左手が待合室で右手正面は改札口。改札を出ると左手にホームがある。行き違いはできない構造だが国鉄時代には貨物扱いがあり交換可能だった。
貨物は近隣の*昭和電工鹿瀬工場の専用線で扱われていた。貨物は1985年3月14日改正で廃止。(*現在新潟昭和という社名となっている) ホームに名残がある。
駅舎左手にある深戸橋梁の初代橋げたの一部。
右側には解説を記した碑が右手が橋げたの一部である。
深戸橋梁(全長252m)橋が背景に溶け込んでわかりにくくなったが1914年に完成した橋である。
中央のトラス(90.67m)は1983年11月20日に落下方式で取り換えを行った。
取り換えの理由は経年劣化と構造的欠陥により1970年代に変形が多発して修繕や補強を行ったが限界に達したため抜本策として橋桁交換が行われることになった。
当時TVのニュースで見たがショッキングな映像だった。(BSNのニュース)
中央の大きなワーレントラスが川に叩き落とされ水しぶきを上げ新しい橋がスライドして設置という工事だった。(日中の列車は運休)
国鉄新潟鉄道管理局「五十年史」P302に落下工事を行ったいきさつが記載されているが目的は経費削減である。工事の手順は線路閉鎖を行い軌道を撤去して200t油圧ジャッキを旧トラス支承部にセットして旧トラスを120㎜持ち上げ、旧トラスの横取りは新トラスげた取り用支保工を反力受けとし推進用油圧ジャッキ100t(ストローク1150㎜)で行った。旧トラス横移動完了後橋脚から全作業員を避難させて横取りと同様の方法で旧トラスを橋脚から落としたが橋脚に異常はなくしたばりの損傷もなく無事落橋させることができた。(すごい水しぶきだった)
取り換え前の橋はアメリカンブリッジ製造でピントラス式だった。
前後の小さなプラットトラス(2か所)は古いままの様である。
国鉄新潟鉄道管理局「五十年史」によると新しい橋は1978年の土石流災害で被災した信越本線白田切川の復旧に一時使われていたワーレントラスを使用したものである。こちらは盛岡鉄道管理局大船渡線に使う予定で現地に搬入済みのものを急遽転用して信越本線で使用し1982年まで信越本線で用いられていたものを磐越西線に転用したものである。
(五十年史第6編施設より P303~305参照)
鹿瀬駅の碑には落下直前のイラストが描かれていた。
橋は更新されても全体的にクラシックな雰囲気があるので撮影名所となっている。
おまけ1、 赤いつり橋・・・かつての津川方面への道 一度だけ渡った記憶が・・・
おまけ2、鹿瀬駅前の古い建物 かつての旅館だろうか? この駅付近は意外に新しい建物も多い。