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2024年11月2日土曜日

211系顔特集


 2024年2月11日 中央本線 上諏訪

鉄道ファンの特集に211系顔の車両たちが取り上げられている。

211系が登場したのは1985年度であり暖地向き0番台、ロングシート2000番台、寒冷地向け1000番台、ロングシート3000番台。以降JR東海の5000番台である。

鋼製の113系や115系を見慣れた者にとっては新時代の訪れを感じさせる車両であった。ただ、ロングシート近郊型には少々違和感があったが。

これら211系は在来の113系や115系とともに首都圏の輸送を支えたが2001年にE231系が登場すると脇役に回ることとなった。もちろん113系や115系は引退への花道を進むが。

いまは211系も北関東と長野県の中央本線などの運用が中心で編成も短く全盛期の勢いはない。ただ、風光明媚な地域を走る光景は秀逸と言えよう。

話題にならぬうちに攻めてみたいところである。

2024年8月15日木曜日

EF8181,185系、211系湘南色





 

EF8181〔田〕寝台特急「ゆうづる」185系「新特急たにがわ」211系中電

これらの車種が8月13日未明の上野駅に集結したという。

現在のトレンド高額撮影会である。もっともこれだけのメンバーを集めることは難儀でありけっして高額ではないと考える。

もう先は長くなく今後このような企画を行うことも不可能になるからだ。

2024年2月20日火曜日

残照・夕景・「北陸浪漫」~記憶に帰る旅 213系5000番台、211系、383系、W7系

2024年2月11日 213系5000番台 車内 転換式クロスシート

転換式クロスシートの異例の2扉電車213系5000番台を愛でる旅。置き換えで数年後にはこの世からいなくなると言われている少数派の車両。まだ誰も眺めている者は私のほかにいなかった。JR東海の区間ではそれなりに記録に励む方はおられるのかもしれないが。

先達の関西急電クモハ53を思わせる2扉の車体はその後80系湘南型、153系湘南型などの優等型と近郊型ながら117系「新快速」型に進化をしていった。

213系の本来の配置先の関西本線、近郊型で3扉の211系などが相当であるところ当該形式があてがわれたのは競合する近鉄への対抗手段だったと言われている。国鉄末期に造られた岡山地区配置の213系のアップグレード版として登場したが2扉では客扱しにくく、JR東海の新鋭313系などに交代して飯田線で余生を送ることになった。

戦後関西本線自体が名古屋~伊勢、近畿への名阪ルートでは主流ではない時代が長く続き「栄光の時代」と言えるものではなかった。そこから飯田線への転用。人知れず生まれ人知れず移転して人知れず消える。213系5000番台の生涯は「栄光」とは無縁となりそうである。


 

残照を側面に受ける211系。中央本線普通列車は高尾まではこの形式が主流。211系は1986年から東海道本線、東北本線、高崎線で113系や115系の置き換えとして登場。現在はE231系、E233系に置き換えられ中央本線や高崎地域の北東部の区間に活躍の舞台を移している。いわゆる都落ちである。こちらはまだ後継形式への置き換えの話題はない。

 


 高尾から松本に向かう211系6連普通列車。地方路線の最大両数は6連なのか?
たい岡谷~塩尻間は211系クロスシートに乗車できた。晴れていても夕方になると風が冷たくなり体温を奪われていったのでクロスシートの車内は暖かく感じた。この列車で塩尻まで戻る。この日は213系000番台を愛で、211系も見るだけ見て帰ることになった。かつて若かりし頃真冬の北陸本線で旧型客車を飽きるほど愛でていたころを思い出した。

列車は塩嶺トンネルを抜け塩尻へ。来るときはバタバタして何も見ることはできなかったが、1981年春に急行「ちくま」で来たときは旧駅(塩尻大門)でここでスイッチバックした。駅舎もホームもくすんだ感じで蒸気機関車がどこかにいそうな感じだった。篠ノ井線に入りリンゴ畑の中を進むころすがすがしい信州の空気を感じた。


 中央西線「しなの」17号

1983年冬に塩尻に来たときはすでに現在の駅になっていた。急行「ちくま」で降り立ち、新宿行き普通列車115系横須賀色で中央東線に乗り換えた。まだ塩嶺トンネルはなく旧線経由だった。東塩尻で交換が行われた記憶がある。

塩尻で特急「しなの」に乗り換える。14分の時間内にトイレに行って、列車内で食べるものを買う。特急「しなの」車中からは暮れなずむ北アルプスの山塊が間近に望めた。手前に梓川が流れさらに手前に国道19号が走り、新旧の建物が並ぶ。国道19号と20号の分岐点は塩尻にあり左手「東京・甲府」右手「名古屋・木曽福島」の標識(当時)を見たときは旅情を感じた・・・

姨捨の手前から眼下に善光寺平の街灯りが広がる。函館の夜景には及ばないかもしれないが見事な夜景が迫ってくる。383系特急「しなの」はカーブが多い山腹に車体をくねらせ善光寺平に降りていく。鮮やかな光景が終わって篠ノ井に着き、信越本線に入って長野到着。

長野での383系 クモハ383‐13

長野での乗り換え時間も短くすぐに新幹線乗場に。


 

w7系金沢行き「はくたか」 長野駅

わずか9分の乗り継ぎ時間で「はくたか」517号に乗り換え。ホームは混雑しておらず、その中を列車が到着。長野ではかなりの人が降りていった。

列車は18時9分定刻発車。この列車はJR西日本のW7系で「北陸浪漫」のメロディが流れ自動放送が流れた。新潟県中越に住んでいるとJR西日本のエリアは大糸線であり普段はかかわることがないエリアになっていた。もちろんJR東海も。北陸新幹線開業後は日本海縦貫線が消滅して他社とのつながりが絶たれ、孤立した。遠距離の移動は新幹線だけが現状。在来線は新潟支社のものしか見かけなくなってしまっている。この点においては在来線で首都圏や名古屋、豊橋などに出かけることが可能な中央本線沿線の地域がうらやましい。

飯山ではスキーに向かうアメリカ人が多数下車。山の彼方にスキー場の明かりが見えた。志賀高原や斑尾高原は人気が高いようだ。USA飯山シティといった印象だった。

列車が動くと「北陸浪漫」のメロディが流れる。今は亡い谷村新司の曲のアレンジ。

上越妙高駅は13時31分着。ここで帰路の2分の1が終わる。さらに残り2時間を普通列車で乗り継いで帰宅した。「東京へ行くより遠い」長野県諏訪地域への訪問が終わった。

 

2024年2月19日月曜日

ジャンクション~岡谷

2024年2月11日 中央自動車道 岡谷ジャンクション

JR東日本中央本線をまたぐ高架道路。左手は東京・諏訪E20の標記、右は名古屋・飯田E19の標記。東西の分かれ目である。

中央自動車道は木曽路を通らずに天竜川沿いに飯田まで走り、中津川で国道19号と接近して名古屋に向かう。


 

岡谷駅舎と岡谷ジャンクション 谷を効果でまたぐ。

岡谷を通過する松本方面行き特急「あずさ」 岡谷は中央本線みどり湖経由の現本線と辰野経由の旧本線との分岐点。

1983年7月にみどり湖経由の新線ができるまでは辰野を経由して塩尻に向かっていた。大八回りという地元政治家にあやかった呼び名で知られる。我田引鉄の典型として知られるが当時の土木技術では塩尻峠にトンネルを通す(または線路そのものを敷く)ことが不可能だったため辰野を経由したなどの説がある。

辰野経由の旧線は現在飯田、豊橋方面の列車が中心である。そのためJR東日本でJR東海の213系5000番台を愛でることができるわけ。


 辰野方面からのJR東海313系 この列車の線路がかつての中央本線。

 


2024年2月18日日曜日

普通列車高尾行き~在来線が元気な長野県諏訪地域

211系長野色 N607 436M 高尾行き普通列車 岡谷
313系
上りE353系「あずさ」

新幹線を持たない長野県諏訪地域 1時間に1から2本の特急「あずさ」、211系の中央東線普通列車、JR東海飯田線直通の313系など活気があり楽しい区間。ここから都心までは220キロくらいで新潟県より近い。名古屋も同様と考える(塩尻で乗り換えであるが)

ただ近年の傾向として同じ系列の車両が行ったり来たりなので単調に感じるかもしれない。

(ミニ新幹線沿線とどこか似ているように思う)

211系普通列車は長野、松本方面と、上諏訪、茅野、小淵沢、甲府、塩山、大月、高尾とバラエティーに富んでいる。普通列車で越境できるの面白い。諏訪地域と山梨はそれほど離れていないようだ。

飯田線直通は豊橋への直通があることが楽しい。数年で引退すると思われる213系5000番台と主力313系 。

貨物列車はあまり見かけずEH200の石油返空を見ただけだった。このあたり貨物列車が局地輸送に限られるためかもしれない。

同じ長野地域でも長野・上田地域は新幹線と第三セクターしなの鉄道に挟まれて旧信越本線区間は普通列車での越境は できなくなった。上りは軽井沢で線路が途切れ、下りは妙高高原ではねうまラインと乗り換えのためである。

高尾行き普通列車を見ているとかつて存在した長岡~上野間の長距離普通列車を思い出す。


 

2024年2月14日水曜日

213系5000番台を見聞する~JR東日本上諏訪


 2024年2月11日 中央本線上諏訪  213系5000番台

上諏訪駅電留線で夕方まで待機する。背後のビルはホテルなど。諏訪地域は諏訪湖、諏訪大社、温泉など観光地に恵まれ、精密工業が発展し、味噌や蕎麦などの食料品の生産も盛ん。

中央本線沿線は特急「あずさ」が東京への足となり211系の普通列車が周辺地域への足として活躍する。JR東海の車両は伊那、飯田地域へつながりさらに遠く愛知県豊橋まで運用されている。

台車はTR225B、DT50B ボルスタレス台車。 213系5000番台の配置は「海カキ」つまり大垣車両区。


 

クモハ213-5013の表示 背後にはマンションやホテルが多く立ち並び都会の風情となっている。

クハし213-5013のトイレ付近。関西本線時代はトイレは設置されていなかったが、飯田線転用のため設置がされた。

トイレは大型化されている。トイレを出たところには座席はない。車いすスペースとなっている。


 

長野色211系と並ぶ。

 

2024年2月13日火曜日

JR東海213系5000番台に邂逅する旅

2024年2月11日(建国記念の日) 中央本線 岡谷~川岸 213系5000番台(海カキ)

213系はJR西日本の「マリンライナー 」での活躍が知られている。国鉄の末期に登場し、岡山に配置。211系と同様な近郊型ながら2扉で車内は転換式クロスシートの異例の車両。瀬戸大橋線の花形として後継形式が現れるまで走り続けた。

その213系の設計を引き継いだ転換式クロスシートの5000番台が1989年(平成元年)登場した。本形式は2連が14編成28両の少数派。あまり話題になることない形式。当初は関西本線の165系を置き換えて近鉄に対抗した。のちに313系が投入されると飯田線へ転属して119系に代わって運用される。

上諏訪駅の留置線  左手は211系ロングシート車 お昼頃上諏訪に到着し一旦休息

213系5000番台がJR東日本中央本線に乗り入れていることが判明したので見てみたいと思っていた。転換式クロスシートとは無縁のJR東日本管内で走っているということで乗車してみたいと考えていたがなかなか実行に移せないでいた。実は213系5000番台は1996年の夏に豊橋付近の東海道本線で見かけているが211系と誤認し記録できなかった。

飯田線は40年前までは戦前製の旧型国電が多数走ることで知られていたが1983年に119系電車に置き換えられた。以降は極端に古い電車が走ることはなくなった。しかし119系も単行運転可能なように改造されたり、213系5000番台のように前職を追われた車両が配置される路線のイメージが付きまとっている。

213系5000番台も2扉で戦前製のモハ53あたりを思わせる。しかしJR東海関西本線ローカル用の213系5000番台に関しては華々しい歴史はない。211系の変形車てきな印象である。

この213系5000番台は315系電車の増備でねん出された313系などに置き換えられて姿を消す時が近いと言われている。

現在は211系の置き換えが行われているがそれが終ると本形式に置き換えが及ぶと言われている。

この213系5000番台の 諏訪地域での記録はだいぶ前から考えていた。

昨年夏に諏訪や伊那を訪れることを検討したが台風などで運休が早々に発生し手が出せなかったが、ようやく時間が取れたので記録に出ることにした。

新潟から長野県諏訪地域は東京に行くより遠い。信越本線始発で乗り換え2回で上越妙高。ここで北陸新幹線で長野まで行き特急「しなの」で塩尻。さらに中央線乗り換えで岡谷着が11時過ぎ。岡谷から上諏訪まで213系5000番台に乗ってJR東日本区間での転換式クロスシートに着座して諏訪の風景を眺め、上諏訪で入れ替え作業と211系との並びを見聞して上諏訪名物の足湯につかり、午後の2本を岡谷で見聞、記録し、来たコースをたどって帰るスケジュールとした。往路5時間30分、復路4時間20分、結構な長旅だったが充実した時間を堪能した。

見ることがかなった213系5000番台は以下の3編成

219M岡谷11時58分、上諏訪12時8分 上諏訪15時26分豊橋行き570Mに充当岡谷15時36分発。213系H13編成

223M岡谷15時着 豊橋行き568M岡谷15時46分着 213系H6編成

225M岡谷15時55分発上諏訪16時5分、茅野16時12分着 213系H5編成

他にJR東日本211系長野色も多数見聞できた。