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2025年10月15日水曜日

穏やかな午後に深まる秋を感じる

2025年10月12日 三条市しらさぎ公園のようす。
コスモス

樹木の一部に色づいたものがあった。気がつくと秋が深まっていた。この附近の小さな日帰り温泉さぎの湯へ・・・温泉と休憩室ほかにさぎの森文庫というコーナーがある。露天風呂はなく一般400円程度の格安。駐車場を埋まりかけていたが、入り口付近たまたま出る車がありそこに泊めて入場する。館内もそこそこに混んでいたがまだゆったりできるレベル。

料金を払いコロナ後初めての日帰り温泉につかった。お湯の温度もまずまずだった。入浴後さぎの森文庫というコーナーで過ごす。数名の方がお休みになるか読書を楽しんでいた。本格的な図書館ではないので蔵書は多くない・・・・

体が軽くなったところで、帰宅することにした。売店に珍味野菜があったので購入。受付の人に代金を払いまた来ますといって退出。 

 途中柳都shukuraと3098レを撮影しいったん近所の集会所へ。女性たちが雑談を楽しんでいた。ここで池波正太郎の作品を借りて再び水田地帯に戻って3097レを。

EF510-17が長大編成を牽引してゆったり通過していった・・・ 

帰宅後は珍味野菜を炒めて夕食に食べた・・・これも久しぶりだった。 

 

 




2025年10月12日 EF510-17  3097レ

2025年10月9日木曜日

EF67 101吹田機関区一般公開

1990年8月15日 JR貨物吹田機関区一般公開 EF67101 となりはEF66111

広島車両所で保管されているのはEF67105のようだがEF67は画像のものしかないので代用する。

左手にEF30も見える。この日の展示は吹田機関区保管車両だった。EF30は横川の碓氷峠鉄道文化むらで 見ることができるが、EF67は解体されるとこの世から完全消滅になるようだ。

ほかにD521も解体されるという。非常の世界に他ならない・・・・ 

2025年10月8日水曜日

EF200-14 マニ30


 1993年8月21日 東海道本線 EF200-14 この日、日銀所有のマニ30が連結されていた。

特に珍しくないのか誰も撮影をしていなかった。 

EF200も1両広島車両所で保管されている。EF200-10であり、EF500-901と運命を共にするという。 

2025年10月7日火曜日

EF500解体へ

1991年8月16日 JR貨物吹田機関区一般公開
EF200-901と並ぶ

 左にEF66901右にEF200-901さらに板谷峠のED78901も・・・・

車籍抹消後JR貨物広島車両所で保管されていたがついに解体されることになった。

東北本線系統のEH500、日本海縦貫線のEF510の起点となる形式。EF500は結局試験運用のみで量産はされず引退。後を引き継いだ日本海縦貫線EF510も長期の生産で主流になったのは2016年のダイヤ改正から。EF510も相当な苦労人である。


 参考 沖田祐作著 機関車表から

 形式=EF500 番号=EF500-901
製 造 所 車 体=川崎重工業兵庫工場
電装品=三菱電機
製 造 年 1990年
軸 配 BBB
重 量 100.6t
定格出力時 6000Kw
電動機形式 FMT1=1000Kw×6
歯 車 比 :=1:4.44
制御 方式 PWM電圧型インバーター制御
台車 形式 FD1 FD2(中間)
車 輪 径 1120㎜
記 事
掲 載 誌 日本製機関車製造銘板・番号集成=渡邊リスト
機関車情報
番号 製造所=製番=電装品製造所 製造年 種別
EF500-901 川崎重工業兵庫工場=806/=三菱電機 1990-07-00 E100.6tBBB(1067)
車歴;1990-07-00製造→納入;JR貨物;EF500-901→1990-08-22配置;新鶴見→
1996-09-16長町機関区→改称;仙台機関区→1998-00-00頃保管;広島車両所→
2001-10-01現在;仙台総合車両所→
2002-03-29廃車;広島車両所(保管場所?)→保管;JR貨物広島車両所

2025年10月5日日曜日

EH200-901 2088レ 夜明けの空

2025年10月4日 EH200-901 2088レ

 まだ薄暗い時間。列車は寝静まった沿線を走る。10月になり朝は寒くなった。

 

2088レ通過10分前。夜明けそして朝日。水田の稲は刈り取られて切り株と水たまりが目立つ。

 

午後行きつけの店に出向く。新米が出たが税込み5,000円弱。 ふと脇を見るとまだ備蓄米があったのでそっちを買ってしまった。

2025年10月4日土曜日

蒲原鉄道の宿

1983年11月23日 蒲原鉄道 土倉~高松 モハ41 

切り株だけの水田と低い山。蒲原鉄道 加茂~村松間の大部分は人口希薄地帯である。並行する道路も貧弱で、このため蒲原鉄道が 重責を担っていた。南蒲原の加茂と中蒲原の村松とは結びつきがそれほど強くなく、鉄道経営は最初から苦戦の連続であったという。

冬は道路が貧弱で除雪が追い付かないことも多く、沿線唯一のスキー場「冬鳥越」に訪れるスキーヤーの輸送もあって増結編成が走ることもあった。

この撮影地は冬鳥越から村松寄りで高松駅(停留場)から歩いて10分程度のところに「金割鉱泉」という温泉設備を備えた宿があった。ラジオでCMも流れていて有名だったと記憶する。蒲原鉄道加茂~村松間では宿から鉄道が見えることで知られていた。

加茂市の図書館にあった「蒲鉄時代」という書籍に、蒲原鉄道の社員が忘年会のため村松を17時台に出る加茂行き電車で高松の「金割鉱泉」を訪れて忘年会を行った記述があった。鉱泉とは低温な温泉であり過熱しないと入浴には適さないものをいう。

 

入浴の後座敷で宴会となるが今日のような「オードブル・・・本来は前菜という意味だが、これは盛り合わせ料理という意味に使われ前菜から、メイン、デザートまで盛り合わせている)はなく個々のお膳に村松の名物鯉料理一式が乗りそれらで宴席が営まれた。

帰宅は村松行きの終電で普段無人でひっそりしている高松駅で大勢の蒲原鉄道社員が土産の折り詰めをもって乗車する光景は他の乗客を驚かせるものだったらしい・・・・

この「金割鉱泉」は2000年代に経営者が亡くなり廃業されている。

村松の鯉料理は金割鉱泉ではなく村松町三の宮の養鯉場がある料理店でかつて勤務していた職場の各位と忘年会をした際に食べたことがある。鯉のあらいは刺身風のもの、鯉こくはみそ仕立ての汁物、他に鯉の甘露煮を頂いた。泥臭さは全くなく(養鯉場での養殖のため)おいしかった。ほかに「鯉」をたべたのは奥信濃秋山郷の宿であろうか・・・

 




 

2025年9月30日火曜日

横綱大の里優勝とET122 K3ラッピング 

2025年8月23日   えちごトキめき鉄道ひすいライン 糸魚川駅

ET122K3とK6の泊発新井行き K3は横綱大の里ラッピング 


 


大の里のラッピングは本年3月場所で優勝したことでセットされた。この時点で大関。その後5月場所で幕内優勝し横綱ラッピングとなった。7月場所は平幕力士に屈する結果となり金星を3つ出す結果となり、平幕力士琴勝峰優勝となった。

9月場所はライバルの横綱豊勝龍の調子がよく全勝モードでありこちらが優勝するのか?という印象であったが12日目ウクライナの安青錦(あおにしき)13日目大関琴櫻に敗れ、そのあいだに大の里に抜かれてしまった・・・それでも1敗差で豊勝龍も健闘、優勝争いは千秋楽までもつれ込むことになった。

千秋楽ではあっさり豊勝龍に敗れたが、優勝決定戦ではきわどい勝負となり物言いの結果大の里の優勝となった。今回の優勝は琴櫻休場の不戦勝もからみ決定戦も豊勝龍に圧勝ではなくきわどい勝ち方であり相当な幸運に恵まれたと思う。

石川県出身の横綱大の里であるが、相撲留学で中高時代を糸魚川市で過ごし、新潟県立海洋高校相撲部で活躍。大学でアマチュア相撲を経て各界入りした力士大の里は新潟県の「誇り」となっている。

もちろん能登半島地震と大水害でダメージを追い 復興途上の石川県の人々にも大きな希望の明かりとなったことは言うまでもない。

 ET122-3 k3のラッピングも大の里の9月場所優勝でさらなる意義を持ったといえる。多くの人々に愛されるK3 ET122‐3であってほしいと思う。


2025年9月23日火曜日

今年の12月も大雪に見舞われる

2023年1月8日 54M 「しらゆき」4号

暑い季節も終わった。いくらか気温の高い秋が過ぎていき、師走とともに寒い冬が始まる。

例のごとくいきなりの大雪が始まるのであろう・・・・長く寒い冬がすぐそこまで来ている。


 

2025年9月21日日曜日

季節を分ける雨が降り出す前


 2025年9月20日 8011M E001トランスイート四季島

朝から曇り。時折小雨。まだ刈られていないコシヒカリの稲を横目にE001トランスイート四季島。

この付近は田植えが遅くまだ刈ることがようだった。大半の水田は切り株だけ。または刈りとりの最中。午後2時時点の気温は29度。蒸し暑い空気が漂う。

新米はすでに店頭に出ている。新米コシヒカリは価格が税込み5000円程度。 

遠くの空を見ると雨が降り出した場所があるようだ。この1時間後雨が降り出し気温が下がってきた。これからは雨が降るたびに気温が下がる。

自宅に戻って家事の残りを済ませて相撲観戦に興じ、夕食の支度にとりかかった。

洋風の温かいスープを作りそれを肴に一杯飲んでNHKブラタモリに興じた。今回は京都の三十三間堂の千手観音の紹介だった・・・・・ 

2025年9月20日土曜日

秋が深まっていくころ

2025年9月15日 E129系 下り普通
E653系 H03編成 58M 「しらゆき」8号

ここ数日の雨で気温が下がって、秋が深まった。猛暑日はこれからはないらしい。

水田の稲も刈り取られ切り株が目立つ。わずかに残る稲も間もなく刈られる。

これからは雨が降るごとに寒くなっていく。その雨も豪雨と暴風で各地に被害を出しているので油断ならない。

秋は短くすぐに時雨の日が多くなって、年末には豪雪となることが多い。雪国の住人にとっては夏より冬が怖い・・・ 

2025年9月19日金曜日

彼岸は冬支度の始まり

2025年9月13日 EF510-15 4059レ 刈り取られる前の水田

 刈り取られた後の水田・・・・北越コーポレーションコンテナ

彼岸が始まるとその後に短い秋が来てやがて雨の季節・・・日が短くなって冷たい雨ばかりの時期が近づく。 それは長い冬の始まり。すぐに豪雪となって雪だけの世界に変わる。

異常に乾いた初夏から夏、猛暑と豪雨の現在。春始まりも異常だった 。豪雪の終わりとともに真夏日が発生した3月。冬の終わりに30度を記録したという。その後また小雪が舞い、また暑くなって短い桜の時期が早く来て、すぐに夏のような日が続く・・・・・

これからの季節はどうなるのか?また荒れた秋の終わりと豪雪の冬がもうそこまで来ている。それに挑む覚悟を決める秋の彼岸・・・・ 冬への支度を進める季節・・・・

 

 

2025年9月13日土曜日

清潔な明るい場所A Clean, Well-Lighted Place

2025年8月23日 糸魚川駅 ジオパーク キハ52

タイトルは敬愛するアーネストヘミングウェイの短編からいただいた。関心のある各位はお読みください。 

 

この短編の舞台は夜の カフェで働くウェイターたちを描いている。虚無感漂う夜のカフェの姿・・・・

この画像は朝であるがそんなイメージで撮影をしてみた。ここはテーブルが多数あるが飲食や喫煙は禁止だったような気がした・・・・

キハ52の車内も清潔に保たれているのがうれしい・・・ 

 

2025年9月6日土曜日

加茂川昼下がり~E653系上沼垂色

2025年8月30日 信越本線 加茂川 E653系上沼垂色「しらゆき」3号

 

加茂市立図書館へ行く道中に撮影をしたもの。加茂川橋梁は幅が狭く4連程度しか収まらない。この場所でE653系上沼垂色をとらえる・・・・

加茂川は河川敷公園となっていて整備され時折散歩の人を見かける。この日は蒸し暑いの昼下りのため公園には人影はなかった・・・ 加茂駅や加茂川沿いは街中で食べるところには困らない、コンビニやスーパーもある。また加茂山公園や小京都加茂の由来である青海神社も駅から5分程度で行ける。

図書館では郷土資料室で蒲原鉄道資料関連の資料を閲覧する・・・加茂市の図書館もそれなりに混んではいたが駐車スペースはあった。


2025年8月31日日曜日

御館って? クモハ412‐6のヘッドマーク


 2025年8月23日  直江津駅 クモハ412‐6

この日の観光急行は謙信公祭の輸送に413系が使われるため「御館」ヘッドマークがついた。

ちなみにクハ455‐701は「出陣」で あった。

この「御館」は直江津駅を降りてひすいライン沿いに1キロくらい行った場所にある小さな公園にちなんだものである。

上杉謙信が関東管領上杉憲政を迎えた際にその居宅として建設された関東管領の館のこと。

春日山城下に設けられてのちに上杉謙信も政庁として使用したという。

上杉謙信が急死したあと家督相続の争いが養子上杉景勝と上杉景虎の間で勃発した「御館の乱」(越後の内乱)で「敗死」した景虎の本拠として用いられた。

現在は住宅地の小さな公園で石碑があるだけである。ちかくにえちごトキめき鉄道はねうまラインと ひすいラインの分岐点がありその向こうに春日山が見える。

2025年8月17日日曜日

盆の終わり

2025年8月16日   E653系「しらゆき」6号 

かつてお盆の頃は帰省客のための列車が多数増発されていたがそれは過去のものとなった。

普段通りの時間が過ぎていくだけ。特急「しらゆき」も乗客は少ない。かつて多数運転されていた特急も首都圏と北陸の輸送を担うためのものにすぎずそれが北陸新幹線へ移行してしまい日本海縦貫線は貨物列車の路線となった。その貨物列車も決して多い本数ではない。

それでも鉄道が走っていることは非常にありがたく感じる。何かを望むのではなく常に感謝をしつつ乗ったり眺めることになる。 鉄道は今後地方路線は縮小していくことは確実である。もはや公共交通が生き残れるのは大都市圏だけになると考えられる。

夕方のNHKのニュース番組で新潟県内の鉄道旅が再放送されていた。

羽越本線、越後線(吉田~柏崎間)、大糸線(糸魚川~平岩間)いずれものどかなローカル線であり1両から2両の短編成が行き交うだけ。女性キャスターと沿線住民が触れ合う光景は楽しそうに見えるがこれら路線は経営実態はもはや予断を許さない現状が映し出されていた。 

 

 

盆だからと言って会食をすることもなくなった。普段通りのルーティーンで生活するだけ。

お盆参りに来た客も仏前に手を合わせると短い歓談をし次の家に向かう・・・

静かな時を過ごす盆であった。(さすがに最後の客が帰った後は疲れが出てきた)

盆最終日はこづゆを温めて食べた。会津地方の料理で国道49号線の福島県内の道の駅で買ったもの。

商品の 包装の写真はのっぺに似ているみたいだが当地の「のっぺ」とは異なった味わいだった。 

2025年8月12日火曜日

ET122横綱大の里ラッピングK3


 2025年8月9日 直江津 1632D

横綱大の里 締め込みが鮮やかである。大相撲名古屋場所より横綱となった。残念ながら優勝を逃し金星ばらまき、座布団の雨が桟敷席に舞う結果。優勝は平幕の琴勝峰だった。それでも11勝あげて横綱の面目を果たしたといえる。今後に期待。大関時代のラッピングは貴重なものとなった。


 ET122-3 こちらは大の里とおなじ海洋高校の出身白熊のラッピング。

残念ながら現在は十両の関取である。ラッピング時は幕内だったので・・・こちらも奮起を期待したいところ! 

2025年8月11日月曜日

日本海縦貫線から眺める 象潟~市振「奥の細道」

2025年7月12日 羽越本線 象潟 


 

象潟駅 海側 松の木と象潟のイメージの庭園

象潟~金浦間 1689年に芭蕉が訪れた時代は湖面だった象潟はその後、1804年の地震で隆起して陸地になった。芭蕉が「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとく」と記している。

「象潟や雨に西施がねむの花」 

鳥海山  羽越本線遊佐~吹浦

「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」 *あつみ山は鳥海山の誤認という説がある


羽越本線 最上川橋梁から *午前撮影

「暑き日を海に入れたり最上川」

もうひとつの「五月雨をあつめて早し最上川」は最上川上流で読まれたもの 

羽越本線からみた粟島の夕景・・・出羽から越後へ 芭蕉は延々と歩いて旅を続ける。

信越本線 鯨波付近 北国海道から佐渡を望む・・
 

酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙遙の 思い胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行を改めて、越中の地市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。

「文月や六日も常の夜には似ず」

「荒海や佐渡によこたふ天河 」

日本海縦貫線は出雲崎駅のある越後線を包含しない。芭蕉が歩いた出雲崎は海岸沿いの町であり、海岸から離れた越後線の出雲崎駅付近から奥の細道のイメージはできない。

「荒海や」の句はそもそも実際に見えた情景を読んだものではないという説もあり、かなり多くのの論点を含んでいると考えられる。体調不良と暑さに苦しんだ越後でのことはほとんど記述されないことがこの句が名句に なったという見解もあるようだ。出雲崎を通ったのが旧暦7月4日である。8月のお盆前くらいであろうか?本来は海は穏やかな季節。荒れた海にに天の川が横たわる光景を見ることができたのか?


市振の海道の松・・・・旧暦7月12日

ひすいライン市振駅 ここがあいの風とやま鉄道との分岐駅 市振の関と反対側に富山県境の境川が流れている。親不知の険が終わってもまだ越後路というのも少し不思議ではある。糸魚川というより、富山県の朝日町の経済圏のように感じるが・・・

ちなみに出羽の境の鼠ヶ関は集落がつながった状態で県境となっている。鼠ヶ関付近は場所によって新潟県村上市、山形県鶴岡市となるようだ・・・

秋田から富山の区間の共通点として山が迫ってわずかな平地そして海は吹浦~上浜間の有耶無耶の関(鳥海山の裾が海に落ちる場所)あつみ温泉~府屋(ここも急峻な山岳地帯が海に落ちる地形)、笹川流れ、角田山と弥彦山の海に落ちる場所、柏崎~柿崎間の米山峠、直江津~糸魚川間の旧北陸本線沿いの地滑り地帯、北アルプスが海に落ちる親不知~市振の区間・・・似たような要害が連なる山形県庄内と新潟県の海岸である。他福井県にも険しい地形が連なる場所がある。北陸トンネルの前後で国道8号は親不知に似た狭隘な勾配区間となっている。

一つ家に遊女も寝たり萩と月 市振でよまれた句。以下に奥の細道の原文を紹介する。

今日は親知らず、子知らず、犬戻、駒返などという北国一の難所を超えて、疲れ待てれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて西の方に、若き女の声二人ばかり聞ゆ。年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし、伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて明日は故郷に返す文したためて、はかなき言伝などしやるなり。

白波のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の強引いかにつたなしと物言うを聞く  寝入りて明日旅立つに、われわれにむかひて、

「行方しらぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかなう悲しく待てれば、見えかくれも御跡をしたい侍らん。衣の上の御情けに大慈の恵みをたれて結縁させ給へ」と泪を落とす。

「不便な事に侍れども、我々は所々にてとどまる方おほし。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護かならず恙なかるべし」と言い捨てて出つつ、哀れさしばらくやまざりけらし。
 

 

2025年7月28日月曜日

EH200-16 2088レ ONE

2025年7月27日  EH200-16 2088レ
EH200-16
ONEとKLINE
海上コンテナが多数乗っかると迫力が増す。

この日は親族の初盆のため寺院へ。読経、法話、お斎と行われた。蒸し暑い一日で少し厳しかったが無事にお勤めが終わった。


 

法話後にふるまわれた精進料理 手前から豆腐、野菜天ぷら、野菜と車麩と油揚げ煮付け、豆腐の味噌汁、一番奥はキュウリからし漬け、たくあんこのほかにご飯である。

冷房の効いた庫裡で参列者各位と静かに頂いた。精進料理は肉や魚を用いないが日常生活では食べる機会はない。葬儀でも肉が出るご時世となってしまった・・・・ 

2025年6月16日月曜日

さようなら冬鳥越バラ園~最後の蒲原鉄道ED1とバラ

 

2025年6月14日 加茂市冬鳥越 スキーガーデン併設のバラ園
蒲原鉄道ED1とバラとの組み合わせも今年で最後
ED1のほかにモハ61とモハ1も 数年前にモハ1は屋根の下になって印象が変わった。

ED1の後ろにバラ園を入れてみる。

バラ園・・・咲いてから時間がたっていたんだものも見受けられた。バラ園はかなり広い面積を持ちモハ61とモハ1を入れることも可能である・・・この日イベントが行われるようで大勢の人がやってきていた。この賑わいもこれで最後である。7月以降バラはすべて撤去されるという。跡地はどうなるのか?

蒲原鉄道の車両たちと共演してきたバラを来年以降は見ることはかなわなくなる。 

2025年5月8日木曜日

鉄道ジャーナル「凋落のメインライン日本海縦貫線残照」の追想 寂れた駅前と閉店した町の書店

2025年4月26日 JR東日本信越本線 三条駅 北越鉄道時代の駅舎が現役
EH200-2 6082レ  上り線が北越鉄道時代の線路 五十嵐川橋梁

今年の4月に最終号が発売され事実上発売が終了した「鉄道ジャーナル」のバックナンバーを調べると当地に関する記述が多数あることが判明した。2025年4月号通巻702号には「凋落のメインライン22上越線」であった。その後2024年9月号通巻695号に「凋落のメインライン日本海縦貫線残照」が記載されていることが判明したのでフリマアプリで購入した。(価格は半値)

記載内容は直江津から宮内の区間は中堅駅でも不振であるが新潟近郊の輸送は堅調という内容だった。

さらに東三条付近についていうと衰退したといっても商業地の雰囲気があり駅前間を感じられたという記述があった。そして画像の三条駅も紹介され1日の乗車客数1000人、東三条2000人規模、いずれも周辺に高校があるため。弥彦線北三条は300人規模で図書館、公民館、市役所もより・・・信越本線の三条駅も東三条駅も羽振りがよかったのは平成初期までのことである。まだ日本海縦貫線があり利用は多かった。商店街も凋落傾向があったが今ほど閑散とはしていなかったように感じる。

三条駅付近の今は駅の東側に暖房器具メーカー、県立高校、商業地で商業地は道路改修で登場したまだ10年程度の歴史だと思う。駅の西側は「嵐南=五十嵐川の南側市街地」であり、現在はボーリング場、レストラン、税務署、旅館、ドラッグストア、写真店、菓子店があって左手は見附方面で商業地があり県立高校もある。右手は 「嵐北=五十嵐川の北側の商業地」にむかう。三条駅周辺は2004年の7.13水害で大きな被害を受けてかなり衰退した。橋のたもとまでは商店よりは住宅として復旧している。まっすぐ行くと法華宗総本山本成寺の門前に出る。どこへ進んでも空き店舗が目立つ・・・

この文章では加茂駅が紹介されていないが高速交通が来なかった加茂市では逆に駅前は三条周辺よりましに見える・・・・つい数年前まで加茂駅の利用は東三条駅を上回っていたが、何故か東三条駅に抜かれてしまった・・・

この記事に取り上げられているエリアでは柏崎は駅前に大きなビル群ができたが列車利用はあまり多くなく、宮内も同様らしいがここ三条駅も東三条も雰囲気は同等と思われる。日本海縦貫線は消えてなくなっているので信越本線はおのずとローカル利用者が中心となる。ただ、三条から新潟の区間は政令指定都市新潟市におこぼれを受けているので列車本数は幾分多めとなっている。通学の流れは長岡まで及び、新幹線利用で長岡を利用する流れもある。ただ、通勤時間帯は新潟でぎっしりが新津で6割、東三条あたりで4割、こんな車内の流れになっている。一方で長岡へ向かう流れも見附を過ぎると多くなっていく・・・

駅前が賑やかなのは新津と加茂と思えるがこちらも衰退は進行しているという・・・商店街の賑わいを味わいたいなら首都圏へ行けということか・・・・

 

さて鉄道ジャーナルで思い出したが近年は書店の閉店が急加速しているようだ。かつて買った記憶のある書店もこの日通ったら解体と改築の準備がされていた。違う店に変わるようである。(ここに書店がありもし残っていたら買おう?とおもったが店自体がなかった)

ローカルな町の書店はここ数年で見なくなり、そのため鉄道雑誌もロードサイド店か政令指定都市の新潟市内などで買うことが多い 。主だったところで新潟市中央区新潟駅前、西区越後線新大前、加茂市の県道沿いに1件、燕三条駅近くの国道8号沿い、三条の国道289号イオン近く、弥彦線越後長沢廃線跡のホームセンター併設の店・・・・長岡駅の書店は2023年に閉店、ほか車両センター付近にもあったがこれも閉店・・・必要な情報はウェブサイトで押さえられる現在こんな状況になるのは当たり前なのかもしれない・・・・鉄道雑誌の鉄道ジャーナルもこの荒波には勝てなかった。内容を改変すれば生き残れたかもしれないがそれを潔しとしなかったのであろうか?以上つまらない雑感。