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2024年10月24日木曜日

EF510-507 4059レ 北越コーポレーション




 

2024年10月19日 EF510-507  4059レ

北越コーポレーションのコンテナが連なる。最高速度100Km/h 

寝台特急を思わせる走行音を響かせて走り抜ける。


2024年9月12日木曜日

越後交通栃尾線の跡地

2024年9月1日  旧越後交通栃尾線 工場跡地

土地と建物は現在も越後交通の所有。栃尾線は1975年3月に廃止。現在保存車両は全く無し。ごくわずかに遺構が残るのみ。この工場跡地の他刈谷田川にかかる橋梁跡と栃尾駅舎がよく知られている。

この路線は子供の頃ぼんやり眺めたことがある程度。子供の頃は鉄道に関心はなかったため記録ももちろんない。ただ今は多くの資料が残されていて概要をつかむことはできる。

電化軽便鉄道乗ってみたかったが近くにはない。いまあるのは三岐鉄道北勢線であろうか。

2019年5月24日金曜日

DD51745 磐越西線「野沢臨」

1991年6月 磐越西線馬下 DD51745牽引の12系「野沢臨」
この時期に西会津にある大山祇神社への参拝客を乗せた団体列車。
「山の神様」として親しまれ6月の祭礼には新潟県内各地を拠点に運転されていた。
12系や14系の客車、キハ58などの編成が中心であり大いににぎわっていた。

現在は磐越自動車道の貸し切りバスに移ったようで野沢臨の運転の話を聞かなくなった。

沖田祐作著機関車表から

DD51745 日立製作所水戸工場=20090-5 1971-05-31 D84.0tB2B(1067)
車歴;1971-05-31製造→納入;国鉄;DD51745→配属;旭川局→配置;旭川→
1971-09-11五稜郭→1986-10-24東新潟→1986-10-24長岡→
1987-04-01JR東日本;DD51745→配置;長岡運転所→
2002-07-01廃車;長岡運転区

2018年8月7日火曜日

EF8111牽引501レ「きたぐに」

1981年7月 EF8111〔富山二〕牽引の急行「きたぐに」寝台車はオハネフ12とオロネ10の5両、普通車は12系で6両の体制(富山第二機関区EF81は富山~新潟間の運用だった)
 寝台車は新潟駅で切り離しとなるため終点青森までは12系6連と郵便車の編成となる。

機関車表から
EF8111 日立製作所水戸工場=194371-4 1969-07-04 E100.8tBBB(1067)
車歴;1969-07-04製造→納入;国鉄;EF8111→配属;関西支社→
1969-07-05配置;富山二→1985-04-09(4/1?)田端→
1987-04-01JR東日本;EF8111→配置;田端運転所→
2000-09-25廃車;田端

 初期型EF81も臨時列車で時折縦貫線まで遠征してきたが塗装はJR東日本色=赤1色だった。

2017年8月15日火曜日

おいこっと~十日町駅

2017年8月13日 JR東日本飯山線十日町

左からキハ100「おいこっと」、キハ40系「越乃*Shukura」さらにキハ110のJR東日本長野支社飯山線色に復刻された2両が。
左「おいこっと」右が「越乃*Shukura」いまの飯山線の看板列車である。
右手の列車から左手の列車に乗り換えて飯山線の旅を楽しめる。
キハ40系「越乃*Shukura」からは多くの観光客が列車から降り立った。みなさんほろ酔い機嫌の方々だった。駅員から歓迎のフラッグを受け取っていた。


 

2015年6月7日日曜日

懐かしのトッテツ

 6月6日 見附市のネーブルみつけ多目的広場にて
越後交通栃尾線の廃止40年(1975年4月1日廃止)を記念して開催された展示会に行ってきました。筆者にとっては幻の鉄道である栃尾線に関する資料が多数展示され圧倒しました。
写真や部品など多数。そして往時の栃尾線を知るであろう年配の来客も多数。
ここでは印象に残った資料の一部を紹介します。

 合図灯 
 ジオラマ 電車の色はこんな色だった。
 車掌鞄と帽子それに犬釘
 車掌が使うはさみ。
 列車運転車掌報告  省令で作成が義務付けられている書類
 運転通告券
乗車券(切符)など
 転轍機
 社紋 
 腕章
 栃尾電鉄沿線鳥瞰図
入り口付近で上映の栃尾線に関する記録映画が上映。
印象に残ったのは戦前の雪の中を走る電化前のようす。
雪解けのころ線路が水浸しになっている中を走る蒸気機関車牽引による客車編成。


 写真やパンフレット各種書類を入れたファイルが多数。貴重なものが多く見入ってしまった。
栃尾線は戦後の石炭不足に関連して電化がなされた。762㎜の軌間ながら大動脈として活躍。
長岡市の 悠久山公園もリゾート地として親しまれた。とくに川で泳ぐしかない時代プールは都会的であり喜ばれた。
その一方で豪雪や水害に悩まされていた。昭和38年の豪雪の資料は自衛隊による線路復旧の様子が克明に記録されていた。
今も残る刈谷田川に係る栃尾線の鉄橋。自動車は通れない橋である。
また線路跡も多数目にすることができる。