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2021年4月19日月曜日

春雨菜の花~寺泊展示あれこれ

2021年4月17日 越後線寺泊 

この駅の待合室に越後線と越後交通長岡線の資料が展示されている。地元の方々の寄贈によるもので以下の通り。

寺泊駅跨線橋改築のため一時的に構内に踏切が設置され渡る人々の様子とキハ45(朱5号1色)

キハ58キハ28の急行「ひめかわ」越後線を走る唯一の急行列車だった。

弥彦山を背にキハ35キハ17キハ20キハ35(朱5号)午前中列車のようだ。

DE10牽引のワフ、ワム、トキ、ヨの短編成の貨物列車。

寺泊駅で気動車列車の交換の様子

485系中越地震の迂回快速列車

越後交通長岡線さよなら列車

他に越後交通長岡線寺泊新道駅や大河津駅付近のようす。大河津駅跨線橋設置工事、年表など数は多くないが濃い内容のものが展示されていた。

越後交通長岡線があったころはこの界隈拠点駅ということで賑わっていた。駅付近には多くの店が並びこの駅を拠点に各地へ移動する人の流れがあった。


 

越後線が電化になったのは1984年4月8日 電化は極めて簡易のもので行われH鋼や直接吊架式架線、多くは改造車の115系 国鉄時代末期の緊縮財政を映し出していた。それよりもこのような輸送の少ない路線が電化になったのが不思議なくらいだった。

寺泊駅前にはタクシーや旅館兼割烹などがあり賑わった時代を伝えているがかなり立派な建物が廃墟になっていて衰退しつつあるローカル線の駅前の深刻さを思わせていた。

駅前のバイパス道路には菜の花がさいていた。遠くに見える山桜とともに。


2019年8月1日木曜日

越後交通 ED401

1980年4月 越後交通西長岡車庫 デッキ付機関車と凸型機関車が待機。
1995年4月に廃止されるまで貨物専用路線として運用されていた。

2019年1月7日月曜日

115系N40編成と越後交通廃線跡

2019年1月6日 225M 115系N40編成
EF510-23の4075レと並ぶ。貨物列車もようやく一部列車が運転開始。
寺泊に着いた115系N40編成
115系N33編成と並ぶ  どちらも車内は原型。
越後交通長岡線 大河津駅のホームの跡
かつて使われていただろう線路の跡
折れ曲がった信号機  廃線から40年以上が過ぎても痕跡を残す。





2018年4月2日月曜日

越後線寺泊駅付近の越後交通長岡線の遺構

2018年4月1日 越後交通長岡線の廃線跡 越後線寺泊駅付近にて。道路と交わったあたりで線路はなくなっている。
人家の陰に隠れるように線路が見え隠れ
寺泊駅の方向 ブロックが埋め込まれて生活道路になっている。線路もこのまま残ってくれていた方が・・・・
線路が無くなるあたりには水仙が咲いていた。
かつての越後交通長岡線の大河津駅のホーム跡 架線柱の残骸が。
越後交通寺泊線の跡地は柵で囲まれた。 湘南色は115系N38編成。
倒れた信号機は今年も健在だった。

越後交通長岡線の廃線遺構を見ることができうれしく思う。









2018年4月1日日曜日

越後線と弥彦線の115系

2018年4月1日 弥彦線燕付近 227M   N35とN40の6連である。115系の6連は越後線1往復(新潟~吉田~柏崎)と弥彦線1往復(東三条~吉田)
越後線寺泊にて 左手N34は吉田行き(129M)、右手N38は新潟行き(139M)である。
時間がかなり空くので越後交通線の廃線を眺めてから吉田へ。
飯豊の山を背に115系6連の226M吉田行きが。弥彦線では唯一の開けた場所である。
耕される前の水田。すでにあちらこちらでトラクターが動き始め今年の稲作が始まろうとしている。
分水付近の寺泊発新潟行き139M N38 
弥彦山を背に走る。かつてEF64のお座敷があった時よくここで撮影していた。それ以来かもしれない。

おまけ~春の花々
東京など関東、富山で桜が満開というが越後の地ではようやく梅が咲いた。
今年は春が遅いがいきなり暑くなる傾向がある。桜が咲いても短命なのでは・・・
寄せ植え・・・・いままでは白い世界で3月なり雪が消えて土のみの正解だったがやっと花が咲き華やかになってきた。
つつじ・・・・保内の緑化木農家が育てたものである。
道の駅にて。
雪割草~ピンクと紫
雪割草~白









2017年6月27日火曜日

越後交通長岡線 寺泊新道~寺泊駅跡

2017年6月18日  越後交通長岡線 寺泊新道付近  バス停である。
駅舎は左側にあった。かつてはここからさらに寺泊の街方面に線路が伸びていたが1966年水害のために廃止されている。


今も残る廃線の橋梁  寺泊新道から寺泊へ行く途中のものであろう。
寺泊海水浴場という駅がスイッチバックで存在してそこで折り返して旧寺泊駅に向かった。
これ以外の痕跡は見つけることでできなかった。

2017年6月25日日曜日

廃線が済んだら廃線だぜ~越後交通長岡線寺泊~大河津界隈

2017年6月18日 くびき野レールパークから帰る道中国道352号~402号線で寺泊へ。ここから越後交通長岡線の廃線の跡を少したどってみた。 寺泊新道付近から廃線跡の道路を経由。道幅が狭い箇所が多い。
越後線の寺泊駅(かつて大河津)との合流点で越後交通長岡線の大河津~寺泊間が昭和48年(1973)年4月16日に廃止になるまで越後線との平面交差区間があり25mを共用していた。(越後線が国有化以前から)越後交通は国鉄に通行料を払い、 国鉄のダイヤ改正ごとに越後交通の長岡線もダイヤを修正していた。
架線柱は廃止後すでに40年は経過しているがまだ残っていて驚いた。右手の道路は越後線の踏切りに向かう。架線柱の下は線路は撤去されていた。
 越後線の寺泊駅の裏手で越後交通長岡線の大河津駅跡地。整地中。線路や信号機の残骸がある。
 越後交通長岡線の大河津駅のホーム跡。昨年くらいまで雑木が生い茂っていたのでホームを見ることはできなかった。
 越後線の寺泊駅本屋をのぞむ。
 整地作業が始まったということは跡地を活用するということであろうか?あるいは売却か?
 JR越後線の寺泊駅から国道116号線を通過して与板方面に移動した付近。
こちらの廃止は昭和50年(1975年)4月1日。廃止の時点でも年間100万人程度の旅客輸送はあったと言われている。
廃止区間は大河津~西長岡の旅客輸送と越後関原~西長岡の貨物輸送。

見事に線路が残っていた。踏切の跡である。道床は線路が外されて枕木が少々。



平成の初めころまでは越後線寺泊の駅構内から越後交通長岡線の廃線がよく見え、国道116号も立体交差区間があり、このあたりも線路そのものがしっかり残っていて架線柱も存在していた。


いまは線路の撤去も進んで道床だけになり一部はそれもなくなっているといわれている。
越後交通長岡線の廃線の撤去が進まなかったことについてもいくつか説があるとされている。
通説は撤去費用が関係しているといわれているが1975年頃はオイルショックの時代でもあり要請があれば復活できる体制を温存しておくともされていた。

それからさらに30年以上経過していよいよそんな話も伝説になってしまった。鉄道を駆逐した自動車の方も進歩して今後は石油燃料に必ずしもよらないものも出てくると思われるし、沿線人口は急速に過疎化が進行。

そのため温存してきた線路も劣化が急激でありもはや必要ないものとなってしまったのであろう。


参考文献:新消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 上信越5 越後交通長岡線P65~ ネコパブリッシング2011年2月28日 寺田裕一著