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2025年4月26日土曜日

余生~新たな使命を生きる EF5861 


 2025年1月25日 さいたま市 鉄道博物館

昨年収蔵されたEF5861 入り口付近の線路が見える場所にて展示されている。この日はお召列車牽引の時代が再現されて、日章旗が取り付けられていた。

多くの家族連れ、友人同士、恋人同士といった方々が記念撮影などをされていた。

「撮り鉄」と言われている方々は博物館収蔵の車両に関心が払われることはなくあまり見かけなかった。

2004年5月に見かけてから、もう21年が経過した。越後路にやってきて新潟駅開業記念列車を牽引したものを見たのが最後で、以降首都圏に撮影に行くこともなかった‥‥

当日はこの機関車のほか、目的の車両を見聞し夕方帰宅した・・・・・

EF5861の新たな使命は展示されることで多くの方々にかつての活躍を伝えること、線路沿いを走る後進の列車たちを見守ることである。次のステップを静かに歩み始めたEF5861・・・

2024年12月31日火曜日

愛するひとよそばにいて~消えゆくものへの鎮魂歌 1984年の記憶から EF58146

1980年5月3日 EF58146 〔宮〕 東海道貨物線

1982年8月15日 山陽本線

1984年3月31日 東海道・山陽本線の荷物列車牽引に長らく活躍してきたEF58がEF62に役割を譲って運用が終わった。多くの人々に愛されたEF58が主戦場から退くことは大きな意義を持っていた。2月にダイヤ改正がされ貨物列車の大幅削減、ここには信越本線の高崎~坂城間の列車も含まれていた。余剰EF62を東海道・山陽線に転属させ、暖房方式も蒸気暖房から電気暖房に変更された。1983年の暮れにEF58が東海道・山陽線の定期運用から撤退することは多くに知れ渡り、多数の見送りの人々が沿線に集うことになった。

ダイヤ改正後は各地配置のEF58は下関運転所に集中配置となりEF62の運用開始までの間最後の任務に就くことになった。

厳しい豪雪の1984年の冬EF58は精一杯蒸気を噴き上げて残りの使命を励んでいた。荷物列車の定期運用でEF58の最終となったのは3月29日荷2031レで大阪駅でEF6232に交換されEF58牽引の定期列車が終わった。この列車の牽引機はEF8146であった。この日は晴れのすがすがしい日であったという。(EF58は雨の日も雪の日も果敢に走っていたのであるが)

ずっとそばにいてほしいと願っていた人々に見送られEF58は舞台から去っていった。後任のEF62も2年後1986年10月ダイヤ改正で荷物列車とともに引退した。

沖田祐作 機関車表から履歴

 EF58146 東芝府中工場=302501-1 1957-11-10 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1957-11-10製造→納入;国鉄;EF58146→1957-11-20竣工→
配属[達51];関西支社→1957-11-21配置;宮原→1965-03-16借入;広島→
1965-04-05返却→1984-02-01下関→1984-11-05廃車;下関

この機関車はエアフィルターが原型で窓もHゴム化されておらず比較的原型に近い形状だった。

原型の窓の東海道EF58は寒冷地仕様の上越型EF58とは別物と言えるくらいの違いを感じた。この機関車が意識して東海道EF58を見た最初の1両だった。

表題の「愛するひとよそばにいて」・・・とは当時ヒットしていた女性2名のアイドルユニットの曲の中からいただいてみた。EF58が終焉を迎えようとしているこのころヒットした曲でEF58の鎮魂を思い浮かばせた。この曲を聴くと当時の光景が思い浮かぶ。むろん単なる感傷にすぎず、曲とEF58の引退とは全く無関係であるが。

もう40年前の出来事である。

 

2024年5月18日土曜日

上越線旧型客車列車


 
 1999年8月20日 上越線水上 EF5861 オハニ36スハフ42スハフ42の編成

越後湯沢~水上間運転 「レトロトレイン駒子」

盛夏の水上駅で入れ替えが始まった。EF5861のとなりでは115系が停車中。乗り換え客で混雑していた。

 

2023年7月23日日曜日

そして静かな終焉~EF5861除籍

1985年3月31日 高崎第二機関区 一般公開

この日上越線でEF15重連運転を高崎第二機関区で各種機関車展示の一般公開が行われていた。

体調はあまりよくなかったが、EF5861も国鉄に承継されないで廃車のうわさが多数あり、機会を見ては狙っていた。

新潟県内では蒲原鉄道の村松~加茂間廃止、弥彦線東三条~越後長沢間廃止で盛り上がっていたがそれらに背を向けて高崎に出向いたのもよき思い出となっている。

結局EF5861は廃車どころかJR東日本に承継後されて大活躍をし平成の「1号編成お召し列車」を2回、各種ジョイフルトレインを牽引し愛好家各位を喜ばせたのは周知のとおり。

新潟県内にも何回かやってきたが、首都圏ほど人の出もなく静かな環境で記録できた。2004年5月4日「新潟駅開業百周年記念列車」牽引の大役を果たし、単機で上越線経由で田端へ帰区するところを見たのを最後に関りをなくしてしまった。首都圏ではその後もイベントに入っていたようだったが・・・・昨年終の棲家大宮の鉄道博物館に車籍を残したまま収蔵されたが2023年5月31日除籍。EF58という形式は線路上から消えた。今後は機会を見て保存機などの巡礼に励みたいと考えている。


 

2023年5月3日水曜日

特急「北星」の忘れ形見~青塗りワサフ8800

1981年6月 東三条を発車するEF58137〔高二〕 荷2041レ 夜を徹して走ってきた荷物列車。積み荷の多くは新聞であると考えられる。EF58のすぐ後ろには青い車両が、マニ44と似ているがこれは貨車のワサフ8000で塗装が青かったのはかつて20系寝台特急「北星」に連結されていたため青塗りとなったとされる。寝台特急という観点で見るとどこか風格にかけるようだった。その後14系客車に置き換えられて姿を消した。 岡田誠一氏の著作国鉄鋼製客車Ⅱ P176によるとワサフ8800~8802は特急「北星」併結可能な仕様で1974年製造AREBブレーキ装備で車体が青15号に塗装、1987年廃車とある。1980年版配置表では東京北局隅田川客貨車区にワサフ8800~8802の記載があった。 車体が濃く見えたのは建物の影かと思ったが東三条駅のこの付近に高い建物はなく客車の車体そのものだったようだ。この画像を撮影してから40年を超えているが新たな発見がありおどろいている。

2023年4月11日火曜日

冬の夜に蒸気が舞う~EF5860廃車解体から30年

1981年1月 大阪駅 荷32レ EF5860〔浜松〕 

荷物列車の先頭に立つEF5860からは暖房の蒸気が見える。大阪22時40分発汐留行き。1983年に廃車解体されるまでお召列車予備機という栄光を捨てひたすら荷物列車の牽引の従事していた。

 沖田祐作著機関車表から

 EF5860 東芝府中工場=301256-1 1953-07-30 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1953-07-27東芝構内試運転→1953-07-14機関車試運転 国鉄EF5860・EF5861号機関車
品川~平塚駅間にて試運転実施→1953-07-30公式試運転実施→1953-07-30竣工→
1953-07-31納入;国鉄;EF5860→配属[達573];静岡局→1953-07-30配置;浜松→
1958-04-09事故東海道線 国鉄東海道線大垣駅にてEF5860号機関車電動発電機直列抵抗折
損→1967-05-25事故;東海道線浜松衝突事故第2位左台枠折損→
1983-04-01国鉄名古屋鉄道局 EF5860号機関車による「ミステリー401」列車運転
EF5860号機関車のお別れ運転→1983-05-17廃車;浜松


 

2023年2月18日土曜日

EF58146  南武線八丁畷

1980年5月3日 南武線八丁畷

東海道貨物線の合流点。EF58146牽引の荷物列車が通過この列車の終点はいまはない汐留。


 

弥彦線北三条付近を走るE127系。かねてよりうわさされていた南武線支線への転属が決定した。弥彦線も金属産業路線で燕付近は工業地帯を思わせるロケーションがあるが南武線支線は京浜工業地帯のど真ん中であり弥彦線とは比べ物にならない。日本の工業地帯の総本山への栄転である。

EF58146撮影時はクモハ11が走っていたが同年101系に変更され国鉄民営化を迎え2000年代に205系電車になり現在に至っている。2023年にE127系に置き換えられるが扉数は3か所となりクモハ11の時代に回帰する。



2023年2月11日土曜日

EF58134 石打スキー8702レ

1982年2月 上越線 EF58134〔高崎第二機関区〕 

上越線のスキー列車8702レ石打スキーの先頭に立つEF58134

ひさし、汽笛カバー、スノープロウ、原型エアフィルタこれらを武器に豪雪地帯と闘い続け多くの列車を牽引して大量輸送に貢献した。特急時代であってもスキー輸送は急行型車両が主力でEF58牽引のスキー列車が多数石打や小出を行きかっていった。

自動車の時代であっても列車でスキー場に訪れる人は多く週末は混雑していた。補助機関車連結無しで牽引できるぎりぎりの両数が12系9連でこれを従え午後の上越線を上野に向かって走っていった。ほかに165系電車のスキー列車も運転されこれらは上越新幹線開業後も運転されていた。

EF58の運用はこの1982年が最後だったがEF64に引き継がれ、上越新幹線の上野延伸まで活躍した。以降は新幹線と関越自動車道がスキーの足を担うが2000年代直前までスキー列車の運転は行われシュプール上越号や各種団体列車が冬の上越線を彩っていた。

2022年12月31日土曜日

越後路にやってきたロイヤルエンジンEF5861

1990年3月 信越本線三条 配給列車を牽引して新津に向かう途中三条駅で休息し、後続の特急「北越」や普通列車に道を譲る。西日を側面に受けて車体が鮮やかに染まった。

このEF5861の後ろにEF551も。新津駅での展示ための配給で主役はD51498。この年新津~村上の区間でSLうるおいの新潟が運転されたがその件に関係するものだった。

EF5861は現在大宮の鉄道博物館において収蔵され一般公開されている。車籍は残っているので修繕がなされれば本線上に出ることが可能ではあるが、台枠を損傷しているため復帰は厳しいらしい・・・今後の技術の進化を待つよりないかもしれないが・・・

EF551そしてJR東日本では僚友のEF5889も鉄道博物館で余生を送っている。
 

2020年4月29日水曜日

昭和の日~昭和天皇お召し列車の記憶

1984年(昭和59年)9月27日 宇都宮~黒磯の回送単機。 日章旗を取り付ける旗竿がすでにセットされお召列車仕様に整備されたEF5861〔東京機関区〕
ご成婚60周年を記念して福島県御幸啓が行われ帰路も在来線利用となった。
日程は9月25日 原宿9時51分発福島14時 牽引機関車は原宿~黒磯EF5861 黒磯~福島間はED75121だった。
9月26日は福島10時で磐越西線の翁島11時43分 牽引機関車は福島~郡山間ED75121、郡山~翁島(会津若松)ED7712(ご宿泊は一力館という宿)
9月27日は磐梯熱海12時05分原宿到着は16時07分  牽引機関車は磐越西線内(会津若松~郡山間はDE7712、郡山~黒磯ED75121 黒磯~原宿EF5861

この御幸啓は1924年(大正13年)8月3日~31日にご成婚時のさいに(当時皇太子)運転された会津地方を訪ねるもので俗に「フルムーンお召列車」と言われた。すでに東北新幹線が大宮~盛岡間に開業していたが利用されずすべて在来線だけというのは特筆される。

夜間車を飛ばして栃木県まで来たがこのお召列車仕様の整備がされたEF5861を見たときは疲れが吹き飛んだしたことを思い出す。この区間で上りお召列車の通過までの数時間を待っていた。
栃木県の無名撮影地なのか喧噪もなく静かに通過を見送った。

EF58はこのころ急激に廃車が進んで東海道・山陽本線はEF62に置き換えられて定期列車はなかった。東北本線も翌年EF641000番代が荷物列車に急行津軽、急行八甲田はEF65牽引となった。またEF5861も運用が無くなるといううわさがあり最後の1号編成ということで沿線は賑わったという。

昭和天皇のEF5861牽引のお召し列車はこのあと1985年(昭和60年)3月12日に原宿と下田(伊豆急下田)への須崎御用邸への運転が最後となっている。

1号編成は1985年のつくば万博のお召列車や鳥取県の国体、分割民営化後の1987年5月24~25日の佐賀県にて行われた植樹祭で運転されている。1号編成はJR東日本に引き継がれるが九州のお召し列車以降平成の時代になると1996年10月のベルギー国王来日にあたって両毛線で運転されたお召し列車まで間が開くことになった。
現在はE655系「なごみ」がその任を受け継ぎ運用されている。

さて昭和どころか平成も終わってもうすぐ1年であるが新型コロナウィルスの影響で大変なことになっている。昨年の今頃は慶祝ムードだったがいまは厳しい時世となっている。
はやく疫病がおさまって平穏な時が訪れることを願う。

2019年11月13日水曜日

EL奥利根号

1979年11月3日 高崎線 EF5861牽引12系のEL奥利根号。高崎でD51498と交替して上り列車の時間まで高崎運転所で待機をした。

2019年9月3日火曜日

EF58141 急行「津軽」

1984年2月 上野駅 夜行急行「津軽」 残り少ないEF58牽引。右端は撮影する人。
この時点で上り「津軽」下り「八甲田」がEF58牽引だった。

「津軽」は14系寝台車を3両連結して全盛期の夜行列車の面影を残していた。

2019年6月30日日曜日

EF5836〔米原〕牽引荷39レ

1983年12月30日 EF5836〔米原〕牽引の急行荷物列車荷39レが山崎を通過。
寒冷地型、7枚窓の変形機のEF58であった。長岡には1980年10月までEF5835が稼働していたがEF641000番代に置き換えられて休車さらに廃車解体の道をたどっている。
EF5836は東海道線に転属し廃車はEF62に置き換えられたのち1986年になってからである。(機関車表の履歴の通り)
かつては35号、36号ともに長岡に配置されていた。
 形態の違い(大雑把な)
35号機
汽笛カバー、スノープラウ、エアフィルタ原型、正面窓は黒Hゴム支持 電気暖房
 36号機
汽笛カバー無、スノープラウ撤去、エアフィルターはビニロックに改造、白いHゴム
蒸気暖房
沖田祐作著機関車表から

EF5835~37の履歴

 EF5835 東芝府中工場=301055-1 1952-03-09 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1952-03-09製造→納入;国鉄;EF5835→1952-03-10竣工→配属[達191];高崎局→
1952-03-11配置;高崎二→1956-11-04浜松→1956-12-18借入;浜松発米原へ→
1957-02-13浜松→1957-10-15高崎二→1957-12-25借入;高崎二発東京へ→
1958-01-11返却→1958-01-27宇都宮→1960-11-10(借入?)長岡二→
1981-06-09廃車;長岡二
EF5836 東芝府中工場=301055-2 1952-04-01 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1952-04-01(3/29?)製造→納入;国鉄;EF5836→1952-04-01竣工→
配属[達275];高崎局→1952-03-30(29日?)配置;高崎二→1954-02-19事故東海道線
国鉄 東海道線北堀之内駅にて列車が安全側線に突入EF5836号機関車全軸脱線→
1956-11-02浜松→1957-10-12高崎二→1957-12-02(12/25?)借入;高崎二発東京へ→
1958-01-12返却→1958-04-09(4/8?)借入;高崎二発沼津→1958-04-23返却→
1958-04-24宇都宮→1960-10-04借入;宇都宮発長岡二へ→1961-03-31返却(書類上)→
1961-03-31長岡二→1972-07-18借入;長岡二発宇都宮へ→1972-08-24米原→
1984-01-30下関→1986-01-30廃車;下関→保存;広島県広島市「二井田工産」;EF5836
(車体前半分のみ)
EF5837 東芝府中工場=301055-3 1952-04-20 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1952-04-20製造→納入;国鉄;EF5837→1952-04-19竣工→配属[達275];高崎局→
1952-04-20配置;高崎二→1956-11-06浜松→1956-12-29宮原→
1957-10-11(10/12?)高崎二→1958-04-07(4/6?)東京→
1959-08-01借入;東京発高崎二へ→1959-12-10高崎二→東京→
1960-07-31借入;東京発高崎二へ→1960-12-09返却→1960-12-09(12/10?)高崎二→
1961-01-12借入;宇都宮→1961-04-04(3/31?)長岡二→1972-07-19宇都宮→
1972-08-24(8/25?)広島→1973-10-01下関→1979-10-16(10/6?)廃車;下関

EF58112 502レ「きたぐに」

1983年12月30日 京都7時45分 EF58112〔米原〕が新潟からの急行「きたぐに」を牽引して終着の大阪に向かう。
EF58112の全面窓にはワイパーカバーが取り付けられていた。(他に74号と113号も)
急行「きたぐに」の編成は14系の11両編成で大阪寄りから1号車、最後尾11号車で1~5号車が自由席、6~10号車が寝台車で7号車がA寝台、それ以外がB寝台、最後尾はスハフ14型の指定席。寝台車は14系のため寝台幅が70㎝であり1982年11月15日改正前の10系寝台車にくらべ居住性が向上。しかし座席車は特急列車の座席と同様だったが簡易リクライニングであり座席を倒しても倒した状態を固定できないため姿勢を変えると元に戻ってしまい極めて不快なものであった。さらに窮屈な座席で足は伸ばせず痛くなることも多かった。
この列車では常に寝不足でぼんやりとした状態で降りることが多かった・・・・
14系座席車は日中の列車向けだったといえる。

2019年6月8日土曜日

EF58100 24系客車回送

1093年12月30日 東海道本線 EF58100牽引の24系(向日町所属)の大阪から向日町への回送。原型窓のEF58100〔宮〕牽引。1984年2月1日改正でEF58がEF62へ置き換えられ、24系の回送も廃止のなることが決定していた。冷え切った朝もやがかかる東海道本線を走るEF58牽引列車を静かに見送った。

2018年9月16日日曜日

石打のEF5861と115系

1994年9月 上越線石打にて 到着した団体列車から切り離されたEF5861が入れ替えのため構内を移動。右手には115系が待機。
現在の石打駅はこの115系が停車している1番線がなくなり上り本線(EF5861が入れ替えをしている2番線)と下り本線(3番線)だけになっている。ほか引き上げ線と留置線がわずかに残るだけとなっている。この駅での機関車の付け替えも今は不可能である。

石打はかつて国境越え列車の補助機関車連結と切り離しを行う駅として知られていたが国鉄がJRに移行後は切り離しが南長岡(宮内を含む)に変更されのちには水上も高崎に変更され一部は新潟貨物ターミナルまで重連で通すこととなった。
機関車牽引の列車も削減が進んだ関係か石打での機関車連結や切り離しもなくなったためか構造が簡素化されるに至った。
かつては一日中補助機関車の連結切り離しで明け暮れた時代も今は遠い記憶となってしまった。

2018年9月5日水曜日

御召機関車の並び

1986年7月 東北本線小山機関区 EF5861、EF8181、DD51842 の並び
国鉄末期の大盤振る舞いだった。
先月東京の大井工場でEF5861が公開されたようである。近年は動くこともなくなり車庫内で保管されていたが久しぶりに外の空気を吸えたようだ。
EF8181も現在は写真の塗装に戻っているがすでに1号御料車が現役を退いているためお召し列車の先頭に立つことはなさそうである。 

2018年8月6日月曜日

EF58150牽引20系

1993年8月 東海道本線を走るEF58150とEF65PFと20系寝台車。20系は臨時夜行急行「霧島」「雲仙」の回送。EF65PFとEF58は臨時列車を牽引後基地に帰区のため併結運転となった。

2018年7月27日金曜日

EF58 128荷物列車~京都にて

1982年12月30日 京都駅に停車中のEF58128〔宮〕牽引の荷物列車。
 列車は汐留~熊本間運転の荷33レ  暖房の湯気が構内に流れてどこか蒸気機関車時代を思わせる情景であった。この光景が見られなくなるのは1984年3月のことである。

2018年7月23日月曜日

EF58123〔宇〕牽引急行「八甲田」

1982年5月23日 EF58123〔宇〕牽引の急行102レ「八甲田」スニ41と12系客車で計10両の陣容。(この日は臨時に回送の荷物車連結)102レ青森は0時2分発上野着11時2分着 で下りは上野19時10分発青森到着は6時15分。北海道連絡を目的にしていて上りが函館19時40分出航青森23時30分着24便、下りは青森7時23分出航函館到着11時20分の23便だった。周遊券利用の方々に絶大な人気を誇り、帰省や出稼ぎの足としても愛用された。

機関車表からEF58123履歴引用
 EF58123 日立製作所水戸工場=191721-3 1957-04-00 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1957-04-00製造→納入;国鉄;EF58123→1957-04-19竣工→
配属[達371];関東支社→1957-04-19配置;沼津→1958-03-26東京→
1969-05-28借入;新小岩→1970-11-21返却→1970-12-29借入;宇都宮→
1974-01-08返却→1975-01-26事故東海道線 国鉄東海道線品川駅にて荷第41列車
EF58123号機関車暖房蒸気漏洩→1976-10-13宇都宮→1983-03-11廃車;宇都宮

**電気暖房改造1976年10月12日大宮工場にて電気暖房に改造
(EF58ものがたり下巻P328)