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2025年10月4日土曜日

蒲原鉄道の宿

1983年11月23日 蒲原鉄道 土倉~高松 モハ41 

切り株だけの水田と低い山。蒲原鉄道 加茂~村松間の大部分は人口希薄地帯である。並行する道路も貧弱で、このため蒲原鉄道が 重責を担っていた。南蒲原の加茂と中蒲原の村松とは結びつきがそれほど強くなく、鉄道経営は最初から苦戦の連続であったという。

冬は道路が貧弱で除雪が追い付かないことも多く、沿線唯一のスキー場「冬鳥越」に訪れるスキーヤーの輸送もあって増結編成が走ることもあった。

この撮影地は冬鳥越から村松寄りで高松駅(停留場)から歩いて10分程度のところに「金割鉱泉」という温泉設備を備えた宿があった。ラジオでCMも流れていて有名だったと記憶する。蒲原鉄道加茂~村松間では宿から鉄道が見えることで知られていた。

加茂市の図書館にあった「蒲鉄時代」という書籍に、蒲原鉄道の社員が忘年会のため村松を17時台に出る加茂行き電車で高松の「金割鉱泉」を訪れて忘年会を行った記述があった。鉱泉とは低温な温泉であり過熱しないと入浴には適さないものをいう。

 

入浴の後座敷で宴会となるが今日のような「オードブル・・・本来は前菜という意味だが、これは盛り合わせ料理という意味に使われ前菜から、メイン、デザートまで盛り合わせている)はなく個々のお膳に村松の名物鯉料理一式が乗りそれらで宴席が営まれた。

帰宅は村松行きの終電で普段無人でひっそりしている高松駅で大勢の蒲原鉄道社員が土産の折り詰めをもって乗車する光景は他の乗客を驚かせるものだったらしい・・・・

この「金割鉱泉」は2000年代に経営者が亡くなり廃業されている。

村松の鯉料理は金割鉱泉ではなく村松町三の宮の養鯉場がある料理店でかつて勤務していた職場の各位と忘年会をした際に食べたことがある。鯉のあらいは刺身風のもの、鯉こくはみそ仕立ての汁物、他に鯉の甘露煮を頂いた。泥臭さは全くなく(養鯉場での養殖のため)おいしかった。ほかに「鯉」をたべたのは奥信濃秋山郷の宿であろうか・・・

 




 

2025年8月11日月曜日

日本海縦貫線から眺める 象潟~市振「奥の細道」

2025年7月12日 羽越本線 象潟 


 

象潟駅 海側 松の木と象潟のイメージの庭園

象潟~金浦間 1689年に芭蕉が訪れた時代は湖面だった象潟はその後、1804年の地震で隆起して陸地になった。芭蕉が「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとく」と記している。

「象潟や雨に西施がねむの花」 

鳥海山  羽越本線遊佐~吹浦

「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」 *あつみ山は鳥海山の誤認という説がある


羽越本線 最上川橋梁から *午前撮影

「暑き日を海に入れたり最上川」

もうひとつの「五月雨をあつめて早し最上川」は最上川上流で読まれたもの 

羽越本線からみた粟島の夕景・・・出羽から越後へ 芭蕉は延々と歩いて旅を続ける。

信越本線 鯨波付近 北国海道から佐渡を望む・・
 

酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙遙の 思い胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行を改めて、越中の地市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。

「文月や六日も常の夜には似ず」

「荒海や佐渡によこたふ天河 」

日本海縦貫線は出雲崎駅のある越後線を包含しない。芭蕉が歩いた出雲崎は海岸沿いの町であり、海岸から離れた越後線の出雲崎駅付近から奥の細道のイメージはできない。

「荒海や」の句はそもそも実際に見えた情景を読んだものではないという説もあり、かなり多くのの論点を含んでいると考えられる。体調不良と暑さに苦しんだ越後でのことはほとんど記述されないことがこの句が名句に なったという見解もあるようだ。出雲崎を通ったのが旧暦7月4日である。8月のお盆前くらいであろうか?本来は海は穏やかな季節。荒れた海にに天の川が横たわる光景を見ることができたのか?


市振の海道の松・・・・旧暦7月12日

ひすいライン市振駅 ここがあいの風とやま鉄道との分岐駅 市振の関と反対側に富山県境の境川が流れている。親不知の険が終わってもまだ越後路というのも少し不思議ではある。糸魚川というより、富山県の朝日町の経済圏のように感じるが・・・

ちなみに出羽の境の鼠ヶ関は集落がつながった状態で県境となっている。鼠ヶ関付近は場所によって新潟県村上市、山形県鶴岡市となるようだ・・・

秋田から富山の区間の共通点として山が迫ってわずかな平地そして海は吹浦~上浜間の有耶無耶の関(鳥海山の裾が海に落ちる場所)あつみ温泉~府屋(ここも急峻な山岳地帯が海に落ちる地形)、笹川流れ、角田山と弥彦山の海に落ちる場所、柏崎~柿崎間の米山峠、直江津~糸魚川間の旧北陸本線沿いの地滑り地帯、北アルプスが海に落ちる親不知~市振の区間・・・似たような要害が連なる山形県庄内と新潟県の海岸である。他福井県にも険しい地形が連なる場所がある。北陸トンネルの前後で国道8号は親不知に似た狭隘な勾配区間となっている。

一つ家に遊女も寝たり萩と月 市振でよまれた句。以下に奥の細道の原文を紹介する。

今日は親知らず、子知らず、犬戻、駒返などという北国一の難所を超えて、疲れ待てれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて西の方に、若き女の声二人ばかり聞ゆ。年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし、伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて明日は故郷に返す文したためて、はかなき言伝などしやるなり。

白波のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の強引いかにつたなしと物言うを聞く  寝入りて明日旅立つに、われわれにむかひて、

「行方しらぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかなう悲しく待てれば、見えかくれも御跡をしたい侍らん。衣の上の御情けに大慈の恵みをたれて結縁させ給へ」と泪を落とす。

「不便な事に侍れども、我々は所々にてとどまる方おほし。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護かならず恙なかるべし」と言い捨てて出つつ、哀れさしばらくやまざりけらし。
 

 

2025年3月9日日曜日

E493系eastEと復活運転EH200‐5牽引6082レ

2025年3月8日 下り検測車 E493系 
EH200-5 6082レ 週末の復活運転のため北越コーポレーションは無かった。

上越線が除雪で止まることが多かったためか週末だったようだ。

これら列車ダイヤ改正後はどうなる? 

帰宅後はフリマアプリで購入した鉄道ジャーナルを眺めた。近年はこうした雑誌を購入することはなかったが4月号に凋落のメインライン「上越線」があり昨年「日本海縦貫線」も取材されていたようだったので偶然購入がかなった。

記事は近時の路線の様子を表面上なぞった印象で昔の「列車追跡」のような迫力はなかったが資料としてみるにはこれでもいいかな?ということで購入。なんと半額で2冊購入した。

女性フォトグラファーYさんの写真も秀逸で日常の各線の様子を的確にとらえられていて、撮影の意欲がわいてきた・・・・

上越線の毛度沢をゆくE129系2連、信越本線塚山付近のE653系「しらゆき」の写真は素敵だった。

2025年2月28日金曜日

前途多難な整備新幹線


 2025年1月25日 E7系(W7系) 上野~大宮

 

前途多難な整備新幹線 とは本年6月号で休刊となる鉄道ジャーナルの4月号特集記事のタイトル。この雑誌の休刊についての云々はすでに多くの方々が記事にされているのでここでは論評しない。ただ60年近い歴史を持つ雑誌であり、休刊は残念に思う。

メイン記事は「北陸新幹線」でありそれらの概要が記されている。昨年ようやく東京から敦賀まで開業した北陸新幹線であるがそこから関西へのルートはまだ定まっていない。政治問題で揺れていてまだ開通までは相当な年月を要するようだ・・・・

さて購入するきっかけとなったのは”凋落のメインライン22「上越線」”である。きわめて陰鬱な表題とともに現在の上越線の様子が紹介されていた。

上越新幹線の開業後は地域間の輸送とわずかに残る貨物輸送だけが残る実質「地方交通線」状態となった上越線の今が紹介されている。

今年の冬は顕著な豪雪で日中の列車を止めて除雪を行っている。このようなことは上越新幹線開業前には考えられなかったが乗客数が減少し地域輸送のみとなった現在はこれでもよしとしなければならないかもしれない。

おもえば最初に購入した鉄道ジャーナルは1978年6月号で特集は「上越国境に架ける鉄路」でありこの沿線の様子が詳細に記されている。引退間近の旧型国電も取り上げられて撮影などをするきっかけのなった特集だった。あれから45年が経過してしまった・・・・

鉄道ジャーナルは列車追跡と地域の様子を紹介してくれる雑誌であり解説も平明であってとっつきやすい印象が強かった。一方で社会派の凄味もあったので休刊は残念であるが時代の流れとして割り切るほかはないのかもしれない・・・・

 

2025年1月1日水曜日

信越本線大正14年時刻表

上り方面
下り方面

上越線が区間開通で塩沢~宮内間の時代。直江津~新潟間8往復運転。急行は上野~新潟間長野経由の101レ上野20時30分~新潟8時35分着、上り新潟18時発上野7時着 二等寝台車連結。普通急行料金が必要である。急行列車は他に上野~金沢間運転があった。この列車も二等寝台車連結となっている。 長距離普通列車は神戸~青森間列車がありこの列車も二等寝台車連結である。また磐越西線にも上野~新潟間夜行列車があり二等寝台車連結となっている。急行料金は266.6哩で2円(二等)1円(三等)となっている。二等寝台車とは現在のA寝台車相当で上段3円、下段4円50銭となっている。この時代まだ三等寝台車はなかった。

上野~新潟間急行の長野から新潟までの停車駅は田口(現妙高高原)、高田、直江津、柏崎、長岡、三条、新津、新潟である。一ノ木戸(現東三条)はまだ弥彦線が乗り入れていないため市街地に近い三条駅が急行停車駅であった。ここから燕方面の乗り合い自動車などで移動がされたものと思われる。新潟自動車商会の定期乗合自動車便で燕まで80銭、所要時間20分(距離は2里)三条駅の列車と接続をしていた。


2024年12月30日月曜日

大正14年時刻表~越後鉄道


 復刻時刻表から 大正14年(1925)越後鉄道時刻表

白山~柏崎間と弥彦~燕間時刻が掲載。前年の11月1日現在。大正14年4月1日に弥彦線が燕~一ノ木戸間が開通する。この時刻表ではまだ記載されていない。昭和2年(1927)一ノ木戸~越後長沢間が7月開通し10月には鉄道省に買収。越後線と弥彦線となる。

この時刻表では白山~西吉田間が7往復。西吉田~大河津間7往復、大河津~柏崎間6往復で柏崎~比角間に1往復の運転。2等と3等運賃の記載がある。

弥彦~燕間は9往復の運転でほかに区間運転がある。弥彦線はすでに3等車だけとなっていた。


車両は越後鉄道からの引継ぎ車両で運用されていった。弥彦線は1760型蒸気機関車と木造客車で昭和11年(1936)機械式気動車が導入される。

客車は買収当初は越後鉄道からのものが中心でのちに鉄道院基本型も使われているのか?

新潟支社三十年史の鉄道局の開局の頃のリストを見るとナロハ 11500、ナロハフ11800、ナロハフ11850が計8両、さらに22000系のナロ20700が13両、ナロフ21200が3両、ナロフ21250が5両、全室2等のナロ20700が13両、ナロ20850が1両配置され、新潟局は長野、山形、秋田の各地域も管轄のためどこにどの程度配置があったかは分かりつらいが越後線などだと半室車両で足りると考えられる、おそらくは鉄道院基本型の2等室がロングシートのものが入っていたのかもしれない。

昭和15年の時点では越後線も弥彦線も3等だけになっている。

 

 

 

 

2024年12月26日木曜日

鉄道博物館保存のキハ41307の越後線の時代


 今はない岡田誠一氏の著作「キハ41000とその一族」 1999年ネコパブリッシング

1950年代に越後線西吉田におけるキハ41207  天然ガス車の時代

新潟県内では天然ガス資源があり1947年から天然ガス動力が用いられたが低出力や安全性、コストに問題があって1952年にはディーゼル(DMF13)化されキハ41307となった。

 

故岡田誠一氏の著作を購入した。今所属している研究会のリーダーをされていたこともあった。気動車の解説について評価が高い。 

2024年12月24日火曜日

戦前の気動車の黄金期 1940年(昭和15年)

弥彦線 弥彦~越後長沢間 一部列車に機械式気動車(ガソリンカー)が導入されたころ。弥彦線は4往復であった。ほかは木造客車による列車で一部には越後鉄道の買収車も用いられていた。

越後線の白山~柏崎間 気動車は4往復。白山~大河津の運転。

越後線に気動車(ガソリンカー)が配置されたのは1936年(昭和11年)4月1日から。

手持ちの時刻表は復刻版で1925年(大正14年)、1930年(昭和5年)、1934年(昭和9年)、1940年(昭和15年)、1942年(昭和17年)、1944年(昭和19年)である。

1925年はまだ越後鉄道の時代、1930年はまだ気動車はなく、越後鉄道の買収車が使われていたと思う頃、1934年は気動車が登場したころで越後線や弥彦線にはまだ配置されていない時代、1940年は気動車の黄金期と言える時期、ただし日中戦争が勃発して燃料の節約が叫ばれる時代で、早くも減便が開始。また一部にはアルコール併用や木炭ガス併用の開始がされた。

1944年の時刻表では弥彦線の越後長沢~東三条間の時刻が無くなっていたがまだ気動車の運転はあった。越後長沢方面はこの年の10月16日には運転休止で線路撤去、復活は1946年10月1日となっている。この年の時刻表ではわずか3往復で混合列車だったという。1951年からは天然ガス車の運用が始まる。

他1943年には信越本線貨物支線関屋~新潟間の線路を使って越後線西吉田と東新潟港の区間で気動車の工員輸送が行われているほか、終戦後の1945年の暮れには新潟~新津間で気動車の運転が行われている。

参考文献 時刻表復刻版戦前、戦中編 時刻表復刻版戦後編、鉄道と新潟

2024年12月22日日曜日

昭和15年(1940年)磐越西線時刻表 


 磐越西線時刻表である。1940年のもので会津若松と喜多方の区間の小駅の停車列車が目立つことに注目。新津~会津若松の列車は喜多方を出ると塩川のみ停車で会津若松に向かう。

停留所相当小駅の会津豊川、姥堂、笈川、堂島は1934年11月1日請願駅として開業。ガソリンカーの停車駅となった。1日5往復が停車で新津方面とは系統が分かれていた。

これらの駅では会津若松や喜多方への通勤・通学輸送限定の便宜を図る目的で、1940年以降はガソリンの統制で区間運転のガソリンカーの運転も減少し1944年の時点で2往復が朝晩留まるだけとなった。

戦後は新津方面の客車列車の一部が停車するようになり以降は新津方面直通列車の一部の停車が当たり前となった。1950年では新津方面列車1往復が確認できる。このころの停車本数は4往復で1961年では3往復、1964年9月では2往復に減少となった。

2024年の時点では5往復停車で通型時間帯が中心となっている。新津方面列車の停車もある。

会津豊川、姥堂、笈川、堂島のこれら小駅のつくりは簡素で大糸線などでみられる私鉄買収の電鉄線を思い出させた。

2018年8月11日 磐越西線堂島を通過のDL快速。 踏切のすぐ左手に小さな駅舎がある。磐越西線の喜多方~会津若松間では架線設備が廃止され現在使われていないという。今後は架線柱も撤去されると思われる。



2024年12月16日月曜日

新潟鉄道局開局前のボギー客車

2024年12月15日 国鉄新潟支社三十年史から

昭和11(1936)年7月3日に開局する前のボギー客車の一覧表。

大まかにみると私鉄買収車、鉄道院基本型(木造車 ホハ12000やナハ22000などの系列)

オハ31型鋼製客車、スハ32型鋼製客車であろうか。

鋼製客車は幹線の急行など。木造車はローカル列車という運用だったと考えられる。

このころ支線区にはガソリンカー(機械式気動車)が入り始め、越後線や弥彦線に運用を開始している。 

11年の時刻表は無いが、15年(1940年)では越後線で4往復、弥彦線でも4往復運転されている。ただ、昭和12年(1937年)日華事変が起こりガソリンなど石油の輸入規制などが行われ、終戦の頃にはいったん運用が無くなったとされている。それまでの間、木炭やアルコール併用などがされていたようだったが。

2024年12月8日日曜日

戦前の時刻表を入手してみました


2024年12月8日 復刻時刻表戦前編 日本交通公社

戦前の時刻が知りたくて入手。手持ちの時刻表は1964年9月が一番古いがそれ以前のものはない。

図書館をめぐっても出てこない。フリマアプリを動かすと手ごろな価格で出ていたので、購入。当初の発売価格程度で入手できた。

年表や歴史解説などではいまひとつわかりつらいことが一気に判明した。今調べていることは戦前の気動車のこと。

先週新津の図書館で国鉄新潟支社「三十年史」を閲覧、戦前に西吉田支区に機械式気動車(ガソリン車)が配置され越後線や弥彦線の一部列車に使われていた。

今はない弥彦線東三条~越後長沢間の列車運用を知ることが主たる目的で、昭和5年の時点ではすべて客車、機関車は越後鉄道からの買収のもの。以降、ガソリン車が一部の運用に入った。

昭和9年(1934年)時点では気動車の記載はないが、昭和15年の時点で弥彦線で3往復、越後線で4往復気動車の記載があった。気動車の運用開始は昭和11年(1936年)からであり、好評を持って迎えられたようだった。

東三条と越後長沢の区間は午後2往復の運用だったようだ。他は蒸気機関車の牽引する列車だった。

この区間は昭和19年(1944年)10月には線路を撤去され、終戦後昭和21年(1946年)線路復活となって3往復の運転が再開した。この時点では混合列車のため蒸気機関車に戻ったと思われる。以降は越後線も弥彦線も気動車が主流となり高度成長期を迎える。このころにはキハ17系の全盛期となっている。

参考

 http://ef510001.blogspot.com/2023/05/blog-post_27.html

 

 


2023年6月18日日曜日

1977年(昭和52年の新潟鉄道管理局発行の時刻表から

 


1、上越線 上り新潟~長岡~上野方面 (とき、いなほ、はくたか、北陸、天の川他)
特急
2002M とき1号  新潟 6時50分発   上野10時49分着 183系 備考:181系、183系とも新潟運転所上沼垂支所所属12連 181系は食堂車あり
2004M とき2号  新潟 7時50分発   上野11時49分着 181系
2006M とき3号  新潟 8時50分発   上野12時49分着 183系
2008M とき4号  新潟 9時50分発   上野13時48分着 181系
2010M とき5号  新潟10時50分発   上野14時49分着 183系
2012M とき6号  新潟11時50分発   上野15時50分着 183系
2014M とき7号  新潟12時50分発   上野16時49分着 183系
2016M とき8号  新潟13時50分発   上野17時49分着 181系
2018M とき9号  新潟14時50分発   上野18時49分着 183系
2020M とき10号 新潟15時50分発   上野19時48分着  181系
2022M とき11号 新潟16時50分発   上野20時49分着 183系
2024M とき12号 新潟17時50分発   上野21時49分着 181系
2026M とき13号 新潟18時50分発   上野22時48分着  183系

2042M  いなほ1号 秋田6時45分発   上野14時23分着 485系 秋田運転区485系全席指定
2042M  いなほ2号 青森8時15分発   上野18時24分着 485系 青森運転所485系全席指定

3002M     はくたか 金沢15時50分発  上野22時23分着 485系 向日町運転所
3002レ 北陸   金沢21時00分発  上野5時45分着  20系   尾久客車区    
急行列車
702M   佐渡1号  新潟 7時32分発   上野12時42分着 165系13両 165系新潟運転所上沼垂支所 サハシ165はビュッフェ営業中止
704M   佐渡2号  新潟12時32分発  上野17時42分着 165系13両
706M   佐渡3号  新潟16時32分発  上野21時41分着 165系13両
708M   佐渡4号  新潟23時00分発  上野 5時07分着 165系13両
3602M  よねやま  直江津9時20分発 上野14時40分  165系13両
2101D うおの   新潟19時 3分発 十日町21時10分着 気動車 新潟運転所 越後川口より普通列車
3604レ 能登   金沢21時 7分発 上野6時38分着 10系寝台車と43系座席車
802レ 天の川   秋田17時48分発  上野5時55分着 20系寝台車
804レ 鳥海    秋田19時 2分発 上野6時41分着 10系寝台車と43系座席車  
101D   野沢    長岡  7時25分発 長野10時30分着 長野運転所気動車
2、上越線下り上野~長岡~新潟方面

 特急
2001M とき1号  上野 6時38分発  新潟10時37分着 183系 備考:181系、183系とも新潟運転所上沼垂支所所属12連 181系は食堂車あり
2003M とき2号  上野 7時38分発  新潟11時33分着 183系
2005M とき3号  上野 8時38分発  新潟12時30分着 181系
2007M とき4号  上野 9時38分発  新潟13時30分着 181系
2009M とき5号  上野10時38分発  新潟14時35分着 181系
2011M とき6号  上野11時38分発  新潟15時29分着 183系
2013M とき7号  上野12時38分発  新潟16時31分着 181系
2015M とき8号  上野13時38分発  新潟17時31分着 183系
2017M  とき9号  上野14時38分発  新潟18時32分着 181系
2019M とき10号 上野15時38分発  新潟19時33分着  183系
2021M とき11号 上野16時38分発  新潟20時33分着 183系
2023M とき12号 上野17時 8分発  新潟21時05分着 183系
2024M とき13号 上野18時38分発  新潟23時33分着  181系

2042M  いなほ1号 上野11時 8分発  青森21時10分着 485系 青森運転所485系全席指定
2042M  いなほ2号 上野15時08分発  秋田22時36分着 485系 秋田運転区485系全席指定

3002M     はくたか 上野8時 8分発 金沢14時35分着 485系 向日町運転所
3002レ 北陸   上野21時18分発 金沢 6時 5分着  20系   尾久客車区    
急行列車
702M   佐渡1号  上野 7時17分発  新潟12時16分着  165系13両 165系新潟運転所上沼垂支所 サハシ165はビュッフェ営業中止
704M   佐渡2号  上野13時17分発  新潟18時16分着  165系13両
706M   佐渡3号  上野18時17分発  新潟23時11分着  165系13両
708M   佐渡4号  上野23時00分発  新潟 5時20分着  165系13両
3602M  よねやま  上野 8時47分発  直江津13時54分着  165系13両
2101D うおの   十日町16時41分発 新潟10時27分着  気動車 新潟運転所 越後川口まで普通列車
3604レ 能登   上野21時48分発  金沢 8時16分着  10系寝台車と43系座席車 金沢運転所
802レ 天の川   上野22時38分発   秋田10時24分着   20系寝台車 尾久客車区
804レ 鳥海    上野21時14分発   秋田 8時16分着   10系寝台車と43系座席車 秋田運転区  
102D  野沢   長野16時41分発  長岡19時38分着  長野運転所気動車 
 
日本海縦貫 上り青森~新潟~大阪間
特急列車
4002レ 日本海1号 青森16時25分発 大阪 7時49分着 早岐客貨車区14系
6004レ 日本海2号 青森19時23分発 大阪10時46分着 宮原客車区24系25型
4002M  白鳥    青森 4時50分発 大阪18時25分着 青森運転所485系13連全席指定
4006M   北越1号  新潟 8時30分発 大阪15時54分着 向日町運転所485系北越はすべて12連食堂車営業
4008M  北越2号  新潟13時23分発 大阪20時57分着 向日町運転所485系
3032M  北越3号  新潟16時25分発 金沢20時47分着 向日町運転所485系
4006レ つるぎ   新潟22時25分発 大阪 7時22分着 宮原客車区24系25型
急行列車
502レ きたぐに  青森12時58分発 大阪 8時27分着 宮原客車区210系寝台車と12系座席車
504D  しらゆき  青森 6時50分発 金沢19時17分着 秋田運転区気動車
502D  越後    新潟 8時55分発 大阪18時 8分着 長野運転所気動車
506D  ひめかわ  新潟17時28分発 青海20時39分着 新潟運転所気動車 越後線経由

日本海縦貫 下り大阪~新潟~青森間
特急列車
6003レ 日本海1号   大阪17時15分発 青森 8時40分着 宮原客車区24系25型
4001レ 日本海2号   大阪20時10分発 青森11時45分着 早岐客貨車区14系
4001M  白鳥    大阪10時20分発 青森23時50分着 青森運転所485系13連全席指定
3031M 北越1号   金沢 7時45分発 新潟11時52分着 向日町運転所485系
4005M 北越2号   大阪 7時35分発 新潟14時52分着 向日町運転所485系
4007M 北越3号   大阪14時35分発 新潟21時55分着 向日町運転所485系
4005レ つるぎ   大阪21時55分発 新潟 6時48分着 宮原客車区24系25型
急行列車
501レ  きたぐに    大阪22時10分発 青森17時10分着 宮原客車区10系寝台車と12系客車
501D  越後    大阪10時 6分発 新潟19時27分着 長野運転所気動車
503D   しらゆき  金沢 9時50分発 青森22時15分着 秋田運転区気動車
505D  ひめかわ  青海 6時37分発 新潟 9時59分着 新潟運転所気動車

信越本線  上り直江津~長野方面 
1、金沢方面から
特急列車
3004M 白山1号  金沢 7時 7分発  上野13時52分着 金沢運転所489系12連食堂車営業
3006M  白山2号  金沢10時11分発  上野16時53分着
3008M 白山3号  金沢13時10分発  上野15時59分着
急行列車
602レ 越前    福井20時32分発  上野 7時 4分着
信越本線 下り長野~直江津方面
2、金沢方面へ
特急列車
3003M 白山1号  上野 9時34分発 金沢16時15分着
3005M 白山2号  上野11時34分発 金沢18時15分着
3007M 白山3号  上野14時34分発 金沢21時10分着
急行列車
603レ 越前    上野20時51分発 福井 7時12分着
3、直江津始発上り
特急列車
5031M  あさま3号 直江津 7時30分発 上野11時52分発 長野運転所189系10両
急行列車
2301M 妙高1号  直江津10時31分発 上野16時12分着 長野運転所169系
1308M 妙高2号  妙高高原13時23分発上野18時12分着
2306M  妙高3
2802D 
号  直江津16時31分発 上野22時 8分着
6304M 妙高4号  直江津22時10分発 上野 4時27分着
2322       直江津21時35分発 上野 4時47分着(長野から急行妙高5号)10系寝台車と43系座席車(尾久+直江津)
4、直江津終着 下り
特急列車
5031M あさま6号 上野16時34分発 直江津20時51分着 長野運転所189系10両
急行列車
2301M 妙高1号  上野 6時16分発 直江津11時53分着
1301M 妙高2号  上野 7時44分発 妙高高原12時41分着
2303M 妙高3号  上野14時47分発 直江津20時12分着
6301M 妙高4号  上野23時44分発 直江津 6時18分着
301レ 妙高5号  上野23時58分発 直江津 7時19分着

新潟方面からの列車(急行のみ)長野方面
2801D 赤倉    新潟9時15分発  名古屋17時40分着 新潟運転所気動車
316M とがくし1号 新潟10時53分発 上田15時 3分着 165系新潟運転所
318M とがくし2号 新潟19時24分発 上田23時33分着
新潟方面への列車(急行のみ)直江津方面
2802D 赤倉    名古屋10時5分発 新潟18時2分着
313M とがくし1号 上田 6時18分発  新潟10時27分着
317M とがくし2号 上田15時19分発  新潟19時42分着



 



2023年5月27日土曜日

新潟県三条市付近のインフラと交通関連の年表

 三条市インフラと交通関連の年表
1872年明治5年 9月三条郵便局開局
1873年明治6年 長谷川源助等により五十嵐川に三条橋(嵐川橋)架橋
1874年明治7年 ガス灯がともる
1875年明治8年 三条町の人口14884人
1875年明治8年 8月1日 信濃川に定期蒸気船就航
1877年明治10年 10月10日 松尾与十郎等尽力で五十嵐川南側築堤完成
1878年明治11年 7月   英国女性探検家イザベラバードが新潟県来県
             (津川~新潟~荒川経由で山形方面へ)
1878年明治11年  9月21日~22日明治天皇が北陸巡幸の途次三条町東別院に宿泊
1881年明治14年         松栄橋(常盤橋)完成
1883年明治16年 6月16日 嵐川橋開通式 前年の水害で流出(三条~長岡間街道)
1885年明治18年 10月4日 瑞雲橋架橋三条から信濃川を渡って燕・弥彦方面の道
1892年明治25年 2月     電信局が郵便局に移されて三条郵便電信局になる
1892年明治25年     下田郷と三条を結ぶ県道の五十嵐川に架橋(籠場大橋)
1894年明治27年 9月21日  三条鮮魚問屋五ノ町に開設(信濃川沿い)
1894年明治27年 10月     三条町議会は嵐南に三条停車場の開設を請願
1894年明治27年 11月     一ノ木戸村議会嵐北に停車場開設決議
1897年明治30年 11月21日  北越鉄道沼垂~一ノ木戸間開業
1898年明治31年 6月16日  北越鉄道長岡~一ノ木戸開業 三条駅と帯織駅開業
1900年明治33年      下田郷と会津を結ぶ八十里越え通行人員18500人/年
1903年明治36年 6月      三条町と町外の電話開通
1907年明治40年 8月1日  鉄道国有法で北越鉄道は国有化信越線となる
1911年明治44年 11月19日 新潟水力電気会社により家庭用電灯が引かれる
1912年大正1年  11月15日 六ノ町に灯用の三条瓦斯株式会社工場設立
1913年大正2年  7月24日  三条駅と弥彦の参宮自動車が運行開始(1年で廃業)
1914年大正3年  11月1日 岩越線(磐越西線)新津~郡山間全通
1917年大正6年      信濃川の蒸気船長岡~三条間廃止
1916年大正5年 3月    栄郷(大面村)大面油田採掘1日ドラム缶300缶
1918年大正7年      下田郷に乗合自動車運転開始三条~荻堀間
1919年大正8年  5月1日  鉄道院仙台鉄道局開設(信越線など管轄)
1920年大正9年  1月   三条町の人口20424人
1920年大正9年      信濃川蒸気船廃業
1921年大正10年 4月17日 南北自動車設立 下田郷八木前~三条町大町間
1924年大正13年  8月22日 瑞雲橋豪雨災害で被災
1924年大正13年 10月  御蔵橋(三条から栄方面)
1924年大正13年  10月  田島橋(一ノ木戸から見附方面)
1925年大正14年 4月10日 越後鉄道弥彦支線一ノ木戸~弥彦間開業
1925年大正14年 4月10日 弥彦支線北三条駅開業
1925年大正14年 10月1日 三条町人口27860人
1926年大正15年 7月28日  五十嵐川洪水 三条駅被災8月2日復旧
1927年昭和2年  7月25日 越後鉄道一ノ木戸~越後長沢間開業
1927年昭和2年  7月25日 越後大崎、大浦、越後長沢駅開業
1927年昭和2年 10月1日  越後鉄道全線国有化 一ノ木戸駅は東三条駅に
1927年昭和2年 10月1日  越後鉄道国有化により弥彦線となる
1928年昭和3年 11月1日 南北自動車数社合併で中越自動車設立(のち越後交通)
1930年昭和3年     栄郷(大面村)大面油田最盛期(以後減少で1963年閉山)
            大面油田~帯織駅に石油輸送の引き込み線設置
1930年昭和5年 10月1日 三条町人口31256人
1931年昭和6年  9月1日 上越線高崎~宮内間全通(水上~石打間電化)
1931年昭和6年  9月1日 上野~新潟間急行運転 7時間10分
1934年昭和9年  1月1日  三条市政開始 三条市となる
1935年昭和10年 10月1日  三条市人口 34649人
1936年昭和11年 4月1日  弥彦線に気動車(ガソリンカー)運転
1936年昭和11年 9月11日 新潟鉄道局開設
1939年昭和14年 3月25日 三条郵便局一ノ町に移転
1940年昭和15年 10月1日  三条市人口36541人
1941年昭和16年 12月   鉄道電話設置
1942年昭和17年 11月14日  太平洋戦争激化のため旅行制限が始まる
1943年昭和18年 9月20日 信越本線に保内信号場設置
1944年昭和19年 5月21日 信越本線に東光寺信号場設置
1944年昭和19年  8月   三条駅女子職員モデル駅指定(1949年女子職員引上)
1944年昭和19年 10月16日 弥彦線東三条~越後長沢間一時撤去
1945年昭和20年  6月  強制疎開と疎開道路の建設
1946年昭和21年  3月15日 鉄道省三条自動車区設置
1946年昭和21年 10月1日  弥彦線東三条~越後長沢間復活
1946年昭和21年 10月1日 三条市人口45238人
1946年昭和21年 10月1日 昭和天皇御巡幸 三条中学校に市民奉迎所設置
1947年昭和22年 10月1日 上越線全線電化開業
1949年昭和24年  6月1日 公共事業体日本国有鉄道発足
1949年昭和24年  8月1日 保内信号場は保内駅となる
1950年昭和25年  8月1日 新潟鉄道局は新潟鉄道管理局となる
1951年昭和26年  8月1日 三条自動車営業所設置(1965年10月1日新潟営業所)
1952年昭和27年 10月1日 上野~新潟間急行「越路」6時間
1953年昭和28年 4月1日 東光寺信号場が東光寺駅に格上げ
1954年昭和29年 10月1日 秋田~上野間夜行急行「羽黒」運転
1955年昭和30年  3月31日 長沢、森町、鹿峠各村合併下田村発足
1955年昭和30年 10月1日 三条市の人口68570人
1956年昭和31年  9月30日 大面村と福島村合併栄村となる(1981年10月1日栄町)
1956年昭和31年 10月1日 上野~新潟間急行「佐渡」5時間45分
1958年昭和33年  6月   瑞雲橋永久橋となる(三条~燕~弥彦の県道)
1959年昭和34年  1月26日 信越本線東三条駅鉄筋コンクリートに改築
1959年昭和34年  4月8日  国鉄新潟支社発足のち新潟鉄道管理局
1959年昭和34年 12月23日 県道保内~大面線渡良瀬橋架橋
1959年昭和34年 12月23日 嵐川橋永久橋化(国道8号)
1959年昭和34年 12月23日 県道三条~下田線籠場大橋永久橋
1960年昭和35年  10月1日  三条市人口71594人
1960年昭和35年 12月14日 弥彦線東三条~越後長沢間 貨物営業廃止
1961年昭和36年 1月    昭和36年豪雪
1961年昭和36年  8月5日  集中豪雨 御蔵橋、新大橋 渡良瀬橋 流出
1961年昭和36年 10月1日 特急「白鳥」大阪~青森間新設東三条駅は通過
1962年昭和37年 6月10日 信越本線長岡~新潟間電化特急「とき」運転4時間40分
1962年昭和37年      弥彦線北三条駅改築(寺院建築から鉄筋建築に)
1963年昭和38年  1月   昭和38年豪雪
1964年昭和39年  6月   新潟地震
1964年昭和39年 10月8日  三条市から白根市への信濃川にかかる景雲橋架橋
1964年昭和39年 12月   国道8号線三条大橋(信濃川架橋)
1965年昭和40年 8月31日 信越本線三条駅~東三条駅複線化
1965年昭和40年 10月1日 三条・燕地区都市建設推進協議会結成
1965年昭和40年 10月1日 特急「とき」一部停車特急「白鳥」停車 
1965年昭和40年 10月1日 三条市人口は74080人
1966年昭和41年  7月24日 三条市に自動電話
1968年昭和43年 10月1日 昭和43年10月ダイヤ改正東三条駅特急「とき」停車増加
1969年昭和44年  3月  国鉄貨物営業センター三条支所営業開始
1969年昭和44年  10月 新潟~大阪間特急「北越」運転開始   
1970年昭和45年  4月1日 新潟~三条~只見~いわき間国道289号指定
1970年昭和45年 11月   八十里越の宿場だった下田村の𠮷ケ平集団離村
1970年昭和45年  4月1日 小出~栃尾~下田~村松~新発田間国道290号指定
1973年昭和48年  7月6日 三条市の人口8万人超える
1975年昭和50年  10月1日  三条市人口81806人
1977年昭和52年 12月20日 国道289号線信濃川の石上大橋開通
1978年昭和53年 9月21日 北陸自動車道新潟~長岡間が開通三条燕インター設置
1978年昭和53年 10月2日 特急「北越」2往復廃止同区間に特急「雷鳥」運転3往復
1980年昭和55年 10月1日 三条市人口85275人
1982年昭和57年  4月1日 県道三条~新津線を国道403号に格上げ
1982年昭和57年11月15日 上越新幹線新潟~大宮間開業燕三条駅開業
1982年昭和57年11月15日 特急「とき」廃止 特急「北越」増発
1984年昭和59年 2月1日 弥彦線の貨物列車廃止
1984年昭和59年 4月8日 弥彦線東三条~弥彦間電化開業
1985年昭和60年 3月14日 上越新幹線上野開業急行「佐渡」「天の川」廃止
1985年昭和60年 10月2日 関越自動車道全通(長岡ジャンクション~東京練馬間)
1985年昭和60年 4月1日 弥彦線東三条~越後長沢間廃止 跡地は国道289号線
1986年昭和61年     国道289号線八十里越区間の改築工事建設省が承認
1986年昭和61年 11月1日 国鉄最後のダイヤ改正 荷物輸送廃止
1987年昭和62年 4月1日 国鉄分割民営化 JR東日本になる
1988年昭和63年     三条市昭栄通りに商業施設パルム建設
1988年昭和63年 7月20日 北陸自動車道新潟~米原間全通
1989年平成1年      国道289号線八十里越え区間工事開始
1991年平成3年  4月  燕三条駅付近に大型スーパー進出し商業拠点化が進む
1991年平成3年  6月20日  上越新幹線東京駅乗り入れ開始
1993年平成5年  4月1日 国道403号線を三条市から栄町経由で松本まで延伸
1997年平成9年  3月23日 北越急行線開業により信越本線の特急の本数が激減
1997年平成9年  9月14日 弥彦線燕三条~東三条駅高架 北三条駅改築
1998年平成10年 3月   東三条駅の貨物輸送が自動車代行となる(2012年廃止)
1998年平成10年 4月   燕三条駅に自動改札導入
2001年平成13年 3月   大阪~青森間特急「白鳥」廃止 特急「雷鳥」も廃止
2004年平成16年 7月13日 新潟福島豪雨災害。五十嵐川氾濫
2004年平成16年 7月13日 豪雨災害で一新橋、常盤橋、御蔵橋、嵐川橋掛替必要
2004年平成16年 10月23日 中越地震で上越新幹線、北陸自動車道が一時不通
2005年平成17年 1月26日 東三条駅自動改札導入
2005年平成17年 5月1日  下田村、栄町と合併し「新三条市」人口107000人
2008年平成20年 3月   三条駅自動改札導入
2012年平成24年 3月   東三条駅貨物自動車代行廃止
2015年平成27年 3月   北陸新幹線開業で直江津から先「えちごトキめき鉄道」      
             移管(北陸本線ひすいラインになる)
2015年平成27年 3月   新潟~金沢間特急「北越」廃止
2017年平成29年 5月4日 JR東日本のクルージング列車「四季島」停車駅となる
2018年平成30年 1月11日 豪雪で上り長岡行き列車が東光寺駅で長時間運転不能
2021年令和3年  1月9日 新潟県豪雪で県内JR全線と一部高速道路の閉鎖  
2021年令和3年  4月   三条市の人口94000人に減少
参考文献など
三条市史(下巻)     三条市       1983年
三条市史 資料編7~8巻  三条市       1983年
写真で見る新潟県の百年  野島出版      1973年
長岡市史 (現代編)   長岡市       1996年
下田村史         下田村       1970年 
栄村史          栄村        1981年
大面村史         大面村       1966年
新潟県の廃線鉄道(瀬古龍雄監修)郷土出版社  2000年
日本国有鉄道百年史 日本国有鉄道       1973年
越後の停車場    朝日新聞社        1981年
越後交通社史    越後交通株式会社     1985年
図説新潟県の街道  郷土出版社        1993年
八十里越え~記録が語る歴史の道 北陸建設弘済会 1996年
新潟の石油天然ガス10話 島津光夫 野島出版  2009年
新潟県の100年交通産業編 新潟日報事業社    1985年

2023年5月7日日曜日

塚山峠を訪ねて

2014年5月4日 キハ40系「 越乃Shu*Kura」 そろそろ後継が出るのか?
塚山駅 2004年の中越地震で被災し建て替えられた。無人駅。

長岡市越路支所 塚野山活性センターにおいて隅田哀氏の写真展が行われているので鑑賞のため出かけてみた。1982年5月号の鉄道ファン誌に「塚山峠を訪ねて」という文章があり、この界隈が取り上げられていた。山間を走る列車の様子が鮮明に描かれ印象的であり、以降このあたりで撮影を行うきっかけとなった。

館内には今はないEF81牽引列車や485系特急などが多数展示され渋海川橋梁を俯瞰する列車や近くになる木造の小学校の校舎の後ろを走る列車も紹介されていた。

開館前にE653系特急「しらゆき」とキハ40系「越乃Shu*Kura」の様子も撮影した。

最近はこの付近に来ることはほとんどなかったがこの写真展が来訪の機会となった。撮影地は田植えが始まろうとして農家の方々は準備に余念がなかった。峠の小さな集落にようやく田植えの季節が来て新緑も濃くなっていくひと時をながめ往年の時代を懐かしみ帰宅した。

(画像は2014年のもの)

2023年5月4日木曜日

千里中央駅~大阪モノレール ウメサオタダオ展への旅 2011年5月4日

2011年5月4日 千里中央駅

万博跡地にある国立民族学博物館に向かう際に利用。


 

太陽の塔

国立民族学博物館 2010年老衰にて亡くなられた民族学者、文化人類学者の梅棹忠夫氏を偲んで行われた企画展。「ウメサオタダオ展」


全ては打ちかけの碁なのだ・・・・

情報カード・・・別名京大カード ウメサオタダオ氏が情報を整理に用いたツール。著作「知的生産の技術」は大ベストセラーとなり今もそれは色あせない。スマートフォンやパソコンなどまだ夢の世界の時代に考案された。


愛用のNikonF2 

急行「きたぐに」もなくなり遠征をすることもなくなった。ここを訪れてから12年が経過した。


2023年2月1日水曜日

越後線貨物列車時刻表1968年10月

交通新聞社の復刻昭和43年復刻貨物時刻表P370

越後線の貨物時刻

下り181レ

柏崎430、比角436、西中通452、刈羽510、西山523、石地558、出雲崎616、小島谷648、大河津709、粟生津817、吉田835、岩室1009、巻1025、越後曽根1104、内野1135、関屋1216、新潟操車場1334

上り182レ

新潟操車場844、関屋924、 内野945、越後曾根1023、巻1054、岩室1124、吉田1138、粟生津1241、大河津1317、小島谷1351、出雲崎1409、石地1445、西山1455、刈羽1510、西中通1603、比角1616、柏崎1650

下り183レ

柏崎1052、比角1058

上り154レ

比角1113、柏崎1118

下り185レ

関屋2159、新潟操車場2223

上り186レ

新潟操車場2014、関屋2039

下り187レ

吉田2232、巻2345、越後曾根2312,内野001、新潟操車場039

上り180レ

新潟操車場157、関屋219、吉田317

 機関車はこのダイヤ改正前がC56、以降DE10

区間運転は比角折り返しがC11だったようだ。

2023年1月2日月曜日

写真集越後線

 

2022年1月3日 越後線粟生津付近 115系N40編成

年末に食材の買い出しに行ったついでに書店に行くと越後線の写真集が出ていたので購入。新潟日報メディアネットからの出版である。

1976年に撮影された新潟駅の様子。停車している自動車はスカイラインやバイオレット、カローラなど。新潟交通のバスもかなりの年式。新潟駅には「新潟に世界の友呼ぶ新幹線」のスローガンが掲示され、入り口には寝台特急つるぎに乗って青い国四国一周の旅 団体募集中の看板も。新幹線が発展につながると信じられていた時代であった。

さて、この越後線の写真集は前回「昔電車が走っていた」の著者海津英夫さんの著作で越後線前線の駅と列車の昔と今の様子を紹介するものとなっている。郵便局勤務の父海津一郎さんの遺された写真や資料を基に新たに取材した現在の越後線を重ね合わせて表現する手法がとられ、列車写真よりは駅の様子が中心となっている。越後線の写真集は記憶がなく新鮮に感じ買い求めてみた。越後線だけというのがかなり貴重と思う。

新潟県内の鉄道の話題路線は上越線、信越本線、磐越西線、羽越本線、大糸線、 只見線、飯山線、米坂線、飯山線、北越急行、蒲原鉄道、新潟交通、栃尾鉄道、頸城鉄道などで越後線は話題に上ることはなかった。(弥彦線も)蒸気機関車が消えたのが早く沿線風景が単調が原因だし、優等列車も走っていないとなると話題になりようがない。

キハ10系、キハ30系、キハ45、キハ58系の時代。1984年に電化されて115系や165系が活躍開始、1995年にE127系導入、2004年中越地震の迂回ルートとなって485系の臨時快速列車が走り、2014年E129系に。駅舎は木造の駅舎が多数登場。貴重なものが多い。

亡くなられた父上の資料を引き継ぎ、さらに発展させていくという手法ができることをうらやましく思う。あとがきに鉄道が詳しくないという記述があるがなかなかどうしての謙遜であり、更なる次作を期待したいところである。


2022年6月9日木曜日

客車履歴票

客車履歴票は客車の製造から用途廃止までの間に起きた「事実関係」を記載する文書である。

機関車や電車などは帳簿となっているが客車は一枚の書面でありそこに形式、構造、整備歴、改造箇所、移動歴が記載される。様式はA5判とB4判のものがあり後者は主に新系列の車両で見かけることが多いようだった。というより機関搭載などの複雑な機構を持つ新型客車もこの1枚書面で管理されていることは驚きであった。

先日所属している研究会の会合にオンラインZOOMで参加した。Web画面には何名かの方々が映り、さらに会場参加の各位も映し出され、事前に配布された資料に基ずいて討議がなされていた。

 

テーマは履歴票の討議で、改造歴のある車両の検討であった。

履歴票によっては記載が抜けている箇所があったり、同じ車両であっても同様の記載内容が2部存在するものがあったりと様々であった。

抜けがある部分を推測したり、疑義のある記載内容を踏み込んで検討していくとさらに新たな発見がある楽しい会合であったが画面上から名前を呼ばれ自己紹介をするように指示があった時は驚いたものだった。

車歴票については鉄道ピクトリアル2002年7月号特集スハ43系Ⅱ P28「客車履歴票とのかかわり雑感」を参照した。

2020年7月12日日曜日

白き湖底の町にて~宮脇俊三著線路のない時刻表

2020年7月12日 ブックオフで見つけた名著。宮脇俊三著「線路のない時刻表」
この本は開通する前の主に第三セクターとして現在開業している路線を「架空時刻表」を用いてで紹介した作品。
智頭線=智頭急行、北越北線=北越急行、三陸縦貫線=三陸鉄道、樽見線=樽見鉄道、宿毛線=土佐くろしお鉄道宿毛線、瀬戸大橋、青函トンネル 以上の路線が紹介。
取材は1980年~1981年頃頃おこなわれていて青函トンネルと瀬戸大橋を除いて国鉄改革の荒波を受け廃止の危機を乗り越えて第三セクターとして開業した路線である。

北越北線は「白き湖底の町にて」で紹介され国鉄非監修の時刻表がついている。
この作品の時点で北越北線は工事凍結の直前であった。著者は十日町、松代を取材してこの作品を仕上げている。
このころ冬は豪雪で陸の孤島となる東頸地域に取材している。1981年は豪雪の年で十日町で4mの積雪を記録している。
十日町から松代へは車で柏崎へ出て急行赤倉で直江津そこから国道253号の経路で取材に入ったと記されている。豪雪で十日町~松代間の薬師峠が通行できなかったことによる。
松代に到着したのは14時、ここで当時の松代町の町長と面会している。
取材は難工事の鍋立山トンネルの内部の見学が行われている。トロッコで粘板岩で押し出されて一向に進まない工事現場の取材がされた。
その後松之山へ向かって温泉に入る記述もあった。

まつだいの駅前に石碑があるようにこの地域での鉄道への悲願は相当強いものだったようだ。自動車があっても道悪で除雪技術がないころ鉄道が望まれたが開通は平成9年(1997年)1931年に窮状を申し上げてから66年も経過した後だった。

当方も1982年にこの地に迷い込んだが国道の方もかなりひどいもので 現在立派な道路に生まれ変わったことが信じられない・・・

さて時刻表であるが越後湯沢乗り継ぎ特急「ゆきぐに」3本と上野からの急行「まつのやま」1本、特急「新雪」1本、全区間を走る普通列車が6本、松代までの区間列車2本という内容だった。宮脇氏は国鉄改革を見据えたダイヤ構成をとっているようだ。(この路線が国鉄によって開通した場合を考えて)

結果は第三セクターとなり1984年に「北越急行株式会社」として1980年で途絶えた工事が1985年に再開し高規格化鉄道への流れとなっていくのである・・・・


2020年5月26日火曜日

鉄道ピクトリアルの特集はムーンライト

2013年1月2日 長岡で発車待ちの臨時快速「ムーンライトえちご」
この時代はすでに上越線経由の夜行は寝台特急「あけぼの」のみ。北陸と能登は廃止されていた。また日本海縦貫線「きたぐに」「日本海」も最後の冬を走っていた。こちらも臨時に格下げられていたが利用は低迷しダイヤ改正で運転そのものが無くなっている。

ムーンライトえちごよりはきたぐにの利用の方が多かった。自由席ありのためか利用しやすかったからであろう。
ムーンライトえちごは165系時代、485系時代とも年に1回程度の利用であった。
ひたすら闇の中の上越線や高崎線の光景が記憶に残っている。

これらが消滅した後は遠征もすることもなくなり出かけても新幹線利用となっている。

ほかムーンライトと名の付く列車はムーンライト八重垣だけでこちらは京都~出雲市の利用で目が覚めたらみしらぬ山陰の街を走っている情景がよかった。14系の改座車も乗り心地がよくよく眠れた。夜が明けてからの宍道湖や松江の街並みも印象深かった。

ムーンライトながらは乗車歴はないが大垣夜行の上りの世話によくなっていた。
東京4時40分台着は結構きつい時間帯だったが・・・・
こちらは行くことが無くなってから20年以上が経過した。

関西や山陽方面に行くことが無くなって9年近くになるがこれからも行くことはできないのであろう・・・