2017年8月13日 JR東日本飯山線十日町
左からキハ100「おいこっと」、キハ40系「越乃*Shukura」さらにキハ110のJR東日本長野支社飯山線色に復刻された2両が。
左「おいこっと」右が「越乃*Shukura」いまの飯山線の看板列車である。
右手の列車から左手の列車に乗り換えて飯山線の旅を楽しめる。
キハ40系「越乃*Shukura」からは多くの観光客が列車から降り立った。みなさんほろ酔い機嫌の方々だった。駅員から歓迎のフラッグを受け取っていた。
2017年8月15日火曜日
2017年8月14日月曜日
2017年8月13日日曜日
キハ110-135
2017年8月12日 新津にて キハ110-135 新津運輸区のキハ110は200番代以降が主流であるが1両のみプラグドアの135号がいる。新津にキハ110が配置されたのは1991年であるが当初はプラグドアの100番代だったが1992年以降の増備で通常のドアの200番代に置き換った。プラグドアのものは水郡線に転属した。
その後2007年に水郡線にキハE130が導入ほかのキハ110系が東北方面に転属する中、1両だけ135が転入してきた。いわゆる「レア」な車輛であろう。さてレアということになるとキハ52を置き換えたキハE120もわずか8両できわめてレアだろう。米坂線を中心に走り回っているがいずれ新型電気式気動車に取り換えられることになるかもしれないので・・・・
その後2007年に水郡線にキハE130が導入ほかのキハ110系が東北方面に転属する中、1両だけ135が転入してきた。いわゆる「レア」な車輛であろう。さてレアということになるとキハ52を置き換えたキハE120もわずか8両できわめてレアだろう。米坂線を中心に走り回っているがいずれ新型電気式気動車に取り換えられることになるかもしれないので・・・・
2017年8月12日土曜日
瀬古龍雄氏に敬意を表して・・・・
2017年8月12日 C57180が出区してきてこれから「ばんえつ物語」編成に連結される場面である。
コンパクト機の白黒モードで・・・
現在秋葉区の新津鉄道資料館では9月4日まで「瀬古龍雄鉄道写真展1~フィルムカメラで追いかけた鉄道の60年が特別展として開催されている。
再び見学してきた。木造客車や2120形式など古典車両などのアルバムが展示されていたのでのんびり眺めてみた。(ほかに各地の私鉄、新潟地震、昭和38年の豪雪、特急ときや急行佐渡運転開始、上越新幹線関連など見どころは多い。
著作は古い鉄道ピクトリアルに戦後間もなくの同人誌も展示されていて撮影に使われた愛機も14台展示されていた。
Minoltaの一眼レフ(マニュアルフォーカス)が5台、CanonEosが4台 さらにRicohのコンパクト機とNikonのコンパクト機、Kodakのスプリングカメラ(セミ判)とメーカーはわからないがスプリングカメラ(セミ判)とマミヤの6X4.5の一眼レフですべてフィルム機だった。
もしかしたらデジタルには手を出されなかったのかもしれない。
以前にも記した通り園芸のプロであると同時に鉄道史研究のプロでもあった氏は明確な撮影方法にこだわっておられた。画質のいい中判機材で形式写真撮影をされ精度が優れているのに驚いたことがある。現像とプリントも自家製だった。印画紙もバライタ紙という定着水洗後にフェロタイプ処理をするものを使われていた。「写真集新潟の鉄道百年」の新潟や新津付近の写真の大半(ただし戦後のもので昭和20年代後半以降)は師のものである。セミ判のスプリングカメラも現像の質がいいと画質の切れが最高によくなる。
撮影された写真は研究文の資料として用いられた。あの名著「新潟の鉄道百年」ほか多くの著作で目にすることも多かったが一貫して記録ということにこだわれた方であった。
筆者は蒸気機関車とは何の関係もなくこの世界に入り込んで今日に至っているが 30年以上前にお会いした当時のことを思い出しながらC57180を撮影した。むろんデジタルであるがモノクロのモードで撮影した。
コンパクト機の白黒モードで・・・
現在秋葉区の新津鉄道資料館では9月4日まで「瀬古龍雄鉄道写真展1~フィルムカメラで追いかけた鉄道の60年が特別展として開催されている。
再び見学してきた。木造客車や2120形式など古典車両などのアルバムが展示されていたのでのんびり眺めてみた。(ほかに各地の私鉄、新潟地震、昭和38年の豪雪、特急ときや急行佐渡運転開始、上越新幹線関連など見どころは多い。
著作は古い鉄道ピクトリアルに戦後間もなくの同人誌も展示されていて撮影に使われた愛機も14台展示されていた。
Minoltaの一眼レフ(マニュアルフォーカス)が5台、CanonEosが4台 さらにRicohのコンパクト機とNikonのコンパクト機、Kodakのスプリングカメラ(セミ判)とメーカーはわからないがスプリングカメラ(セミ判)とマミヤの6X4.5の一眼レフですべてフィルム機だった。
もしかしたらデジタルには手を出されなかったのかもしれない。
以前にも記した通り園芸のプロであると同時に鉄道史研究のプロでもあった氏は明確な撮影方法にこだわっておられた。画質のいい中判機材で形式写真撮影をされ精度が優れているのに驚いたことがある。現像とプリントも自家製だった。印画紙もバライタ紙という定着水洗後にフェロタイプ処理をするものを使われていた。「写真集新潟の鉄道百年」の新潟や新津付近の写真の大半(ただし戦後のもので昭和20年代後半以降)は師のものである。セミ判のスプリングカメラも現像の質がいいと画質の切れが最高によくなる。
撮影された写真は研究文の資料として用いられた。あの名著「新潟の鉄道百年」ほか多くの著作で目にすることも多かったが一貫して記録ということにこだわれた方であった。
筆者は蒸気機関車とは何の関係もなくこの世界に入り込んで今日に至っているが 30年以上前にお会いした当時のことを思い出しながらC57180を撮影した。むろんデジタルであるがモノクロのモードで撮影した。
EF81141ばんえつ物語回送
2017年8月12日 EF81141がばんえつ物語編成を新潟へおくりこむ回送の準備中。長岡から来たEF81が先頭に連結。会津若松寄りにC57180が連結される。
未だ連結されていないがEF81と12系「ばんえつ物語」編成のみのカットを。
来年新潟駅の高架線一部供用開始により「ばんえつ物語」の新潟発着は終了することになるのでこの光景も当然に終了となる。
未だ連結されていないがEF81と12系「ばんえつ物語」編成のみのカットを。
来年新潟駅の高架線一部供用開始により「ばんえつ物語」の新潟発着は終了することになるのでこの光景も当然に終了となる。
まもなく見られなくなる場面
2017年7月8日 8226レ 上りばんえつ物語 C57180と12系
2002年(平成14年)4月より新潟駅発着で運転されてきた「ばんえつ物語」号であるが来年2018年の新潟駅の高架の一部使用開始により乗り入れができなくなるため新津駅発着に戻されることになった。
「ばんえつ物語」号も運転開始当初は新津駅発着であり新潟駅からは165系ムーンライト編成や485系「雷鳥」編成が接続列車として運転されていたがまたそのころに戻るのかもしれない・・・
詳細はJR東日本新潟支社のサイトを。
画像は新津駅近くの踏切りで
2002年(平成14年)4月より新潟駅発着で運転されてきた「ばんえつ物語」号であるが来年2018年の新潟駅の高架の一部使用開始により乗り入れができなくなるため新津駅発着に戻されることになった。
「ばんえつ物語」号も運転開始当初は新津駅発着であり新潟駅からは165系ムーンライト編成や485系「雷鳥」編成が接続列車として運転されていたがまたそのころに戻るのかもしれない・・・
詳細はJR東日本新潟支社のサイトを。
画像は新津駅近くの踏切りで
2017年8月9日水曜日
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