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2025年8月11日月曜日

日本海縦貫線から眺める 象潟~市振「奥の細道」

2025年7月12日 羽越本線 象潟 


 

象潟駅 海側 松の木と象潟のイメージの庭園

象潟~金浦間 1689年に芭蕉が訪れた時代は湖面だった象潟はその後、1804年の地震で隆起して陸地になった。芭蕉が「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとく」と記している。

「象潟や雨に西施がねむの花」 

鳥海山  羽越本線遊佐~吹浦

「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」 *あつみ山は鳥海山の誤認という説がある


羽越本線 最上川橋梁から *午前撮影

「暑き日を海に入れたり最上川」

もうひとつの「五月雨をあつめて早し最上川」は最上川上流で読まれたもの 

羽越本線からみた粟島の夕景・・・出羽から越後へ 芭蕉は延々と歩いて旅を続ける。

信越本線 鯨波付近 北国海道から佐渡を望む・・
 

酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙遙の 思い胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行を改めて、越中の地市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。

「文月や六日も常の夜には似ず」

「荒海や佐渡によこたふ天河 」

日本海縦貫線は出雲崎駅のある越後線を包含しない。芭蕉が歩いた出雲崎は海岸沿いの町であり、海岸から離れた越後線の出雲崎駅付近から奥の細道のイメージはできない。

「荒海や」の句はそもそも実際に見えた情景を読んだものではないという説もあり、かなり多くのの論点を含んでいると考えられる。体調不良と暑さに苦しんだ越後でのことはほとんど記述されないことがこの句が名句に なったという見解もあるようだ。出雲崎を通ったのが旧暦7月4日である。8月のお盆前くらいであろうか?本来は海は穏やかな季節。荒れた海にに天の川が横たわる光景を見ることができたのか?


市振の海道の松・・・・旧暦7月12日

ひすいライン市振駅 ここがあいの風とやま鉄道との分岐駅 市振の関と反対側に富山県境の境川が流れている。親不知の険が終わってもまだ越後路というのも少し不思議ではある。糸魚川というより、富山県の朝日町の経済圏のように感じるが・・・

ちなみに出羽の境の鼠ヶ関は集落がつながった状態で県境となっている。鼠ヶ関付近は場所によって新潟県村上市、山形県鶴岡市となるようだ・・・

秋田から富山の区間の共通点として山が迫ってわずかな平地そして海は吹浦~上浜間の有耶無耶の関(鳥海山の裾が海に落ちる場所)あつみ温泉~府屋(ここも急峻な山岳地帯が海に落ちる地形)、笹川流れ、角田山と弥彦山の海に落ちる場所、柏崎~柿崎間の米山峠、直江津~糸魚川間の旧北陸本線沿いの地滑り地帯、北アルプスが海に落ちる親不知~市振の区間・・・似たような要害が連なる山形県庄内と新潟県の海岸である。他福井県にも険しい地形が連なる場所がある。北陸トンネルの前後で国道8号は親不知に似た狭隘な勾配区間となっている。

一つ家に遊女も寝たり萩と月 市振でよまれた句。以下に奥の細道の原文を紹介する。

今日は親知らず、子知らず、犬戻、駒返などという北国一の難所を超えて、疲れ待てれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて西の方に、若き女の声二人ばかり聞ゆ。年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし、伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて明日は故郷に返す文したためて、はかなき言伝などしやるなり。

白波のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の強引いかにつたなしと物言うを聞く  寝入りて明日旅立つに、われわれにむかひて、

「行方しらぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかなう悲しく待てれば、見えかくれも御跡をしたい侍らん。衣の上の御情けに大慈の恵みをたれて結縁させ給へ」と泪を落とす。

「不便な事に侍れども、我々は所々にてとどまる方おほし。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護かならず恙なかるべし」と言い捨てて出つつ、哀れさしばらくやまざりけらし。
 

 

2025年8月7日木曜日

羽越本線車窓から~日本海の夕景と鳥海山 GV-E197採石工事列車

2025年7月12日 羽越本線 女鹿  工事列車と遭遇!
女鹿~吹浦 道路はかつての国道7号 鮮やかな日本海が車窓から望めた
雲が多くかかるが鳥海山を望む 遊佐付近 広大な水田地帯

羽越本線沿線は駅前でも鶴岡、余目、酒田駅以外は水田が広がる。


秋田から酒田まで乗車した701系N15編成 546M 秋田15時40分発酒田17時27分着

2時間を切るしゅん足のローカル列車。 



少ない乗客がおりて誰もいなくなった車内 座席に西日が当たる。2時間程度の移動では特に苦になることは無かった。座席のかけ心地も悪くない。


 酒田から乗り換えた新津ゆきのGV-E400‐3 832D 酒田17時34分発新津着は21時4分

3時間30分の長丁場。この列車はかつて秋田~新津間客車列車の生まれ変わりと思われる。 

東酒田駅から見た鳥海山 雲に覆われた 林の向こうは高速道路?
雨留目駅から見た陸羽西線代行バス・・・いつ陸羽西線が復活するのか?


 

18時30分を過ぎたあたり、五十川~あつみ温泉の区間からの夕陽。新津行き普通列車は鼠ヶ関で1両に3人という状態となった。坂町あたりから利用者が増え新発田で白新線に乗り換えの人が多数おりて新津に到着する。

 

2025年7月19日土曜日

奥羽の盟主701系

2025年7月12日 羽越本線酒田 GV-E400系 GV-E402‐15 新津から秋田までの直通列車はなく酒田で乗り換える必要がある。酒田~秋田間は701系オールロングシート車に揺られることになるがロングシートなんてあちらこちらにたくさんあり特段苦痛になることもない。
酒田駅の701系 N19編成 ワンマン列車 



 

秋田駅における701系並び・・・わずかに写っているN11編成弘前行き、N30編成湯沢方面行き、折り返しのN33編成酒田行き。先頭のクモハ701はモーターをうならせてすっ飛ばし95キロ運転。酒田~秋田間は1時間50分程度の運転。ちなみに客車時代は酒田でかなり待たされて秋田到着が14時台だった・・・・新津始発と酒田乗り継ぎでいなほ1号より酒田に早くつけるので普通乗り継ぎを選択した。


 秋田駅留置線でのサハ701‐1 貴重なトップナンバー編成であるが顔を拝むことはできなかった・・・新幹線ホームからだと先頭車も狙えたのかもしれない・・・


 701系車内 オールロングシート 2時間以内の移動だとそれほど苦にならない。座席は最近の電車より柔らかめ・・・

701系が登場当初は かなり非難されたが今はもうローカル輸送の主力として大活躍をしている。気が付くともう30年が経過・・・

 

 

2025年6月3日火曜日

奥羽本線新庄 2004年

2004年8月29日 奥羽本線新庄 秋田行き701系と陸羽西線キハ110
秋田へ向かう701系  

現在奥羽本線新庄~院内の区間は災害復旧に当たり架線を撤去して復旧した。

山形~秋田県境で利用者が少なく、電化設備が過剰になったこと毎年雪の時期に線路沿いの樹木の倒壊で架線切断などの事故が発生するため電化設備の利用をやめてGV-E400系などに置き換えることになった。

秋田新幹線と山形新幹線に挟まれ特急の運転もなくなり利用者減少 が進行しもはや幹線と言えるような状況ではなくなったという。

701系も奥羽本線新庄にくることは無くなった・・・・

現在米坂線も陸羽西線も列車が走っておらず新潟県から山形県内陸へは直接入れない状況となっている。(大宮から山形新幹線利用がベターなのであろうか?)