2025年1月25日 さいたま市大宮区 鉄道博物館
常設展示のED75に日本海マークが取り付けられた。隣の455系は「ゆのくに」である。
現実にはED75は奥羽本線、455系(475系)は北陸本線が運用区間であり、顔を合わせたことはないが日本海縦貫線ということで・・・・特別サービスに感謝。
ことしは日本海縦貫線(旅客)が消滅して10年が経過した節目の年であった・・・・
常設展示のED75に日本海マークが取り付けられた。隣の455系は「ゆのくに」である。
現実にはED75は奥羽本線、455系(475系)は北陸本線が運用区間であり、顔を合わせたことはないが日本海縦貫線ということで・・・・特別サービスに感謝。
ことしは日本海縦貫線(旅客)が消滅して10年が経過した節目の年であった・・・・
現在この区間はあいの風とやま鉄道の路線で521系の電車で運転されている。長くても4連くらいと思われるので当時でも破格の長大編成であった。
客車は全て青い車体のものが運用され緩急車はオハフ33またはスハフ42、中間車はオハ46、オハ47、スハ42、スハ40といった内容。この列車にはスハ402102が入っていた。
EF70はこのころ3両だけの稼働とされていて13、18、1004が通常動いていた。ただしEF81の運用に入っているものもありあと数両動いていたようだった。この列車はEF81運用にEF70が入っていた。
いずれも廃止まで一か月を切っていて最後の早春を駆け抜けていた。
新津からDD51牽引客車列車で会津若松に到着すると交流機関車ED77や455系急行ばんだいの姿があり、東北地方に来たことを実感した。磐越西線非電化区間は郡山所属の客車列車のほか新潟のキハ35、キハ45なども使われていて会津若松はちょうど信越と東北の結節地点を印象付けた。
ED771は国鉄末期に余剰車両となり廃車されJRには引き継がれなかった。現在は解体されて現存しない。
参考資料 沖田祐作著機関車表から
ED771 日立製作所水戸工場=194091-1 1967-05-12 E75.0tB2B(1067)
車歴;1967-05-12製造→納入;国鉄;ED771→配属;東北支社→配置;福島→
1987-02-07廃車;福島→保存;宮城県利府町「JR東日本利府駅」;ED771→2005-03-00移管保存;宮城県利府町「仙台総合車両センター」;
会津盆地の霧はこの付近まで及んでいた。気温差のある春はこのような光景が見られる。
郡山行き上り普通列車が霧の中から現れた。ED7715に牽引された50系4連。
参考資料 沖田祐作著機関車表より引用
ED7715 三菱重工業三原工場=1784/990=三菱電機 1970-04-28 E75.0tB2B(1067)
車歴;1970-04-28製造→納入;国鉄;ED7715→配属;東北支社→1970-04-28配置;福島
1987-04-01JR東日本;ED7715→配置;福島運転所→1993-09-07仙台電車区→
1993-11-01廃車;仙台電車区
ED7715(福)牽引50系 郡山行き普通列車
春から初夏に移り変わるころ、快晴の空とわずかに雪が残る磐梯山を背に走る。うららかな春の陽気の磐越西線。この日は磐越西線に「サロン会津路 」14系欧風サロンエクスプレス東京の臨時列車を目当てに訪れた。ED7715は当該形式の最終番号機。50系は4両中トイレ付緩急車のオハ50が3両はいる編成だった。客車ではJRマークは緩急車と電源車に貼付されていた。(欧風客車などイベント車は違う規則のようで貼付されていないものも多かった)ED77はJRマークが省略され奥羽本線EF71もなかった。
この日は貨物の運転はなかったが快速あがのは新津のキハ5連が郡山まで運転され急行色と新潟色(115系N37編成色)の混色だった。サロン会津路撮影後猪苗代の書店で「磐越西線」という書籍とアーネストヘミングウェイの遺作「エデンの園」を見かけたが帰りのガソリン代の関係で買うことができなかった・・・・「磐越西線」の書籍は後年入手、アーネストヘミングウェイの遺作「エデンの園」も入手できたが1961年に亡くなってから30年近くなってまだ作品が出版されたことに驚いたものだった。