2021年5月31日月曜日

明治天皇の軌跡~真宗大谷派三条別院 行在所跡

明治天皇は残暑の厳しい下越から中越を9月20日から22日に通過されている。

20日に新発田を出立され水原で昼食、新津に宿泊、21日は加茂で昼食、保内、大崎を経由して三条町の東本願寺別院に宿泊。画像は行在所があったことを示す石碑である。

休憩は地元有力者の屋敷、寺社や学校が充てられた。


 明治天皇来県は歓迎されたが巡幸の道路の整備などが優先され生活道路や橋で損壊箇所は後回しにされたこと、費用の増大が問題になった。県費は予算当初4万円が実際には10万円になったことや行在所近接の貸し座敷業者は費用負担をよく思わなかったとの記録がある。なにより経費の7割近くの負担が地元であった。

さて宮内省の役人近藤芳樹の記した三条の記述

暮れ近くなりて三條につきぬ。ここは富める家もあまたならびて 新潟、柏崎寄り豊かに見えたり。

さるままに学校の生徒も、おとこ、おんな、皆うるわしくよそおいたるが、ところどころにあまたたちならべり。

ここのかくにぎはえるは 信濃川、五十嵐川という大きなるながれあり、上長岡に上りし、

下新潟にくだす。

ふねの竿、鍛冶のおとたゆるまなく、海の辺にこぞあらね、いとたよりよきところなればなり。

 

行在所は東本願寺別院にて大きなる寺なり。


9月21日夕食

つけ焼き鮎、御汁、鱚子、鉢盛(煎揚炙り鯛 丸煮茄子、塩焼興津新しょうが、鰹煮、里芋)葛引胡瓜だいこん 砂糖煮粒小豆)

9月22日朝食

下塩鯛、御汁、ちこ焼き、茄子、煎り上げ鮭、鰹煮だいこん

中食(弁当)

味噌漬け鮭、塩焼き鱸、蕪、ゆり根、握りご飯

調理は保内長泉寺井戸水を使用した。

9月22日は三条を出立、三条橋を渡って松尾与十郎が治水のため明治9年に築いた五十嵐川左岸を半里ほど進んで山手を行く街道へ入り月岡如法寺で天然ガス発生の様子を見聞し昼食の地見附に向かわれた。

宮内庁役人の記述はまだ鉄道ができる前の川港で賑わう全盛期の三条の様子である。

三条市史下巻 1983年 三条市から引用
 

2021年5月29日土曜日

越後路に鉄道ができる前の話~明治11年明治天皇御巡幸

信越本線保内駅近くの保内公園にある明治天皇がここに来られたことを記念する碑。

明治天皇が来県されたのは明治11年9月 保内にご休憩に立ち寄られた。

そのあと西大崎で休憩されて三条市の真宗大谷派三条別院に宿泊される。

保内公園のすぐ前の道路。この道路は長岡から三国街道より別れて丘陵地帯を進んで新発田に向かう。三国中通り街道である。明治天皇来県の時は鉄道は未開業。道路の方も今は生活道路となった丘陵地伝いの狭い道が重要な幹線だった。

当時の御巡幸は馬車と騎馬で行われ、大隈重信と伊藤博文岩倉具視も随行する壮大なもので628人の多数の移動だった。その7割は警備警護要員。

その年5月大久保利通が不平士族に殺害され、動揺しがちな新政府を一本化し地方の人民に天皇制の支配の浸透を図ることを目的とした。

孝子節婦や高齢者に下賜金を与え民心を掌握することに努めた。新潟県は眼病者が多く1000円が下賜された。(三条市史下巻)
 


2021年5月27日木曜日

米坂線今泉駅

2021年5月8日 米坂線 今泉駅 

この駅も木造駅。山形鉄道フラワー長井線との接続駅。

駅は街はずれにあるが宅地化も進んでいる。


 駅前は閑散としているが旅館が2件ある。かつては重要な乗り換え拠点で鉄道も長距離利用者が多かった名残である。

右は山形鉄道フラワー長井線気動車と米坂線のキハ110との並び
 



2021年5月25日火曜日

山形鉄道フラワー長井線~西大塚駅

2021年5月8日 西大塚駅 羽前成田駅と同様な木造駅

改札口

なすが名産のようだ 誰もいない駅時間が静かに流れる。

待合室





2021年5月24日月曜日

山形鉄道フラワー長井線~羽前成田駅

2021年5月8日 羽前成田駅 

NHK小さな旅に登場した駅舎。いまでは貴重な木造駅舎。

駅は現在無人駅である。保存団体「おらだの会」が駅舎を管理している。

この時間は誰もいなかった。

駅の切符売り場と荷物受付場所を。運賃表は達筆なものが掲示されていた。


 いろりのある待合所。

散ってしまった八重桜の花びらと駅舎・・・・
 



2021年5月23日日曜日

まほろば緑道~山形交通高畠駅跡地

2021年5月8日 山形鉄道高畠駅舎 奥羽本線糠ノ目~二井宿の区間を結んでいた10.8kmの路線で1922年開業。高畠の製糸など工業製品や農産品などの輸送を目的とした。

高畠~二井宿間は1966年の水害で被災して1968年に廃止となり残る区間は1974年11月に廃止された。列車は最盛期16往復運転されていた。高畠は中心的な駅であり車庫や変電所を所有していた。高畠鉄道時代は本社機能を有していて山形交通になったのちは当駅がバスターミナルとして使われていた。

1974年に廃止されたあとも駅舎は存続している。石造りの洋館で人気も高いようだ。
 
新緑と駅舎

保存車両  モハ1 

         

ED1 1929年川崎車輛 ライトが破損していた。



ED1、ワム、モハ1の混合列車編成での保存である。地方では貨物と旅客の混合列車がよく見られた。その時代を伝えてくれている。

右手には公園がありサッカーに興じる若い人たちが汗を流していた。一方、駅舎の方は高級機材を持った女性たちが撮影を楽しんでいた。

参考資料 沖田祐作著機関車表から引用

ED1 川崎重工兵庫工場=32 1929-08-08 E23tBB(1067)
車歴;1929-08-08製造→納入;山形交通高畠線(山形県);キ1→
改番[仙監理第532号通牒];ED1→1965-00-00西武所沢にて車体更新→
1974-11-00廃車→保存;山形県高畠町「まほろば公園」;ED1


2021年5月22日土曜日

奥羽本線関根駅


 2021年5月8日 奥羽本線関根 山形新幹線「つばさ137号」

日本列島の背骨というべき奥羽山脈を越えてようやく平坦地に降りてきた。

ホームには家族連れが


 福島から続いてきた複線は関根から単線になる。「つばさ」は次の米沢は停車。山岳地帯から解放されるが一息つく間もなく走らなければならない。

 「つばさ144号」米沢盆地を後に板谷峠区間にむかう。改軌されても険しさは変わらない。

踏切りと新幹線車両 板谷峠区間を新しいトンネルで越える計画があるようだ。もし実現すると山岳地帯はフル規格新幹線と同様になり踏切りもなく米沢までは快適に高速走行でき気候の影響もうけなくなるかもしれない。

目の前には山塊が立ちはだかる。大カーブの庭坂と同様山越えを感じさせる場所ではある。