「59豪雪」とよばれ海岸部でも大量に積雪があった冬。485系は雪原を切り裂いて走り、使命を果たしていた。特急「白鳥」青森行き。北陸本線最古参の特急列車。
485系特急はこのころはまだ食堂車の営業もあり利用者も多く長距離特急のプライドを保持していた。
「59豪雪」とよばれ海岸部でも大量に積雪があった冬。485系は雪原を切り裂いて走り、使命を果たしていた。特急「白鳥」青森行き。北陸本線最古参の特急列車。
485系特急はこのころはまだ食堂車の営業もあり利用者も多く長距離特急のプライドを保持していた。
機関庫裏手の踏切りから。試作機関車DD20 1 救援車スエ31184
DD201はDD511を中間で切断したような形状。入れ替え用だったが1970年代後半には休車になっていた。DD202は除雪機関車DD53の後補機として用いられた。こちらはDD16と類似していた。同じころ休車になっている。
DD201は鉄道資料館の実車保存車としてクハ181‐45、クモヤ90、オヤ31、DD21などとともに展示する計画があり、一時は旧新津鉄道資料館付近に保管されていたが、保存予定地がJR東日本の新津車両製作所の用地になったため保存予定地を失い解体された。
クハ181‐45のみ解体をまぬかれ上沼垂に保存され現在は大宮の鉄道博物館に保存となっている。
参考 沖田祐作著 機関車表より
DD201 汽車製造大阪工場=2969 1963-03-25 D55tBB(1067)
車歴;1963-03-00製造→納入;国鉄;DD201→1963-03-25竣工→配属;新潟局→
1966-01-31無線操縦実験 国鉄東北線田端~王子駅間にてDD201+ヨ5070+ヨ5071+
ホキ+トキ+ワフの編成にて無線操縦の実験開始 指令車ヨ5070号 2月10日まで実施→
初期に現車は長い間田端にあったらしい→1977年現在;長岡→1986-03-31廃車;長岡→
保存;新潟県新津市「JR東日本新津車両管理所」;DD201
DD202 汽車製造大阪工場=3127 1964-12-00 D55tBB(1067)
車歴;1964-12-00製造→納入;国鉄;DD202→1965-01-08竣工→配属;新潟局→
1966-03-31現在;長岡一→1977年現在;長岡→1986-03-31廃車;長岡
スエ31184 - = - PC t2-2(1067)
車歴;製造→納入;国鉄;スハニ35753→スハニ324→
1965-09-21多度津工場改造;マニ3556→配置;汐留→
1969-03-31現在;新潟→1970-03-31現在;直江津→
1971-03-31現在;新津→1971-08-08新津工場救援車化改造;スエ31184→
配置;新津→1975-10-12現在;新津客貨車区→1983-11-25廃車;新津
この時代気動車は新潟運転所(新潟駅の南側)に配置されていた。
新津鉄道資料館で買い求めたのは「鉄道のまち新津」という図録。ここに新津が鉄道のまちとして発展していく経緯が記載されている。
参考 沖田祐作著 機関車表から
オヤ172 - = - PC t2-2(1067)
車歴;製造→納入;国鉄;?→改造;→1959年改造→
1974年改造(交流電気機関車用教習車);オヤ172→1975-03-31現在;新津→
1986-02-00廃車;新津
来月のダイヤ改正で磐越西線では運用の見直しがされる。4連が減少して2連が増える。
余剰となるキハ110など旧世代の車両たちも引退が近いのか?
かつてキハ40やキハ47が多数いたが今はそれらの姿はない。少しづつ時代は動いている。
雪がわずかに残る。重い曇り空の中列車は定刻に走り去っていく。
雪のないおだやかな新年が暗転し苦しみが襲う。険しい年の始まりから1ヶ月が経過していく。 ごくごくわずかであるが日常が戻りつつあるという・・・
20年前の当地の光景と重なるものがある。
今月の最大の収穫は首都圏への往復を果たしたことだった。事故も豪雪も余震もなく曇り空だっただけ、無事に目的を達成できた。ささやかなことであるが。
3月のダイヤ改正で気動車の運用が見直される。磐越西線で4両で新潟駅から直通するものが新津で運用を分けて2両で行うということだ。またキハ110系も登場して30年になる。
冬枯れの平野をゆっくりと進む。 土曜午後の配給。1月20日は富山のEF510-20がこの列車で新鶴見へ移送された。その後静岡にも入ったという。