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2025年10月8日水曜日

EF200-14 マニ30


 1993年8月21日 東海道本線 EF200-14 この日、日銀所有のマニ30が連結されていた。

特に珍しくないのか誰も撮影をしていなかった。 

EF200も1両広島車両所で保管されている。EF200-10であり、EF500-901と運命を共にするという。 

2025年7月21日月曜日

DD51 661急行「おが」


1984年5月5日  奥羽本線秋田 8番乗り場 

新潟から特急「いなほ1号」2011M7時20分発秋田11時24分着そして青森行きの急行「むつ」613Dは秋田11時28分発 青森14時35分着。このダイヤで移動していたがDD51661〔秋〕牽引の20系がやってきたのを撮影してすぐに急行「むつ」に乗り換えた。

秋田駅8番乗り場はご覧の写真を撮影するしかなく、編成などを入れることは困難だった。

このDD51661牽引の 20系客車は季節急行「おが」であり、上野21時24分発6401レ秋田着8時34分秋田から8131レとなって9時発で男鹿着は10時9分。男鹿を10時24分発8132レ秋田着11時26分着の運用だった。上りは男鹿18時36分上野着6時54分である。男鹿線内は普通列車で一部通過駅ありであった。

運用番号は北東1で尾久客貨車区受け持ちで、車両は1980年10月改正まで10系寝台車(A寝台あり)と旧型客車、1980年10月改正以降14系10両編成で運転、1983年7月1日より急行「津軽」の混雑緩和のため「津軽」に使用している20系と交換した。男鹿線の乗り入れは1985年3月14日改正で終了し秋田~上野間の急行「おが」としてJR東日本に引き継がれた。

参考までに手持ちの1992年7月時刻表によると上野22時23分発9405レ北上発5時50分、秋田着は8時49分着 。秋田20時発9406レ北上23時1分、上野到着6時54分であった。すでに山形新幹線があり北上線経由となった。運転日数も少なく旧盆や年末年始の運転であった。

*20系客車としては1992年春臨までで、以降14系に置き換わったものの1994年冬で運転を終えたようだった。最晩年は14系の寝台と座席の混合だった。

 

参考資料 国鉄客車ガイド 1983年交通新聞社、時刻表各号 

2025年6月18日水曜日

梅雨の煙~C57180

2025年6月14日 C57180 8226レ

梅雨空で湿度の高い日。週末運転「ばんえつ物語」が煙を上げて通過。かわり映えしない画像であるが蒸気機関車は煙の出具合で画像のイメージが変わる。通過数分前まで誰もいなかったが、通過間際に数名家族連れが現れて手を振る光景が見られた。体全体を振って手を振る人も。蒸気の人気は衰えない・・・・

考えてみれば蒸気機関車や客車を令和の現在でも眺めることは極めてありがたいことだ。
 

2025年5月3日土曜日

風薫る~ばんえつ物語と羽越本線阿賀野川橋梁

2025年5月3日 C57180 8226レ 煙は奥の杉の木の付近までは爆煙となる。先週末よりは穏やかな日和。新関の駅構内を速度を上げて走る。急客機の走りを楽しめる。
急客機と長い編成の列車。売店にグリーン車、展望車と往年の急行時代を思わせるアイテムが連なる貴重な編成。
羽越本線阿賀野川橋梁 貨物は運休だが新発田行き普通の運用が気になったので。結果はGV-E400系だった。4月から運用が変わったのか?河川敷の水田は田植えが進んでいる。

新津駅で見かけたGV-E400 1号の編成。会津若松行き普通列車。JR初期までは客車列車が運転されていたが今はすべて気動車になり、編成も短くなった。

ゴールデンウイークのためか新津駅はにぎわっていた。
 

2025年4月5日土曜日

EL村上ひな街道 EF81134

2025年3月29日 EF81134 12系 新津ゆきEL村上ひな街道 9822レ

昨年から坂町の転車台が使われなくなり、帰りはC57180牽引ではなくEF81の牽引となった。


 

新津駅に到着して入れ替え中の編成。右手にはDE101700牽引C57180の姿も見える。

12系客車から切り離され回送準備のEF81134 ホームでは多くの人々がその光景を眺めていた。

2025年4月2日水曜日

桜海里2025

2025年4月2日 桜海里の表示あり


 

新潟~高田間運転 高田観桜会への列車。通常は新潟~酒田間列車で信越本線での運用はないがこの時期に限り運転される。平日でまだそれほど開花はなかったと思うがそれなりの乗車があった。

週末運転のE653系「しらゆき」の臨時運転は行われない。

2024年12月30日月曜日

大正14年時刻表~越後鉄道


 復刻時刻表から 大正14年(1925)越後鉄道時刻表

白山~柏崎間と弥彦~燕間時刻が掲載。前年の11月1日現在。大正14年4月1日に弥彦線が燕~一ノ木戸間が開通する。この時刻表ではまだ記載されていない。昭和2年(1927)一ノ木戸~越後長沢間が7月開通し10月には鉄道省に買収。越後線と弥彦線となる。

この時刻表では白山~西吉田間が7往復。西吉田~大河津間7往復、大河津~柏崎間6往復で柏崎~比角間に1往復の運転。2等と3等運賃の記載がある。

弥彦~燕間は9往復の運転でほかに区間運転がある。弥彦線はすでに3等車だけとなっていた。


車両は越後鉄道からの引継ぎ車両で運用されていった。弥彦線は1760型蒸気機関車と木造客車で昭和11年(1936)機械式気動車が導入される。

客車は買収当初は越後鉄道からのものが中心でのちに鉄道院基本型も使われているのか?

新潟支社三十年史の鉄道局の開局の頃のリストを見るとナロハ 11500、ナロハフ11800、ナロハフ11850が計8両、さらに22000系のナロ20700が13両、ナロフ21200が3両、ナロフ21250が5両、全室2等のナロ20700が13両、ナロ20850が1両配置され、新潟局は長野、山形、秋田の各地域も管轄のためどこにどの程度配置があったかは分かりつらいが越後線などだと半室車両で足りると考えられる、おそらくは鉄道院基本型の2等室がロングシートのものが入っていたのかもしれない。

昭和15年の時点では越後線も弥彦線も3等だけになっている。

 

 

 

 

2024年12月28日土曜日

木造客車の黄金時代

2013年1月2日 鉄道博物館 オハ31型車内

昭和に入って木造客車から鋼製客車に進化した。ただオハ31型の車内はまだ木造車と同じレベルであった。板張り背もたれと二重屋根の車内。

昭和11年の新潟局開設時の鋼体客車はオハ32000型 これはオハ31型、スハフ32800型がスハフ32二重屋根、スハフ34400が通常の屋根のスハフ32だった。以降はオハ35系などもラインナップに加わっていくがまだ優等列車用で普通列車には回ってこないようだった。

昭和初期の地方の普通列車はホハ12000型やナハ22000型など木造客車が中心だった。これは戦後の早い段階でも存在していた。木造客車は1950年代に鋼体化改造の種車となって旧激に姿を消していく。
 

2024年9月11日水曜日

スロフ12 102入れ替え~新津駅

2024年9月1日 C57180の汽笛とともに動き出す
展望室には操車掛が乗務 五泉方向に出ていったあと3番線に入線。推進運転で入ってくるので上野駅の雰囲気を思い出す。いまは上野駅も推進運転は見る機会が少ない。

リクライニング座席が3列並ぶ。


展望室部分

スロフも一度は乗ってみたいが指定がとりづらい列車となっている。

2024年7月13日土曜日

オハフ332376 1984年直江津



1984年11月  直江津客貨車区  オハフ332376

1948年2月新潟鉄工で落成。新庄に配置、1963年8月長野工場で電気暖房改造。

以降直江津、長岡、新潟、長岡、新津、直江津という経歴を持つ。 近代化工事は1965年3月3日、体質改善工事B3を1974年5月30日に新津車両管理所で受けている。

2024年7月9日火曜日

大雨で列車が抑止される季節

2013年8月1日  EF81139〔青〕牽引 2022レ「あけぼの」カニ24102

本来深夜通過の寝台特急「あけぼの」であるが豪雨で架線が警戒水位を超えたため抑止され大幅遅れとなった。

いまは寝台特急はすべてなくなりこのような光景を見ることはなくなった。
 

2024年5月18日土曜日

上越線旧型客車列車


 
 1999年8月20日 上越線水上 EF5861 オハニ36スハフ42スハフ42の編成

越後湯沢~水上間運転 「レトロトレイン駒子」

盛夏の水上駅で入れ替えが始まった。EF5861のとなりでは115系が停車中。乗り換え客で混雑していた。

 

2024年5月12日日曜日

新潟駅開業120周年記念列車~EF641053〔群〕旧型客車

2024年5月12日 EF641053〔群〕 9722レ

オハニ3611、オハ472246、オハ472261、スハフ422173、オハ472266、スハフ422234

スハフ422234は青15号塗装。スハフ422173はラウンジカーに改造されている。


 

EF641030 列車の機回しを避けるため新潟車両センター~新潟駅~新津駅の区間連結された。新津で切り離したあと長岡へ回送。一日でEF64を2両見ることができた。

新潟駅ではイベントが行われ、この客車編成も有料撮影会に供されている。

しばらくぶりに充実した撮影をすることができた。このほか準メインで185系の団体列車も45分ほど前に通過している。こちらも昨年以来の見聞。MT54モーターのうなりを久しぶりに楽しんだ。

2024年5月10日金曜日

スハ402102直江津客貨車区


 1984年11月11日 直江津客貨車区

スハ40は35系列スハ42を軽量化してオハ36と改めたのち電気暖房改造で重量が増加してスハ40の形式があてがわれた。 

軽量化は室内の化粧板化で硬質繊維のものに改め、窓枠をアルミに、扉を軽量客車と同じ下降窓付と同じものと交換座席を軽量客車戸同じものとした。

室内灯は蛍光灯(ラビットスタート型超光式)、床下に400VA発電機、連結装置は緩衝器をばねからゴムパッドに変更。重量を2トン程度軽量化しオハ36とした。

オハ36を電気暖房改造した際重量が増加スハ40となった。

近代化改造の礎ともいえる車両であった。

参考文献 鉄道ピクトリアルNo750 特集オハ35系Ⅱ 2004年

2024年5月8日水曜日

直江津客貨車区 オハフ33

1984年11月11日 直江津客貨車区 オハフ33

履歴票を写しに伺った際に許可を得て撮影したもの。左には夜行急行妙高の編成が待機。

構内は狭く、洗浄の台があって個別の形式写真を撮影することはできなかった。
 

2024年5月4日土曜日

直江津客貨車区 救援車


 1984年11月 直江津客貨車区 スエ3126 

種車はスハ32572で1938年10月小倉工場で製造 救援車への改造は1967年8月26日新津工場で行われた。

窓上にヘッダが無い変形車(スハ32系としては)で人気が高かった。

2024年5月1日水曜日

オハフ33 2402~1985年2月直江津客貨車区

1985年2月 直江津客貨車区 車庫にいるのはオハフ332402

この状態では番号などわかるはずはないが、手元にある履歴票の写しを見るとS58.5つまり1983年5月に長野工場で全般検査を行った記録があった。そのため当該車両であることが判明した。

履歴票を写したのはいいが、そこで満足してしまい肝心の車両記録写真を全く撮影していないというお粗末な話・・・・この頃のネガを全部調べたが車両写真はなく機関車中心のものばかり・・・何のために履歴票を写したのかわからなかった。

しかし研究会に入会したおかげで権威ある方から解説を頂くことができた。多数の著作を世に送り出しているW先生。(最近では並みロのすべてという著作がある 詳しくはRMライブラリーを)

この失策が原因でW先生にご迷惑をおかけしたとなると反省しなければならいことだ。
 

2024年4月13日土曜日

ばんえつ物語12系車軸発電機


 2024年4月6日   ばんえつ物語12系 車軸発電機

 12系客車は車内の冷暖房などサービス電源はスハフ12(この編成ではスロフ12も含む)のディーゼル発電機で行うが室内灯、保安機器は車軸発電機による。台車にベルトがあり発電した電気は蓄電池に蓄えられる。KS3N交流発電サイリスタ制御とされている。

14系以降の車両は省略されている。

 

2024年4月2日火曜日

オハ472296~1983年9月

1983年9月 会津若松 新津行き普通 1233レ

会津若松15時46分発新津18時36分着の客車列車。

この日はオハフ33、スハフ32、オハ47、スハフ32 スユニ50の編成。

2両目のスハフ322357に揺られて秋の磐越西線を楽しんだ。新津付近は日没を迎え夕焼けがきれいだったことを記憶している。

オハ472296は当時仙台運転所の所属だったが借入車となって郡山にいたようだった。

客車扉はHゴム大型タイプでオハ47ではこれが標準だったようで、直江津のオハ472029のような木製扉は例外だったという。近代化工事時点ではHゴム扉に交換することになっていたが客車の廃車が進むにつれ余剰が出てときに近代化工事が行われていてもこれらの扉に帰られることがあったという。さらに履歴票にも記載される項目でもないためいつから変更されたかもわからないという。

昨日の研究会のオンラインでの発表はなんとかこなせたが、先輩各位のようなあか抜けた発表はできなかった・・・・

2024年3月25日月曜日

旧型客車の窓枠金属化

1984年2月19日 オハ47 2029
オハ47 2102
オハ472172
 1984年2月に直江津駅で撮影したオハ47型。客車履歴票の写しを眺めていると窓枠金属化の記載がある。

オハ472029 窓枠金属化は1978年7月8日 長野工場

オハ472102 窓枠金属化は1978年3月9日他に室内仕上げ材交換も施行 長野工場

オハ472172 窓枠金属化は1980年5月30日 長野工場

かなり遅い時期まで行われていたことがわかる。これら3両は近代化工事と体質改善工事は行われていてそれよりもあとに窓枠金属化されたことになる。

運用終了は1985年3月ダイヤ改正。