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2025年10月4日土曜日

蒲原鉄道の宿

1983年11月23日 蒲原鉄道 土倉~高松 モハ41 

切り株だけの水田と低い山。蒲原鉄道 加茂~村松間の大部分は人口希薄地帯である。並行する道路も貧弱で、このため蒲原鉄道が 重責を担っていた。南蒲原の加茂と中蒲原の村松とは結びつきがそれほど強くなく、鉄道経営は最初から苦戦の連続であったという。

冬は道路が貧弱で除雪が追い付かないことも多く、沿線唯一のスキー場「冬鳥越」に訪れるスキーヤーの輸送もあって増結編成が走ることもあった。

この撮影地は冬鳥越から村松寄りで高松駅(停留場)から歩いて10分程度のところに「金割鉱泉」という温泉設備を備えた宿があった。ラジオでCMも流れていて有名だったと記憶する。蒲原鉄道加茂~村松間では宿から鉄道が見えることで知られていた。

加茂市の図書館にあった「蒲鉄時代」という書籍に、蒲原鉄道の社員が忘年会のため村松を17時台に出る加茂行き電車で高松の「金割鉱泉」を訪れて忘年会を行った記述があった。鉱泉とは低温な温泉であり過熱しないと入浴には適さないものをいう。

 

入浴の後座敷で宴会となるが今日のような「オードブル・・・本来は前菜という意味だが、これは盛り合わせ料理という意味に使われ前菜から、メイン、デザートまで盛り合わせている)はなく個々のお膳に村松の名物鯉料理一式が乗りそれらで宴席が営まれた。

帰宅は村松行きの終電で普段無人でひっそりしている高松駅で大勢の蒲原鉄道社員が土産の折り詰めをもって乗車する光景は他の乗客を驚かせるものだったらしい・・・・

この「金割鉱泉」は2000年代に経営者が亡くなり廃業されている。

村松の鯉料理は金割鉱泉ではなく村松町三の宮の養鯉場がある料理店でかつて勤務していた職場の各位と忘年会をした際に食べたことがある。鯉のあらいは刺身風のもの、鯉こくはみそ仕立ての汁物、他に鯉の甘露煮を頂いた。泥臭さは全くなく(養鯉場での養殖のため)おいしかった。ほかに「鯉」をたべたのは奥信濃秋山郷の宿であろうか・・・

 




 

2025年9月3日水曜日

蒲原鉄道の線路が消えて26年が過ぎた・・・・

1999年10月5日 蒲原鉄道 村松駅 前日に最後の運転を終えて使命を終えた電車。左はモハ61、ヘッドマークの付いたモハ71 尾久に除雪機械と古豪モハ12

1999年10月3日 蒲原鉄道 村松~今泉 おなごり乗車の客が多く増結して対応に当たった。


 

1983年5月3日 冬鳥越~土倉間 モハ41

村松から加茂の区間は変化にとんだ風景が楽しめた。しかし人家が少なくこの時点で廃止が決まっていた・・・

 

今も残る加茂~陣ケ峰間の線路後。この付近はほとんどが宅地となって住宅や倉庫になってしまった。しかし信越本線をオーバークロスするための橋梁跡と旧陣ケ峰駅の築堤は残っていて往時をしのばせている。

村松~加茂間 1985年3月31日限り 廃止後40年経過

五泉~村松間 1999年10月3日限り 廃止後26年経過

加茂市の図書館で蒲原鉄道に関する詳細な資料を見つけた。これらを読むながら往年の時代を思い出してみたい・・・ 

 

2025年6月16日月曜日

さようなら冬鳥越バラ園~最後の蒲原鉄道ED1とバラ

 

2025年6月14日 加茂市冬鳥越 スキーガーデン併設のバラ園
蒲原鉄道ED1とバラとの組み合わせも今年で最後
ED1のほかにモハ61とモハ1も 数年前にモハ1は屋根の下になって印象が変わった。

ED1の後ろにバラ園を入れてみる。

バラ園・・・咲いてから時間がたっていたんだものも見受けられた。バラ園はかなり広い面積を持ちモハ61とモハ1を入れることも可能である・・・この日イベントが行われるようで大勢の人がやってきていた。この賑わいもこれで最後である。7月以降バラはすべて撤去されるという。跡地はどうなるのか?

蒲原鉄道の車両たちと共演してきたバラを来年以降は見ることはかなわなくなる。 

2024年12月23日月曜日

越後線と弥彦線を走った可能性のある機械式気動車 キハ41000型

1983年6月 新潟交通電車線 燕 クハ37 画像は非運転台側で運転台側は2枚窓の「新潟交通仕様」となっている。車内はロングシートだった。

履歴(沖田祐作 機関車表から引用)

 キハ41080 新潟鉄工所= 1934-03-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1934-03-00製造→納入;国鉄;キハ41080→配属;?→配置;?→1934-06-29現在;尻内→

1941-07-31現在;尻内→1942-01-31現在;長町→1943-03-31現在;長町→

1943-04-13[達第1133/18達発]長町発西吉田支区→1944-01-31現在;西吉田支区→

1947-01-31現在;大館→1949-07-22廃車;大館→譲渡;新潟交通(新潟県);クハ37→廃車



2013年1月2日 鉄道博物館 キハ41307

 この車両は戦前から戦後に西吉田に配置歴があった。ガソリンカーから天然ガスそしてDMF13ディーゼルの履歴がある。クロスシートは小さく、キハ42000型や初期のキハ450000型もこれらを継承している。

 履歴 沖田祐作 機関車表から

キハ41056 川崎車両兵庫工場= 1934-01-30 DC19.78t1A-21067

4300

車歴;1934-01-30製造→納入;国鉄;キハ41056→1934-01-26配属;名古屋局→配置;?→

1934-01-31現在;梅小路→1936-01-31現在;梅小路→1939-01-31現在;西吉田支区→

1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→1944-01-31現在;中込→

1947-01-31現在;西吉田支区→1948-12-00長野工場改造;キハ41207(天然ガス動力化)→

配属;新潟局→配置;西吉田支区→1951-10-01現在;西吉田支区(本区白山)→

1952-10-01現在;西吉田→1952-11-00長野工場(大宮工場?)改造改番;キハ41307

(機関DMF13型)→配属;?→配置;?→1955-03-31現在;中込→

1957-04-01改番;キハ04-8→配属;長野局→配置;中込→1958-01-11廃車;中込→

譲渡;遠州鉄道(静岡県);キハ802→譲渡;北陸鉄道(石川県);キハ5211→

譲渡;関東鉄道(茨城県);キハ461→分離;筑波鉄道(茨城県)キハ461→廃車



2000年7月   蒲原鉄道クハ10 小さなクロスシートがある。

蒲原鉄道での唯一のクハそしてクロスシート車両であった。この年に蒲原鉄道の鉄道路線は廃止され一時村松駅近くに保存されたが個人所有であり2013年に所有者が亡くなられたことによって管理が難しいという理由で解体されて現存しない。

履歴 沖田祐作 機関車表から

 

キハ41120 川崎車両兵庫工場= 1935-09-00 DC19.78t1A-21067

車歴;1935-09-00製造→納入;国鉄;キハ41120→配属;?→配置;?→1936-01-31現在;長町→

1939-01-31現在;西吉田→1943-03-31現在;西吉田支区(本区白山)→

1944-01-31現在;大館→1947-03-01現在;借入;蒲原鉄道(新潟県);キハ41120→

1949-09-30廃車;大館→譲渡;蒲原鉄道(新潟県);クハ10


機関車表の履歴をまじまじ眺めていると判明した意外な事実。

ほかにキハ42000型も配置され、これも1951年に天然ガス改造され、越後線、弥彦線、信越本線新潟~新津間、磐越西線五泉~新津間などで運用され、さらにディーゼル化された。

これらは液体式キハ45000系列に置き換えられて1955年以降転出している。

2024年4月5日金曜日

蒲原鉄道七谷駅跡の春


 2023年4月9日 蒲原鉄道七谷駅跡 春先はホームの跡と桜を楽しむことができる。

昨年は開花が異常に早かったが、今年は3月の寒さが続いたため遅れているようだ。

2023年4月4日火曜日

菜の花大蒲原

1983年5月3日 蒲原鉄道 大蒲原 モハ41

田植えを待つばかりの水田と菜の花畑。左手に鯉のぼり。春から初夏に変わるころ。
 

2023年4月3日月曜日

冬鳥越八重桜


 1983年5月3日 蒲原鉄道 冬鳥越 モハ12

五泉市の城跡公園に保存のモハ11型が塗装をされ鮮やかさを取り戻したようだ。モハ11はワンマン改造がされていなくて動いているところを見ることはできなかった。モハ12はモハ11の追番でワンマン改造され時々動いているところを見かけた。5月連休の初日代掻きが終わった水田を走るモハ11を八重桜越しに撮影したもの。

この頃の桜の開花はソメイヨシノが4月20日ころで八重桜が5月初めだった。それに比べると開花がかなり早くなってしまった。大災害の前触れにならないといいが・・・

2023年2月2日木曜日

蒲原鉄道陣ヶ峰駅ホーム撤去

2023年1月22日 加茂市 旧蒲原鉄道陣ヶ峰駅跡 ホームの撤去が始まった。

この区間の廃止は1985年4月1日以後38年間その姿を残していたが老朽化のため姿を消すこととなった。


 

右手は駅に向かう階段。左手に駅があった。重機の前に廃材があり解体で出たコンクリートの塊が多数置かれていた。

覆いの中にわずかに見えるホーム跡

この駅は加茂駅を出て加茂川を渡り信越本線新潟方向に進路をとったのち左にカーブして、築堤で右に曲がって信越本線を乗り越えて並行する道路を渡りきったところに駅が置かれた。


 信越本線をオーバークロスする橋の跡。下を信越本線が走る。

蒲原鉄道は陣ケ峰を出るとトンネルをくぐって東加茂駅に入る。この区間はかなりの難工事だったと考えられるが加茂から他に地域に向け路線延長が考えられていたようでこのような線形がとられたという。


2022年10月6日木曜日

あかりば2022

2022年10月1日 加茂市青海神社

加茂市で秋に行われていた「AKARIBA」あかりばが復活した。青海神社付近と加茂山公園に行灯が多数並び幻想的な空間を彩っている。

コロナウィルスのため2019年に行われたのを最後に休止されていたがようやく再開したので見学してみた。(昨年は日帰り入浴施設美人の湯で小規模開催)


 

青海神社参道

茶屋(和菓子屋)周辺

屏風 10月になっても真夏日 浴衣の人も


 

青海神社拝殿 

キッチンカー 

ローストチキン


 

蒲原鉄道モハ61

展示されているあかりの数も多くなく例年より地味な開催であったが、ここはとにかく復活したことを喜び見学を終了して加茂駅に戻る。


 下り「しらゆき7号」57M 乗車は少な目

加茂駅発車 

EF510-21 4070レ



2020年5月31日日曜日

薔薇に彩られて~蒲原鉄道保存車両

2020年5月31日 加茂市冬鳥越 スキーガーデン
薔薇の季節となったが5月の寒い気候のためか咲いているのはまばらだった。
それでも結構な人々が薔薇を楽しんでいた。

スキーガーデンのトイレと自販機以外は閉鎖。蒲原鉄道の車両たちも閉鎖となっていた。

2019年11月7日木曜日

蒲原鉄道全線廃止から20年

2019年11月4日 蒲原鉄道村松車庫 手前の建物は変電所だった建物である。
低い鉄塔がありかつての名残を示す。
五泉方面の線路は左手建物付近にあったが今はその痕跡を見ることはかなわない。中央の奥の部分には留置線があって日中走らない車両が置かれていた。
路線廃止後も今、冬鳥越にいるED1と解体されて現存しないモハ31が保管されていた。
かつて乗場があった付近。いまはその時代を思い出すのも難しい。
村松駅のバス停 蒲原鉄道の主力はバス事業。ただし今は高速バスと観光バスに限られる。
新潟に向かう高速バス。 後部には行先表示板が。列車の行先表示板を思い出す。

村松駅舎の内部。奥の壁側に切符売り場と改札があったがいまは痕跡はない。
わずかに残る待合所がかつての駅舎の存在を残している。





2019年11月6日水曜日

秋色~冬鳥越

2019年11月4日 蒲原鉄道モハ61 遠い現役時代を思い出す。

2019年9月16日月曜日

闇に浮かぶ蒲原鉄道モハ61

2019年9月14日 加茂市 加茂山公園 AKARIBA2019 野外ステージに向かう途中の道で見かけた行燈から。 冬鳥越の旧蒲原鉄道モハ61の行燈。

モハ61の行燈はいくつかある。
公園内の神池の和傘のライトアップ。
AKARIBAのメイン 和傘

 猫とだるま
青海神社門前のあかりたち

腹ごしらえは継之助汁とさくら飯 加茂軍議にちなんだ料理。



2019年8月13日火曜日

蒲原鉄道保存電車とところてん~短い夏休み

2019年8月12日 新潟県中心エリア鉄道整地巡り終点は蒲原鉄道保存車
冬鳥越 モハ1 午後になって蒸し暑くなってきた。
木造車モハ1と最後まで現役だった半鋼製モハ61 
モハ61内部

草生してむさくるしいがここの電車たちも現役時代の記憶をよく伝えてくれている。
この地に生まれて今は首都圏から来られた家族連れ様が懐かしんでおられた。
七谷の旧郵便局 今はカフェとして使われているが長期休業の張り紙が・・・
お目当ての善作茶屋・・・初夏から秋の営業 ところてんが名物。
水で冷やした缶飲料やゆでたまご、瓶飲料など・・・
お座敷も完備!そして駐車場も。さらに加茂氏の市営バスのバス停もある。
蒲原鉄道の電車は加茂川をはさんだ対岸を走っていた。その当時の写真が飾ってあった。
お品書きと駄菓子など・・・以前NHKの取材も受けたようだ。担当は現在のニュース7の女性キャスター。
名物のところてん・・・酢醤油とからし 箸は1本で食べる。300円税込み!
蒲原鉄道が走っていたころは電車を見ながら味わうことができた。
この区間の廃止は1985年4月1日。もう34年の歳月が経過した。
お店の人と歓談して後にした。

加茂川のでは水遊ぶを楽しむ小学生が・・・・遠い夏の日の記憶がおぼろに脳裏に浮かんだ・・・