村上駅を出て少し行った場所に直流1500Vと交流2万V 50㎐の切り替えデッドセクションがある。
電源切り替えはEF510牽引貨物列車とE653系「いなほ」のみ。普通列車はすべて電気式気動車GV-E400の運転であり 架線電流の切り替えが問題になることは無い。
電源切り替えはEF510牽引貨物列車とE653系「いなほ」のみ。普通列車はすべて電気式気動車GV-E400の運転であり 架線電流の切り替えが問題になることは無い。
かつての男鹿線はDD51牽引の20系快速、一般客車列車、DD51牽引原油輸送、最近まではキハ40型の7連などで知られていたが、今は架線のない区間を走る電車の時代となっている。
秋田総合車両センターでポツンと1両583系クハネ583が。引退はかなり昔と思うがまで解体されないで残っていた。左手には直流電車E233系中央線色も。ほかに255系やE701系の中間車らしきものも・・・・
かつては国鉄色電気機関車もこの付近で見かけることがあったようである。JR東日本移行後は工場に関しては直流や交流の区別を行っていないようで首都圏を走る列車が入場して修繕や改造を受けることは当たり前に行われているという。
昨年秋まで185系だった「谷川岳もぐら」「谷川岳ループ」は現在E257系に置き換わった。そのため撮影者の姿もほとんどなかったが遠く埼玉県からお越しの男性がおられたので、談話しながら撮影を楽しんだ・・・話の始まりは包丁の件で・・・燕三条の物産施設で包丁をお買い求めだったがまだ使う機会がないとかで・・・その後は上越線の話題で楽しい時間を過ごした。無線レシーバーご持参のため接近放送を聴きながら列車の接近を待った。
E257系「谷川岳もぐら」」の乗客はかなり多くこの方々が越後湯沢に向かわれたようだ。
新潟~高田間運転 高田観桜会への列車。通常は新潟~酒田間列車で信越本線での運用はないがこの時期に限り運転される。平日でまだそれほど開花はなかったと思うがそれなりの乗車があった。
週末運転のE653系「しらゆき」の臨時運転は行われない。
E231系は近郊型と通勤型を統合した一般型となった。一部にボックス席や二階建てグリーン車が連結されて近郊型仕様をアピールしている。 これらは新津で造られたものである。
用事を済ませ帰りの新幹線に乗るまでの間、日本海側では見られない(新製出場などを除く)長大編成の近郊列車をしばらくの間眺める。
都会を行きかう列車を眺め日没前の新幹線で帰路に就いた。
新秋津へ行くために乗り換えた電車。現在武蔵野線には209系500番台とE231系が用いられている。いずれもほかの線区からの転入であり、かつては205系や103系の時代もあった。
209系500番台はE231系への移行期の車両で車体が広くなっている。違いは機器の違いであり容易に見分けられない。E231系はそれまでの通勤型と近郊型を統合して一般型としたものでこれも前面スタイルにバラエティがある。
209系500番台とE231系は車体が同様で見分けにくい形式となっている。
下り秋田新幹線 「こまち」
1985年に通勤新線として開業した「埼京線」今年で開業40年を迎える。大宮~赤羽間は東北新幹線に並行して走る。東北新幹線の上野駅開業から本年で40年である。
車両は当初103系、205系と使われいまはE233系が走る。
JR東日本中央本線をまたぐ高架道路。左手は東京・諏訪E20の標記、右は名古屋・飯田E19の標記。東西の分かれ目である。
中央自動車道は木曽路を通らずに天竜川沿いに飯田まで走り、中津川で国道19号と接近して名古屋に向かう。
岡谷駅舎と岡谷ジャンクション 谷を効果でまたぐ。
岡谷を通過する松本方面行き特急「あずさ」 岡谷は中央本線みどり湖経由の現本線と辰野経由の旧本線との分岐点。
1983年7月にみどり湖経由の新線ができるまでは辰野を経由して塩尻に向かっていた。大八回りという地元政治家にあやかった呼び名で知られる。我田引鉄の典型として知られるが当時の土木技術では塩尻峠にトンネルを通す(または線路そのものを敷く)ことが不可能だったため辰野を経由したなどの説がある。
辰野経由の旧線は現在飯田、豊橋方面の列車が中心である。そのためJR東日本でJR東海の213系5000番台を愛でることができるわけ。
新幹線を持たない長野県諏訪地域 1時間に1から2本の特急「あずさ」、211系の中央東線普通列車、JR東海飯田線直通の313系など活気があり楽しい区間。ここから都心までは220キロくらいで新潟県より近い。名古屋も同様と考える(塩尻で乗り換えであるが)
ただ近年の傾向として同じ系列の車両が行ったり来たりなので単調に感じるかもしれない。
(ミニ新幹線沿線とどこか似ているように思う)
211系普通列車は長野、松本方面と、上諏訪、茅野、小淵沢、甲府、塩山、大月、高尾とバラエティーに富んでいる。普通列車で越境できるの面白い。諏訪地域と山梨はそれほど離れていないようだ。
飯田線直通は豊橋への直通があることが楽しい。数年で引退すると思われる213系5000番台と主力313系 。
貨物列車はあまり見かけずEH200の石油返空を見ただけだった。このあたり貨物列車が局地輸送に限られるためかもしれない。
同じ長野地域でも長野・上田地域は新幹線と第三セクターしなの鉄道に挟まれて旧信越本線区間は普通列車での越境は できなくなった。上りは軽井沢で線路が途切れ、下りは妙高高原ではねうまラインと乗り換えのためである。
高尾行き普通列車を見ているとかつて存在した長岡~上野間の長距離普通列車を思い出す。
自由席は先頭の8号車と7号車の2両。
特急「しなの」は381系の時代から見ているが乗車は初めて。
長野を出た特急「しなの」は北陸新幹線を左に見つつ篠ノ井まで信越本線を走り、安茂里付近では松本へ向かう国道19号と並走し、川中島へ。この付近多数のりんご果樹園を車窓にながめて篠ノ井へ。篠ノ井でしなの鉄道線と別れて単線で山伝いに進んでゆく。三大車窓「姨捨越え」が近づく。稲荷山で盆地から山間に分け入る。右手は険しい山岳地帯、左手に雪が残る善光寺平が望め、列車は振り子を効かせて高度を稼いでいく。
桑ノ原信号場を通過したあたりで車内改札(自由席のみ)さらに進んでスイッチバックの姨捨を右手に左手は善光寺平の眺めが広がる。そこを過ぎると冠着へ向かっていく。篠ノ井から松本までは時刻表では停車しない(しなの8号)が坂北では上り列車と交換で数分の運転停車があった。昭和の時代には長野自動車道がまだ完成していなかったが現在は高速道路が並走し印象が変わった。県道が国道となり403号の標識があった。新潟~松本間の国道であるが全線走破は難しそうである。
383系も姨捨や冠着、坂北付近ではそれほど速度は上がっていないようだったが、平坦区間ではかなり速度が速くなったように感じた。
西条を過ぎて新たなトンネルでかつてあった信号場をスルーして明科へ。ここから住宅が密集し右手に梓川その奥に安曇野さらに北アルプスを眺め(電線や樹木で撮りにくい)、田沢駅を通過し松本に入る。
松本の手前に大糸線北松本駅がありここに戦前型電車が多数配置の北松本支所があったがいまは痕跡もない。 姨捨は昭和の頃まではよく訪れた場所だったが平成になると転職したこともあって時間がとりずらくなり来ることもなくなった。松本駅もおよそ38年ぶりに見たことになる・・・・
上諏訪駅電留線で夕方まで待機する。背後のビルはホテルなど。諏訪地域は諏訪湖、諏訪大社、温泉など観光地に恵まれ、精密工業が発展し、味噌や蕎麦などの食料品の生産も盛ん。
中央本線沿線は特急「あずさ」が東京への足となり211系の普通列車が周辺地域への足として活躍する。JR東海の車両は伊那、飯田地域へつながりさらに遠く愛知県豊橋まで運用されている。
台車はTR225B、DT50B ボルスタレス台車。 213系5000番台の配置は「海カキ」つまり大垣車両区。
クモハ213-5013の表示 背後にはマンションやホテルが多く立ち並び都会の風情となっている。
クハし213-5013のトイレ付近。関西本線時代はトイレは設置されていなかったが、飯田線転用のため設置がされた。トイレは大型化されている。トイレを出たところには座席はない。車いすスペースとなっている。
長野色211系と並ぶ。
213系はJR西日本の「マリンライナー 」での活躍が知られている。国鉄の末期に登場し、岡山に配置。211系と同様な近郊型ながら2扉で車内は転換式クロスシートの異例の車両。瀬戸大橋線の花形として後継形式が現れるまで走り続けた。
その213系の設計を引き継いだ転換式クロスシートの5000番台が1989年(平成元年)登場した。本形式は2連が14編成28両の少数派。あまり話題になることない形式。当初は関西本線の165系を置き換えて近鉄に対抗した。のちに313系が投入されると飯田線へ転属して119系に代わって運用される。
上諏訪駅の留置線 左手は211系ロングシート車 お昼頃上諏訪に到着し一旦休息213系5000番台がJR東日本中央本線に乗り入れていることが判明したので見てみたいと思っていた。転換式クロスシートとは無縁のJR東日本管内で走っているということで乗車してみたいと考えていたがなかなか実行に移せないでいた。実は213系5000番台は1996年の夏に豊橋付近の東海道本線で見かけているが211系と誤認し記録できなかった。
飯田線は40年前までは戦前製の旧型国電が多数走ることで知られていたが1983年に119系電車に置き換えられた。以降は極端に古い電車が走ることはなくなった。しかし119系も単行運転可能なように改造されたり、213系5000番台のように前職を追われた車両が配置される路線のイメージが付きまとっている。213系5000番台も2扉で戦前製のモハ53あたりを思わせる。しかしJR東海関西本線ローカル用の213系5000番台に関しては華々しい歴史はない。211系の変形車てきな印象である。
この213系5000番台は315系電車の増備でねん出された313系などに置き換えられて姿を消す時が近いと言われている。
現在は211系の置き換えが行われているがそれが終ると本形式に置き換えが及ぶと言われている。
この213系5000番台の 諏訪地域での記録はだいぶ前から考えていた。
昨年夏に諏訪や伊那を訪れることを検討したが台風などで運休が早々に発生し手が出せなかったが、ようやく時間が取れたので記録に出ることにした。
新潟から長野県諏訪地域は東京に行くより遠い。信越本線始発で乗り換え2回で上越妙高。ここで北陸新幹線で長野まで行き特急「しなの」で塩尻。さらに中央線乗り換えで岡谷着が11時過ぎ。岡谷から上諏訪まで213系5000番台に乗ってJR東日本区間での転換式クロスシートに着座して諏訪の風景を眺め、上諏訪で入れ替え作業と211系との並びを見聞して上諏訪名物の足湯につかり、午後の2本を岡谷で見聞、記録し、来たコースをたどって帰るスケジュールとした。往路5時間30分、復路4時間20分、結構な長旅だったが充実した時間を堪能した。
見ることがかなった213系5000番台は以下の3編成
219M岡谷11時58分、上諏訪12時8分 上諏訪15時26分豊橋行き570Mに充当岡谷15時36分発。213系H13編成
223M岡谷15時着 豊橋行き568M岡谷15時46分着 213系H6編成
225M岡谷15時55分発上諏訪16時5分、茅野16時12分着 213系H5編成
他にJR東日本211系長野色も多数見聞できた。
ハイブリッド機関車。登場してから相当経つが今頃初見。ヤードの奥には武蔵野の風景が広がる。
新秋津で209系2連とクモヤ145を見かけた。怪しい車両に心を惹かれる。
八王子に着いたE231系はすぐに折り返し大宮行きになる。右手はE353系「かいじ」この日見かけた貨物列車
大宮東北下り EF210〔新〕 3083レ
大宮東北上り EF210-328 5582レ 石油 300番代初見
武蔵野線 EH500 南浦和方面
八王子 上り EF210 86レ 石油
EF210-170 石油間合い
EH200-4 80レ石油
EH200 8092レ石油
2024年1月20日 サロE233 中央線豊田
E233系特快で西八王子から新宿経由で山手線大崎に向かう。西八王子駅はみどりの窓口はなく遠距離切符も指定券も自動券売機で買わなければならなくなっていた。東京都内の駅も窓口がなく不便になったと叔母が言っていたことを思い出した。スマホでの購入が増え窓口もあまり利用されなくなりそれにコロナが加わって合理化が一気に進んでしまった。
西八王子からの乗車はさほど多くないが、八王子から大勢の乗り込みがあり通路も立ち客で埋まった。やや緩めの通勤電車の風情。その先もこのような感じで新宿まで続くことになった。途中豊田でサロE233を見つける。両開き扉の通勤型グリーン車。料金は通常のグリーン車と同じ。ただ東京~高尾の短距離区間。101系、103系、201系と通勤型の主戦場であり、東海道線や横須賀線のようにグリーン車が繋がれることはなかった。もちろん中央線の国電のグリーン車など想像したこともない。「国電区間」の通勤型グリーン車はこんど中央線に来たときは乗車してみたい。(青梅鉄道公園を見てみたいと思うがまだ実現していない)
E233系は「特快」ということで気前よく中間駅を通過して主要駅のみの停車。ロングシートの通勤型から外を見ることは難しいが建て込んだ街並みと時折見える雑木林に武蔵野を走っていることを実感した。叔母は前日はきれいに晴れてあったかだったと言っていた。この日は曇り空で雨が時折降る冬の東京とは思えない天候。
車窓進行方向はE233系と特急の「あずさ」「かいじ」のE353系とすれ違うのみ。三鷹からは緩行線の黄色い帯のE231系も加わってにぎやかになる。(他私鉄の電車もある)
かつて関西へよく行っていたころは207系や223系から485系や683系などを眺め、同じような近郊区間の雰囲気を感じていたことを思い出していた。こちらはもう12年もご無沙汰になってしまった。(当方の好みが秘境でも大都会でもなく近郊という事か?)
中野を過ぎてビルだけが車窓を支配するようになると新宿に到着ここでE235系に乗り換え午後のメインミッションの大崎に向かう。山手線も土曜午後のせいか朝の通勤時間帯並みに混雑していた。原宿や渋谷で人の入れ替えがあったが乗車人数は変わらなかった。
雪の積もる「さいはての地」に住む者は高層ビル群と雪のない冬と都会の雑踏に旅愁を感じる。
西八王子を出てから50分余り大都会のど真ん中の駅大崎に降りる、会場はすぐ最寄りのゲートシティ大崎で行われる。改札を出て連絡通路を会場へ急ぐ。途中「市」が開かれていてアンバランスに感じる。各地から出てきた方々が各地の水産品や農産品を販売されていた。時間が無いので見るだけ。
会場はわかりにくくあちこち降りたり登ったり警備員や警察官に聞き直してようやく会場にたどり着いたときは完全に遅刻していた。
会場に着くとすでに発表は始まっており7名のメンバーが会報をてに発表を聞いていた。いつもはオンライン参加であるが今回はアウェー会場にてライブ参加である。後ろのすいている机に荷を置いて発表を聞く。
商業誌をにぎわしているメンバーがここに3名、オンラインに数名で雲の上の方々。
*当方のこの会合への参加はたとえが悪いが地方競馬の最低クラスの馬(当方のこと)が中央競馬オープンクラス=最上級(会場にいらっしゃった方)のレースに参加するようなものである。(もしくは相撲の序の口が幕内力士と取り組むようなこと)
最初の発表は宮内庁文書館で入手された資料関連の発表で明治天皇の時代の件。
15時に休憩この際に主催者に遅刻したことを詫び、西八王子で作成した自己紹介を記した資料を参加者に手渡す。主催者は叱責するようなこともなく、遠方からの参加を歓迎する旨と自己紹介をお願いします。との指示があった。自己紹介は苦手なのでとにかく資料に記載したとおりに行ったが机の上には冷や汗が多数たまっていた。
今回ライブ参加にしたのはオンラインで解決できない問題がありその解決方法を相談することだったがその件についても解決できた。ふだん聞いているだけで声も上げないものがやってくるとは思ってもおられなかったようだった。会合は17時前に終了し帰宅の途に就く。懇親会のご案内も頂いたが翌日の予定もあり今回は見合わせた。再び遅刻したことをお詫びし再会できることを願い会場を後にした。
新宿方面に走り去るE235系 山手線大崎
会場から大崎の駅に向かう道すがらまだ市が開いていたので、野菜を買う。価格はグラム単位なので市の女性にはかってもらい値段を確定してもらった。
市の裏手には東海道新幹線そして品川の町が広がっていた。日没しイルミネーション点灯し大都会の華やかな夜が始まった。大崎でE235系トップナンバーを見聞。
品川からは東海道本線に並走。慣れ親しんだ電車区や客車区、機関区はなくなったが留置線にはE257系やサンライズ285系があった。山手線の電車は東海道線上り電車や東海道新幹線とひっきりなしにすれ違い東京に到着。
東北新幹線E5系やまびこ 東京駅東京駅17時40分「とき」337号で帰路に就く。車内に荷物を置いて売店で職場の女性たちへのお土産を買い車内に戻った瞬間扉が閉まり列車は動き始めた。車窓には大都会の街灯りが広がった。あわただしい道中の記憶をさらに脳裏に刻むため車窓を眺める。長編成の電車が走る光景とはお別れ、荒涼とした雪原に帰らなければならない。
東京発後車内放送後車内販売の案内がありまだ車販があるとは思わなかったが高崎を出ると車販がやってきたのでコーヒーを飲みながら旅の終わりを感じた。
東京~燕三条間は1時間50分程度。料金のことを考えなければ糸魚川、会津若松、黒姫、小国、村上市山北と同じくらい。もっとも車で下道であれば毎日これくらいの時間をかけて通勤しているが・・・おかげで休日は家事雑用とごろ寝タイムのみでおわってしまう。
燕三条駅には定刻到着。叔母のところに謝辞をつたえるメールを入れるとおつかれさまのへんじが返ってきた。