番組が終わったところで貨物ゴールデンタイムでありいつもの場所に転戦し115系も撮影に回った。

2018年6月16日土曜日

115系N40編成梅雨空を走る。

2018年6月16日 長岡からの快速。3481M  車内はかなりの混雑のようだ。

GV-E400長岡駅展示

2018年6月16日 新津から長岡に向かう電気式気動車GV-E400系の回送。
展示場所は永岡駅の3番線と4番線の間にある線路で通過列車が使う線路。
4060レのあと長岡駅を通過する列車は無いので結構長く停めて展示することができたようだ。この回送列車は4060レが通過した後10分程度で通過していった。

2018年6月14日木曜日

EF510-505と弥彦線列車E127系V13編成

2018年6月9日 東三条駅通過のEF510-505牽引の4076レとE127系V13編成の吉田行き列車。弥彦線列車の朝の1本のみ信越線の中線から発車する。

2018年6月13日水曜日

早朝の直流機EH200牽引2092レ

2018年6月10日 EH200-21牽引の2092レ 静けさが残る平野部を快走。一路首都圏へ。
定期的にみられる直流機関車牽引の貨物列車。

2018年6月11日月曜日

弥彦線北三条駅の115系N37編成

2018年6月10日北三条駅 吉田駅に向かう226M 8時58分  新潟県の在来線では最も最初にできた高架駅である。いまは新潟駅も高架になっているが・・・新潟駅は暫定開業のためか評判は今ひとつとも。地平の8~9番と高架部分の乗り換えに相当な時間を要するのが原因で2番線にはエスカレーターも設置されていない

さて北三条駅が高架になったのは1997年9月のこと。国鉄時代は市内を走る弥彦線は踏切りが多数あり交通渋滞を引き起こしていたので高架になることとなった。たしかに地平の線路が撤去されて廃線跡も快適な道路となれば言うことがなかった。また高架当初は見晴らしのいい光景を楽しむこともよろこばれたようだった。新潟市のような都会かつ拠点都市と異なり二階建て程度の住宅とそれほど背の高くないビルがぽつぽつある「在郷町」の高架区間のため遠くの山までよく見えるのが特徴だった・・・

現在は市街地の空洞化が進んで閑古鳥が鳴く有様で列車も2時間以上あくこともあって高架化が熱望された時代とは様相が異になってしまった。