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2025年8月14日木曜日

越後線の駅~上所 それにまつわるお盆のおはなし


2025年3月29日 越後線 上所 今年開業した新駅。

駅名標 この駅が開業した事で新潟駅方面への混雑が解消した。
改札口

 新潟駅方向 跨線橋からの俯瞰アングルが有名。 

新潟駅に向かっての上り勾配

 特徴のあるベンチ

路線図

 乗り換え口


 エレベーター 

通路

 モダンな外観の駅舎 近代化されつくした無人駅 乗車利用は1日およそ4000人程度。柏崎より多い。

駅前はまだ整備途上でしばらく完成まで時間がかかると思われる。上所駅は現状では住宅地の秘境駅だが今後の発展に期待。 

整備途上のためか新潟まつりでは利用を控えてほしいという案内がされた。

さて当方の親族の新盆が菩提寺で営まれ大勢の参列者でにぎわっていた。読経の後は法話であるが、今回の担当は中央区上所の真宗寺院の住職であった。

上所駅の開業を大いに喜んでおられた。

さて、法話でお盆参りのことが出てきたが、この地域ではお墓参りに来た門徒(檀家のことで真宗ではこう呼ぶ)の墓前で読経をするという。嘆仏偈とい短いお経を唱え供養とする。 新潟県央の筆者のところでは寺の住職以下が13日に門徒を回って読経を行うのであるが同じ真宗でも場所によって違うということを認識するのだった。お墓の前のお勤めも一家総出で子供たちも読経を行って盆の始まりの繁忙期をしのぐという。

2023年7月23日日曜日

そして静かな終焉~EF5861除籍

1985年3月31日 高崎第二機関区 一般公開

この日上越線でEF15重連運転を高崎第二機関区で各種機関車展示の一般公開が行われていた。

体調はあまりよくなかったが、EF5861も国鉄に承継されないで廃車のうわさが多数あり、機会を見ては狙っていた。

新潟県内では蒲原鉄道の村松~加茂間廃止、弥彦線東三条~越後長沢間廃止で盛り上がっていたがそれらに背を向けて高崎に出向いたのもよき思い出となっている。

結局EF5861は廃車どころかJR東日本に承継後されて大活躍をし平成の「1号編成お召し列車」を2回、各種ジョイフルトレインを牽引し愛好家各位を喜ばせたのは周知のとおり。

新潟県内にも何回かやってきたが、首都圏ほど人の出もなく静かな環境で記録できた。2004年5月4日「新潟駅開業百周年記念列車」牽引の大役を果たし、単機で上越線経由で田端へ帰区するところを見たのを最後に関りをなくしてしまった。首都圏ではその後もイベントに入っていたようだったが・・・・昨年終の棲家大宮の鉄道博物館に車籍を残したまま収蔵されたが2023年5月31日除籍。EF58という形式は線路上から消えた。今後は機会を見て保存機などの巡礼に励みたいと考えている。


 

2023年5月27日土曜日

新潟県三条市付近のインフラと交通関連の年表

 三条市インフラと交通関連の年表
1872年明治5年 9月三条郵便局開局
1873年明治6年 長谷川源助等により五十嵐川に三条橋(嵐川橋)架橋
1874年明治7年 ガス灯がともる
1875年明治8年 三条町の人口14884人
1875年明治8年 8月1日 信濃川に定期蒸気船就航
1877年明治10年 10月10日 松尾与十郎等尽力で五十嵐川南側築堤完成
1878年明治11年 7月   英国女性探検家イザベラバードが新潟県来県
             (津川~新潟~荒川経由で山形方面へ)
1878年明治11年  9月21日~22日明治天皇が北陸巡幸の途次三条町東別院に宿泊
1881年明治14年         松栄橋(常盤橋)完成
1883年明治16年 6月16日 嵐川橋開通式 前年の水害で流出(三条~長岡間街道)
1885年明治18年 10月4日 瑞雲橋架橋三条から信濃川を渡って燕・弥彦方面の道
1892年明治25年 2月     電信局が郵便局に移されて三条郵便電信局になる
1892年明治25年     下田郷と三条を結ぶ県道の五十嵐川に架橋(籠場大橋)
1894年明治27年 9月21日  三条鮮魚問屋五ノ町に開設(信濃川沿い)
1894年明治27年 10月     三条町議会は嵐南に三条停車場の開設を請願
1894年明治27年 11月     一ノ木戸村議会嵐北に停車場開設決議
1897年明治30年 11月21日  北越鉄道沼垂~一ノ木戸間開業
1898年明治31年 6月16日  北越鉄道長岡~一ノ木戸開業 三条駅と帯織駅開業
1900年明治33年      下田郷と会津を結ぶ八十里越え通行人員18500人/年
1903年明治36年 6月      三条町と町外の電話開通
1907年明治40年 8月1日  鉄道国有法で北越鉄道は国有化信越線となる
1911年明治44年 11月19日 新潟水力電気会社により家庭用電灯が引かれる
1912年大正1年  11月15日 六ノ町に灯用の三条瓦斯株式会社工場設立
1913年大正2年  7月24日  三条駅と弥彦の参宮自動車が運行開始(1年で廃業)
1914年大正3年  11月1日 岩越線(磐越西線)新津~郡山間全通
1917年大正6年      信濃川の蒸気船長岡~三条間廃止
1916年大正5年 3月    栄郷(大面村)大面油田採掘1日ドラム缶300缶
1918年大正7年      下田郷に乗合自動車運転開始三条~荻堀間
1919年大正8年  5月1日  鉄道院仙台鉄道局開設(信越線など管轄)
1920年大正9年  1月   三条町の人口20424人
1920年大正9年      信濃川蒸気船廃業
1921年大正10年 4月17日 南北自動車設立 下田郷八木前~三条町大町間
1924年大正13年  8月22日 瑞雲橋豪雨災害で被災
1924年大正13年 10月  御蔵橋(三条から栄方面)
1924年大正13年  10月  田島橋(一ノ木戸から見附方面)
1925年大正14年 4月10日 越後鉄道弥彦支線一ノ木戸~弥彦間開業
1925年大正14年 4月10日 弥彦支線北三条駅開業
1925年大正14年 10月1日 三条町人口27860人
1926年大正15年 7月28日  五十嵐川洪水 三条駅被災8月2日復旧
1927年昭和2年  7月25日 越後鉄道一ノ木戸~越後長沢間開業
1927年昭和2年  7月25日 越後大崎、大浦、越後長沢駅開業
1927年昭和2年 10月1日  越後鉄道全線国有化 一ノ木戸駅は東三条駅に
1927年昭和2年 10月1日  越後鉄道国有化により弥彦線となる
1928年昭和3年 11月1日 南北自動車数社合併で中越自動車設立(のち越後交通)
1930年昭和3年     栄郷(大面村)大面油田最盛期(以後減少で1963年閉山)
            大面油田~帯織駅に石油輸送の引き込み線設置
1930年昭和5年 10月1日 三条町人口31256人
1931年昭和6年  9月1日 上越線高崎~宮内間全通(水上~石打間電化)
1931年昭和6年  9月1日 上野~新潟間急行運転 7時間10分
1934年昭和9年  1月1日  三条市政開始 三条市となる
1935年昭和10年 10月1日  三条市人口 34649人
1936年昭和11年 4月1日  弥彦線に気動車(ガソリンカー)運転
1936年昭和11年 9月11日 新潟鉄道局開設
1939年昭和14年 3月25日 三条郵便局一ノ町に移転
1940年昭和15年 10月1日  三条市人口36541人
1941年昭和16年 12月   鉄道電話設置
1942年昭和17年 11月14日  太平洋戦争激化のため旅行制限が始まる
1943年昭和18年 9月20日 信越本線に保内信号場設置
1944年昭和19年 5月21日 信越本線に東光寺信号場設置
1944年昭和19年  8月   三条駅女子職員モデル駅指定(1949年女子職員引上)
1944年昭和19年 10月16日 弥彦線東三条~越後長沢間一時撤去
1945年昭和20年  6月  強制疎開と疎開道路の建設
1946年昭和21年  3月15日 鉄道省三条自動車区設置
1946年昭和21年 10月1日  弥彦線東三条~越後長沢間復活
1946年昭和21年 10月1日 三条市人口45238人
1946年昭和21年 10月1日 昭和天皇御巡幸 三条中学校に市民奉迎所設置
1947年昭和22年 10月1日 上越線全線電化開業
1949年昭和24年  6月1日 公共事業体日本国有鉄道発足
1949年昭和24年  8月1日 保内信号場は保内駅となる
1950年昭和25年  8月1日 新潟鉄道局は新潟鉄道管理局となる
1951年昭和26年  8月1日 三条自動車営業所設置(1965年10月1日新潟営業所)
1952年昭和27年 10月1日 上野~新潟間急行「越路」6時間
1953年昭和28年 4月1日 東光寺信号場が東光寺駅に格上げ
1954年昭和29年 10月1日 秋田~上野間夜行急行「羽黒」運転
1955年昭和30年  3月31日 長沢、森町、鹿峠各村合併下田村発足
1955年昭和30年 10月1日 三条市の人口68570人
1956年昭和31年  9月30日 大面村と福島村合併栄村となる(1981年10月1日栄町)
1956年昭和31年 10月1日 上野~新潟間急行「佐渡」5時間45分
1958年昭和33年  6月   瑞雲橋永久橋となる(三条~燕~弥彦の県道)
1959年昭和34年  1月26日 信越本線東三条駅鉄筋コンクリートに改築
1959年昭和34年  4月8日  国鉄新潟支社発足のち新潟鉄道管理局
1959年昭和34年 12月23日 県道保内~大面線渡良瀬橋架橋
1959年昭和34年 12月23日 嵐川橋永久橋化(国道8号)
1959年昭和34年 12月23日 県道三条~下田線籠場大橋永久橋
1960年昭和35年  10月1日  三条市人口71594人
1960年昭和35年 12月14日 弥彦線東三条~越後長沢間 貨物営業廃止
1961年昭和36年 1月    昭和36年豪雪
1961年昭和36年  8月5日  集中豪雨 御蔵橋、新大橋 渡良瀬橋 流出
1961年昭和36年 10月1日 特急「白鳥」大阪~青森間新設東三条駅は通過
1962年昭和37年 6月10日 信越本線長岡~新潟間電化特急「とき」運転4時間40分
1962年昭和37年      弥彦線北三条駅改築(寺院建築から鉄筋建築に)
1963年昭和38年  1月   昭和38年豪雪
1964年昭和39年  6月   新潟地震
1964年昭和39年 10月8日  三条市から白根市への信濃川にかかる景雲橋架橋
1964年昭和39年 12月   国道8号線三条大橋(信濃川架橋)
1965年昭和40年 8月31日 信越本線三条駅~東三条駅複線化
1965年昭和40年 10月1日 三条・燕地区都市建設推進協議会結成
1965年昭和40年 10月1日 特急「とき」一部停車特急「白鳥」停車 
1965年昭和40年 10月1日 三条市人口は74080人
1966年昭和41年  7月24日 三条市に自動電話
1968年昭和43年 10月1日 昭和43年10月ダイヤ改正東三条駅特急「とき」停車増加
1969年昭和44年  3月  国鉄貨物営業センター三条支所営業開始
1969年昭和44年  10月 新潟~大阪間特急「北越」運転開始   
1970年昭和45年  4月1日 新潟~三条~只見~いわき間国道289号指定
1970年昭和45年 11月   八十里越の宿場だった下田村の𠮷ケ平集団離村
1970年昭和45年  4月1日 小出~栃尾~下田~村松~新発田間国道290号指定
1973年昭和48年  7月6日 三条市の人口8万人超える
1975年昭和50年  10月1日  三条市人口81806人
1977年昭和52年 12月20日 国道289号線信濃川の石上大橋開通
1978年昭和53年 9月21日 北陸自動車道新潟~長岡間が開通三条燕インター設置
1978年昭和53年 10月2日 特急「北越」2往復廃止同区間に特急「雷鳥」運転3往復
1980年昭和55年 10月1日 三条市人口85275人
1982年昭和57年  4月1日 県道三条~新津線を国道403号に格上げ
1982年昭和57年11月15日 上越新幹線新潟~大宮間開業燕三条駅開業
1982年昭和57年11月15日 特急「とき」廃止 特急「北越」増発
1984年昭和59年 2月1日 弥彦線の貨物列車廃止
1984年昭和59年 4月8日 弥彦線東三条~弥彦間電化開業
1985年昭和60年 3月14日 上越新幹線上野開業急行「佐渡」「天の川」廃止
1985年昭和60年 10月2日 関越自動車道全通(長岡ジャンクション~東京練馬間)
1985年昭和60年 4月1日 弥彦線東三条~越後長沢間廃止 跡地は国道289号線
1986年昭和61年     国道289号線八十里越区間の改築工事建設省が承認
1986年昭和61年 11月1日 国鉄最後のダイヤ改正 荷物輸送廃止
1987年昭和62年 4月1日 国鉄分割民営化 JR東日本になる
1988年昭和63年     三条市昭栄通りに商業施設パルム建設
1988年昭和63年 7月20日 北陸自動車道新潟~米原間全通
1989年平成1年      国道289号線八十里越え区間工事開始
1991年平成3年  4月  燕三条駅付近に大型スーパー進出し商業拠点化が進む
1991年平成3年  6月20日  上越新幹線東京駅乗り入れ開始
1993年平成5年  4月1日 国道403号線を三条市から栄町経由で松本まで延伸
1997年平成9年  3月23日 北越急行線開業により信越本線の特急の本数が激減
1997年平成9年  9月14日 弥彦線燕三条~東三条駅高架 北三条駅改築
1998年平成10年 3月   東三条駅の貨物輸送が自動車代行となる(2012年廃止)
1998年平成10年 4月   燕三条駅に自動改札導入
2001年平成13年 3月   大阪~青森間特急「白鳥」廃止 特急「雷鳥」も廃止
2004年平成16年 7月13日 新潟福島豪雨災害。五十嵐川氾濫
2004年平成16年 7月13日 豪雨災害で一新橋、常盤橋、御蔵橋、嵐川橋掛替必要
2004年平成16年 10月23日 中越地震で上越新幹線、北陸自動車道が一時不通
2005年平成17年 1月26日 東三条駅自動改札導入
2005年平成17年 5月1日  下田村、栄町と合併し「新三条市」人口107000人
2008年平成20年 3月   三条駅自動改札導入
2012年平成24年 3月   東三条駅貨物自動車代行廃止
2015年平成27年 3月   北陸新幹線開業で直江津から先「えちごトキめき鉄道」      
             移管(北陸本線ひすいラインになる)
2015年平成27年 3月   新潟~金沢間特急「北越」廃止
2017年平成29年 5月4日 JR東日本のクルージング列車「四季島」停車駅となる
2018年平成30年 1月11日 豪雪で上り長岡行き列車が東光寺駅で長時間運転不能
2021年令和3年  1月9日 新潟県豪雪で県内JR全線と一部高速道路の閉鎖  
2021年令和3年  4月   三条市の人口94000人に減少
参考文献など
三条市史(下巻)     三条市       1983年
三条市史 資料編7~8巻  三条市       1983年
写真で見る新潟県の百年  野島出版      1973年
長岡市史 (現代編)   長岡市       1996年
下田村史         下田村       1970年 
栄村史          栄村        1981年
大面村史         大面村       1966年
新潟県の廃線鉄道(瀬古龍雄監修)郷土出版社  2000年
日本国有鉄道百年史 日本国有鉄道       1973年
越後の停車場    朝日新聞社        1981年
越後交通社史    越後交通株式会社     1985年
図説新潟県の街道  郷土出版社        1993年
八十里越え~記録が語る歴史の道 北陸建設弘済会 1996年
新潟の石油天然ガス10話 島津光夫 野島出版  2009年
新潟県の100年交通産業編 新潟日報事業社    1985年

2023年5月4日木曜日

千里中央駅~大阪モノレール ウメサオタダオ展への旅 2011年5月4日

2011年5月4日 千里中央駅

万博跡地にある国立民族学博物館に向かう際に利用。


 

太陽の塔

国立民族学博物館 2010年老衰にて亡くなられた民族学者、文化人類学者の梅棹忠夫氏を偲んで行われた企画展。「ウメサオタダオ展」


全ては打ちかけの碁なのだ・・・・

情報カード・・・別名京大カード ウメサオタダオ氏が情報を整理に用いたツール。著作「知的生産の技術」は大ベストセラーとなり今もそれは色あせない。スマートフォンやパソコンなどまだ夢の世界の時代に考案された。


愛用のNikonF2 

急行「きたぐに」もなくなり遠征をすることもなくなった。ここを訪れてから12年が経過した。


2022年6月9日木曜日

客車履歴票

客車履歴票は客車の製造から用途廃止までの間に起きた「事実関係」を記載する文書である。

機関車や電車などは帳簿となっているが客車は一枚の書面でありそこに形式、構造、整備歴、改造箇所、移動歴が記載される。様式はA5判とB4判のものがあり後者は主に新系列の車両で見かけることが多いようだった。というより機関搭載などの複雑な機構を持つ新型客車もこの1枚書面で管理されていることは驚きであった。

先日所属している研究会の会合にオンラインZOOMで参加した。Web画面には何名かの方々が映り、さらに会場参加の各位も映し出され、事前に配布された資料に基ずいて討議がなされていた。

 

テーマは履歴票の討議で、改造歴のある車両の検討であった。

履歴票によっては記載が抜けている箇所があったり、同じ車両であっても同様の記載内容が2部存在するものがあったりと様々であった。

抜けがある部分を推測したり、疑義のある記載内容を踏み込んで検討していくとさらに新たな発見がある楽しい会合であったが画面上から名前を呼ばれ自己紹介をするように指示があった時は驚いたものだった。

車歴票については鉄道ピクトリアル2002年7月号特集スハ43系Ⅱ P28「客車履歴票とのかかわり雑感」を参照した。

2021年6月13日日曜日

エデンの園への鉄路~奥羽本線福島~山形間関連年表

 

1983年11月1日 奥羽本線庭坂

1899年明治32年5月19日 福島~米沢間開業
1900年明治33年4月21日 米沢~赤湯開業
1901年明治34年2月15日 赤湯~上山間開業
1901年明治34年4月11日 上山~山形間開業
1949年昭和24年4月29日 福島~米沢間直流電化 EF15 EF16
1965年昭和40年     EF16をEF64に置き換える 

1968年昭和43年9月22日 福島~米沢間交流電化になる EF71、ED78投入

              庭坂~赤岩 大沢~関根複線化

1985年5月 奥羽本線 庭坂~赤岩
 

1968年昭和43年9月23日   米沢~山形間交流電化完成
1970年昭和45年6月30日 赤岩~板谷複線化
1971年昭和46年9月20日 板谷~大沢複線化
1982年昭和57年3月29日 福島~笹木野複線化
1990年平成2年3月10日  赤岩駅スイッチバック廃止
1990年平成2年9月1日  板谷、峠、大沢のスイッチバック廃止
1992年平成4年7月1日  山形新幹線開業
1999年平成11年3月12日 羽前千歳~漆山間JR貨物第二種鉄道事業廃止
1999年平成11年7月1日 蔵王~山形間JR貨物第二種鉄道事業廃止
2002年平成14年4月1日 仙山線の貨物廃止 ED78廃止

明治11年に訪れたイザベラバードが「エデンの園」と感嘆した山形への鉄路の歴史である。

彼女が来日してから22年以上経過してからこの地へも鉄道が敷かれる。以降文明が関東から一気に押し寄せてきたのであろう。

令和の現在も美しさは変わらないと思うが交通体系の整備や物流の変化でイギリス以上に文明国になったかもしれない。となると彼女が今生きていれば関心は持たないことだろう。

 

2021年6月12日土曜日

イザベラバード恐るべし

2021年5月8日 米坂線 越後金丸~小国 キハ110の2連

日本奥地紀行の著者イザベラバードは明治11年に来日。東京から青森まで日光、会津、津川、新潟、小国(山形県)手の子、赤湯、山形、新庄、横手、秋田、大館、青森と旅をする。(地名は主要な場所で実際はもっと多い)

新潟県内は津川から阿賀野川を船で移動し新潟市内で過ごし木崎、築地、黒川、花立と今の国道113号線の経路で山形県へ。蚤や蚊さらに外国人を珍しがる多くの人々やなじめない食事にきれいではない宿、馬や牛の背に揺られてときに悪路を歩いて北上する旅である。

イザベラバードが来日した時の年齢は40代後半、案内人は伊藤鶴吉を伴い旅をする。

さてこの日本奥地紀行を読もうと思ったきっかけは江戸期から明治にかけての旅の形態が理解しがたがったからである。この時代鉄道はまだなく移動は歩きか馬の背、都市部は人力車。町の様子も村の様子も現代とは全く違う。イメージしにくいことだらけ。

本書を読むことで当時の様子が氷解できたことである。宿場町の様子、宿の様子、県庁所在地の様子など・・・

まだまだ奥地は江戸時代かそれ以前の状態・・・衛生面も悪く人々は疥癬や疱瘡などに苦しみ食べるものも粗末・・・・イザベラバードもおいしい食事ができたときは文面が明るくなる。しかし逆もあり・・・・

プライバシーの欠如と様々な悪臭、蚤と蚊という苦痛の種だけは改善されることがないだろうと恐れつつの旅であった。
 

2021年6月11日金曜日

イザベラバードの旅

2019年5月4日 阿賀野川とキハ110

明治11年7月イギリス人の旅行者イザベラバードが日光から会津盆地を経て峠をいくつも越えて津川の宿から一路新潟へ。移動は阿賀野川だった。朝出発して夕方新潟に到着のスケジュール。

移動は悪路と汚れた宿。蚤やシラミの害虫。奥地住民の「のぞき見」などプライバシーのないこと。そしてみそ汁やたくあんなど匂いのきつい食べ物との闘いだった。

新潟市の印象は「今まで見た町の中で最も整然として清潔」な「純日本式の旧市街地」

県庁、裁判所、学校、兵舎、銀行、病院などの西洋建築の建物は文明開化の姿を見せているがけばけばしくて味気なく見劣りしたということだった。

新潟を後に海岸伝いに北上して」荒川をさかのぼって山形県へさらに悪路を駄馬などに揺られ秋田、青森経由で北海道に向かう・・・・まだ鉄道の未発達な頃の話である。

 

2021年6月6日日曜日

八十里越えの入り口~旧下田村吉ケ平

2018年9月16日 三条市遅場から𠮷ケ平方向 この先には渓流釣り愛好家の𠮷ケ平フィッシングパークがある。吉ケ平集落は1970年急激な過疎化を原因として廃村となった。

この狭い道はその地域に通じる道路である。北越戊辰戦争で負傷した河井継之助もこの道を通って会津へ向かっているが八十里越えを降りた会津の塩沢で亡くなっている。

八十里越えは越後と会津を結ぶ街道で磐越西線開通前までは主要な街道だった。越後から会津へ人や物資が運ばれ(越後からは塩、金物、雑貨小間物、元結、渋紙、紬や反物、基金の際の救援米が 会津からは薬用人参、麻、真綿、蚕、煙草 ぜんまい 生糸 鳥もち)越後から日光へ参拝する人や大工、木挽、杜氏、医師、宗教者、農民、会津から越後に買い付けに行く商人や荷担ぎの人、会津から越後に帰る人等)

江戸時代は葎谷(この写真の場所より三条市内寄り集落)に人や物資の監視をする口留番所が設置され、八十里越えを降りた会津にも叶津口留番所があった。 

会津藩の禁制品(移出禁止)は巣鷹、駒、漆、鉛、熊の皮、紙。ほかに女性の監視はきわめて厳しいことであった。(入り鉄砲と出女 )


明治以降は会津から越後 生糸、蚕種、麻寧、ゼンマイ、亜鉛、銅、熊毛皮、ウサギ毛皮

越後から会津 海産物、魚類、砂糖、天草、塩、油、反物、雑貨など。

明治27年に新道が完成後はビール、葡萄酒、牛缶、鮭缶、亀の子たわし、鉛筆。これらは高貴平銅山、飯井沢銅山の関係者用だった。

人の往来も会津からは新潟の大学病院、三条や栃尾の眼科、歯科医、弥彦参り、岩室温泉、新潟への遠足

越後からは商人、労働者(鉱山関係)など

1901年(明治34年)ひと月の通行者は18,500人だった。

以降磐越西線が全通するとそちらに流れが移行し八十里越えは衰退していった。


現在は国道289号線が工事を行っていて難所八十里越えも2026年には開通する見込みである。ただし𠮷ケ平は経由しない。


鉄道では越後鉄道が越後長沢から只見まで八十里越え経由で結ぶ構想を持っていたが実現することはなかった。

2021年6月4日金曜日

大面村史から~日清、日露戦争招集の談

2021年4月23日 E129系 421M 背後の防風林は鉄道省によって設置された。

大面村(のちの栄町で現三条市)の男性の談

日清戦争招集 明治27年9月26日 家を発って三条、加茂、村松、津川を通って、

会津若松まで歩き、猪苗代湖は汽船で渡り再び本宮まで歩いてここから日本鉄道に乗り31日に仙台に到着した。

日露戦争招集 明治37年11月12日 午前9時の上り列車で帯織駅を出発し、柏崎、直江津、高崎を走り、高崎から日本鉄道に乗り換え14日午前2時に仙台に到着した。

切符は帯織から高崎間2円27銭 高崎から仙台1円50銭の別払い。

明治38年8月 日本鉄道、鉄道院、北越鉄道の3社協定の普通列車

新潟~東京間は17時間かかった。
 

2021年6月3日木曜日

歩きまくった青春~大正時代の農家の青年続き

2019年 彌彦神社

8月24日 以前の校長先生を訪ねて吉田の粟生津へ行き一泊(この青年が世話になった方)

8月25日 彌彦神社を参拝し山を登り、寺泊野積の西生寺の弘智法印を参拝し、大土木工事である大河津分水を見学して寺泊に一泊。

8月26日 大河津分水の閘門を見て驚き、午後2時今の分水の熊の森から信濃川の船に乗って4時に三条に到着。

いまだと車で半日もかからないコースであったが移動手段が限られた大正時代の人たちにとっては貴重な小旅行だった。むろん歩いての移動で最後に川汽船で帰路につかれたようだ。まだ越後線も弥彦線もなく街道筋の道路も狭く未舗装な時代。頼りになるのは自分の足だけ。そんな時代だった。
 

2021年6月2日水曜日

歩きまくった青春!大正時代の農家の男性の記憶

2019年11月3日 JR東日本弥彦駅

三条市史下巻P536から 大崎村在住の青年の日誌より

この時代の農業はまさに肉体労働の連続。現代のような機械農業ではなかった。

3月下旬薪の伐採に始まり、4月には田植えをする稲の苗を作る苗代田をうって、桑であぜ塗、2番塗りなどを行い、普通田のあぜ塗など田植前の作業に忙殺され、田植は6月前から開始・・・人力のみのため手間がかかるわけであるが当時の方は機械農業の時代が来ることを想像されたこともなかったかもしれない。

つらい農業の合間に祭りや田植を終えた後ひと時の休みが出るがこの時代の若い方々旺盛に新時代の技術などの探訪をされていたようだった。

6月24日 6人で栃尾の秋葉社(権現様)に参る。朝7時半出発、11時半に到着。

昼食後見附道路(栃尾から見附に行く街道)を馳せ途中雨風、草鞋を求め休憩し、間もなく出立、北潟(現三条市、かつての栄町)で石油地を見学する。吉野屋(三条市、かつての栄町)風呂屋にて中食を10銭(1000円くらい?)たべて8時過ぎに帰宅する。

当時道路の整備もなくこれだけ歩けるのはすごいことである。
 

2021年5月31日月曜日

明治天皇の軌跡~真宗大谷派三条別院 行在所跡

明治天皇は残暑の厳しい下越から中越を9月20日から22日に通過されている。

20日に新発田を出立され水原で昼食、新津に宿泊、21日は加茂で昼食、保内、大崎を経由して三条町の東本願寺別院に宿泊。画像は行在所があったことを示す石碑である。

休憩は地元有力者の屋敷、寺社や学校が充てられた。


 明治天皇来県は歓迎されたが巡幸の道路の整備などが優先され生活道路や橋で損壊箇所は後回しにされたこと、費用の増大が問題になった。県費は予算当初4万円が実際には10万円になったことや行在所近接の貸し座敷業者は費用負担をよく思わなかったとの記録がある。なにより経費の7割近くの負担が地元であった。

さて宮内省の役人近藤芳樹の記した三条の記述

暮れ近くなりて三條につきぬ。ここは富める家もあまたならびて 新潟、柏崎寄り豊かに見えたり。

さるままに学校の生徒も、おとこ、おんな、皆うるわしくよそおいたるが、ところどころにあまたたちならべり。

ここのかくにぎはえるは 信濃川、五十嵐川という大きなるながれあり、上長岡に上りし、

下新潟にくだす。

ふねの竿、鍛冶のおとたゆるまなく、海の辺にこぞあらね、いとたよりよきところなればなり。

 

行在所は東本願寺別院にて大きなる寺なり。


9月21日夕食

つけ焼き鮎、御汁、鱚子、鉢盛(煎揚炙り鯛 丸煮茄子、塩焼興津新しょうが、鰹煮、里芋)葛引胡瓜だいこん 砂糖煮粒小豆)

9月22日朝食

下塩鯛、御汁、ちこ焼き、茄子、煎り上げ鮭、鰹煮だいこん

中食(弁当)

味噌漬け鮭、塩焼き鱸、蕪、ゆり根、握りご飯

調理は保内長泉寺井戸水を使用した。

9月22日は三条を出立、三条橋を渡って松尾与十郎が治水のため明治9年に築いた五十嵐川左岸を半里ほど進んで山手を行く街道へ入り月岡如法寺で天然ガス発生の様子を見聞し昼食の地見附に向かわれた。

宮内庁役人の記述はまだ鉄道ができる前の川港で賑わう全盛期の三条の様子である。

三条市史下巻 1983年 三条市から引用
 

2021年5月29日土曜日

越後路に鉄道ができる前の話~明治11年明治天皇御巡幸

信越本線保内駅近くの保内公園にある明治天皇がここに来られたことを記念する碑。

明治天皇が来県されたのは明治11年9月 保内にご休憩に立ち寄られた。

そのあと西大崎で休憩されて三条市の真宗大谷派三条別院に宿泊される。

保内公園のすぐ前の道路。この道路は長岡から三国街道より別れて丘陵地帯を進んで新発田に向かう。三国中通り街道である。明治天皇来県の時は鉄道は未開業。道路の方も今は生活道路となった丘陵地伝いの狭い道が重要な幹線だった。

当時の御巡幸は馬車と騎馬で行われ、大隈重信と伊藤博文岩倉具視も随行する壮大なもので628人の多数の移動だった。その7割は警備警護要員。

その年5月大久保利通が不平士族に殺害され、動揺しがちな新政府を一本化し地方の人民に天皇制の支配の浸透を図ることを目的とした。

孝子節婦や高齢者に下賜金を与え民心を掌握することに努めた。新潟県は眼病者が多く1000円が下賜された。(三条市史下巻)
 


2020年5月4日月曜日

季節はいきなり夏に・・・

2014年1月1日 小湊鉄道五井 駅のホームから機関区を

 かねてから予定していた家事雑用を・・・
通勤経路が水田地帯のため農家が落としていったトラクタの泥が車体にぺったりまずは洗車、次は友人や親せきに米の発送、障子の張替、あいまに風呂掃除に食事造り。

列車撮影も若干入れて・・・貨物は全て運休なのでわずかに残る115系を。
弥彦線寺泊便はN34で柏崎からの6連は東三条寄りに湘南色N38吉田よりN35、信越本線下り快速は弥彦線第一次N33という陣容。夕方の新井快速は115系湘南N38で順当に流れている。越後線の出雲崎付近では撮影者が多数集結していて農家とトラブルを起こしているということだった・・・なので邪魔にならないよう無名撮影場所でも注意する必要がある。

天候も良く気温も適度で快適な連休の始まりであった。撮影後イオンでスペアミントを。
モヒートを買ったのでそれに入れるためである。
 モヒートである。ラム酒とライムがすでに配合済み。
本来ラム酒と砂糖、ライムを混ぜ、グラスにミントを入れ氷を入れて楽しむ・・・
文豪ヘミングウェイが好んで飲んだカクテルらしい・・・

イオンの駐車場でNHK小さな旅を・・・「鉄路の花ひらくとき」小湊鉄道が取り上げられていた。先月取材のようで満開の桜と菜の花を走る気動車が出ていた。昨年秋の台風で被害が出た沿線・・・駅ごとで花畑の手入れをする方々、オートバイ改造の軌道バイクと保線員の方々、そしてコロナウイルスで卒業式もままならない中で思い出の桜の木の下で仲間たちと再会する中学生・・・・

一番上の画像は五井駅のキハ200型 五井は千葉近郊の住宅街だったが少し進むと山林になる。春の菜の花は人気がある・・・

行くことができないエリアなので番組を見ることができてよかった・・・・
その後の番組は中井貴一のサラメシで兵庫県のはさみの職人さんたちが取り上げられていた。
理美容師のはさみの職人たちの奮闘が紹介されているがBGMはイタリア西部劇「夕陽のガンマンのテーマ曲」エンニオ・モリコーネの名曲だが厳しい職人たちの闘いの場面にマッチングしていた・・・

帰宅後は愛車を高圧洗浄して中も掃除・・・久しぶりにすっきりした。米を出荷して、115系N33編成快速を追撃、そのあと一息ついて障子など買い出しして障子張り替え・・・(気温は夏日になったが夜になると蚊が出てきた)

 夕食はたけのことこんにゃくの煮物を作ってみた。ほかにカレーチャーハンも。
 そういえばNHK中井貴一のサラメシではさみ職人の一人がエスニック系のワンプレートを食べていたのを思い出した・・・・

追記:エンニオ・モリコーネ氏は2020年7月6日91歳にてご逝去されました。哀悼の意を申し上げます。(2020年7月12日)


2020年4月17日金曜日

桜満開新発田

2020年4月11日 羽越本線 加治川橋梁 EF510-513 3098レ

聖籠町のキハ47を見聞した後再び国道7号新新バイパスに乗り新発田市へ。加治川の桜と列車を。15時台にE653系いなほ2本、貨物1本、普通列車数本まずまずの運転状況。
加治川の桜と絡めてという構想は数年前から考えていたがこの時期は繁忙期で来る機会が無かった。
新潟に向かうE129系普通列車をとらえた後、貨物3098レを。
桜の花越しに・・・ただし天気は回復途上で雲が多く時折雨が・・・
お目当てのE653系「いなほ」7号秋田行き  ハマナス色
築堤を行くE653系 桜と相性のいいハマナス色 
右手にも対岸の桜が・・・加治川の橋梁も長いわけではないが風情を感じる。
E129系 普通 残雪と桜並木
新津からの気動車列車 GV-E400型 酒田までのロングラン
新潟行き E653系7連 「いなほ」10号 天気もようやく回復した
残雪と桜並木
残雪の二王子岳と加治川  スケールは大きいが雑木が多く苦労する
桜並木は掛け値なく美しいが・・・
加治川の堤防の桜と二王子岳 苦難の時代が始まったがひと時の安らぎを感じる。
夕暮れの新発田城 ここも満開 自粛ムードのため見学者は多くない
新発田 宝光寺 樹齢300年を超える枝垂れ桜が咲き誇っていた。ここは新発田藩の溝口家の墓地がある。














2019年1月3日木曜日

115系6連143M 越後線といわむろやで模型見物

2019年1月2日 越後線北吉田~岩室  後ろの弥彦山が真っ白。
115系N33+N40の編成

朝練後親戚に年始をした後、時間が余ったので越後線へ。
岩室温泉の観光施設いわむろやで鉄道模型の展示があるという情報があったのであわせて出てみた。
このばしょも結構ごちゃごちゃな印象だったが電車がうまく隠してくれた?!
途中、さざんかの垣根と蔵と遠くに角田の山が・・・
いわむろやでおこなわれてた模型運転。115系の第二次新潟色と第三次新潟色のペアが走っていた。家族連れで混雑。なかには手を出して壊されるケースもあるようで、スタッフは苦慮しているようすだった。

いわむろやは温泉街に隣接する観光施設でほかに浮世絵が展示されていた。また常設展示で三根山藩にちなんだ資料もあった。(米百俵の三根山藩)
売店にも日本酒やお菓子、おつまみ品など食品や燕市の洋食器類があったが書店で見かけない西蒲区地域の写真集がありはさがけの稲やかやぶき農家の生活が紹介されていた。

入り口にあった稲わらのいのしし。今年の干支。
巨大な稲わらアート・・・・

模型のスタッフの方々に笑顔はなかった・・・がボランティア活動をされていることで 模型文化の浸透に功績を積まれていると思う。