1960年8月15日富士重工で落成し高松に配置。晩年は長野に転入し飯山線で運用。廃車は1983年1月26日。一灯式シールドビームとバンパーが特徴。
当時は全く意識をしていなかったが長野のキハ55も一癖ある車両が多いようだった。初期車や変形塗装は姿を消したがこの時点でもバンパー付きがいたとは・・・
入れ替え作業で4連となりキハ55204のうしろはキハユニ26、キハ55191、キハ58となって通勤輸送を支えていたのであろう。日中閑散時間帯は2連が中心だったようだ。これらキハ55系も 1985年3月までには静かに引退している。キハ55を撮りに大勢集まったということもなかった。
1982年の十日町駅はほくほく線もまだなく効果ができるであろう場所はヤードが広がっていてワム70000らしき貨車が見えた。車庫にはDD16がいて出番を待っていた。
構内の腕木信号機はすでに消滅していたがローカル線の拠点の風情はまだ健在だった。