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2022年11月22日火曜日

枯れ野とき326号


 2022年11月20日 上越新幹線 E2系J66編成 とき326号

午前中に東京まで1往復して、午後の1往復の始まり。この列車の前に時刻表に無いE7系の編成が通過していった。

冬枯れの水田を前景に新潟平野を貫く上越新幹線の高架。高速で駆け抜ける新幹線列車。

1982年11月15日行動様式を変更することを迫られた交通革命がおこった日。首都圏は遠くの町ではなく、越後路は首都圏の移動範囲に取り込まれていく。

ただし上越新幹線が主役となったわけではなく、隣を走る高速道路がメインルートとして主流になっている。多くの人々は多少時間がかかっても費用が少ないマイカー移動を選ぶことが多い。

2022年11月21日月曜日

疾風~200系塗装E2系J66編成


 2022年11月20日  燕三条駅を通過するとき311号

時速240キロで一気に東京~新潟間を駆け抜ける。上越新幹線では花形運用。

新潟に着いたら一息入れとき326号で折り返して2回目の東京運用。

2022年11月20日日曜日

とき304号 復刻200系色

2022年11月20日 上越新幹線 とき304号

E2系J66編成 200系色を纏う 落葉が進む越後平野を走る。

200系色は落ち着いた配色で越後平野の風景に溶け込んでいた。本年は上越新幹線開業40年の節目。
 

2020年5月14日木曜日

5月28日から新幹線の大幅減便が始まる

2019年8月19日 E2系 長岡~新潟間の491号運転のための回送列車。
燕三条駅13番線でしばらく停車して長岡に向かった。

コロナウィルスの影響でJR各社の輸送量は大幅減少となった。緊急事態宣言による自粛要請で利用者が大幅に減少し鉄道事業そのものの収益性が悪化。
そのため5月28日より上越新幹線では4割削減。一日17往復程度の運転となる。
また「乗って楽しい列車」という「SLばんえつ物語」や「shu*kura」「海里」「現美新幹線」の運休も継続となる。
イベント列車や観光列車もコロナウイルスの感染を拡大する要因となるため、さらに生活と関連の薄い不要不急のものであるため真っ先に切られた。(撮影者が感染地域からやってきたり列車内の密の派生が考えられたりする)


これからも明るい話題があることは考えにくくこの状況が長期化すると運賃の値上げやローカル列車の一部の運転見直しやさらに最悪一部のローカル線の路線廃止などの議論も発生すると考えた方がいいのかもしれないがそうならないことを切に願う。

2019年11月30日土曜日

北陸新幹線の試練

2002年10月10日 北陸本線入善付近  いまはないE2系長野新幹線のイラスト。
北陸地方に新幹線がやってきたのは2015年3月22日。ようやく首都圏直結が実現したが北陸本線は並行在来線としてJRから切り離されてしまった。旅客の日本海縦貫線もこのとき完全消滅した。
2017年4月6日 上越妙高 E7系「はくたか」
2019年10月の台風19号災害では長野の車両基地が水没し新鋭E7系も10編成(W7系含む)が犠牲になった。
北陸新幹線はいまも本数を減らしての運転となっている。昨日JR東日本から 年末年始に東京へ旅行される方への案内がされ上越新幹線への乗り換えを推奨する旨が記載されていた。当面の間不便を強いられるがはやく元のダイヤに戻ることを願う。

厳しい試練が襲った北陸新幹線・・・・

2018年10月8日月曜日

現美新幹線~燕三条展示

 2018年10月7日 燕三条駅 現美新幹線E3系700番代の展示
 11号車は指定席でこの車両は公開されなかったようだ。
 元グリーン車なのでゆったりしている座席が特徴。
 E2系と並んだE3系現美新幹線
 女性に人気なのだろうか?撮影者多数だった。
 長岡の花火を側面に描いているが迫力がある。 この車両はミニ新幹線用のためステップが扉下に出ている。
16号車新潟より
 見学者のためにコーンで仕切られていた。

 工場の祭典が行われていた。7日が最終日でもうすぐ終了といったところだ。
分厚いガイドブックを配布していたので頂いた。
日本語と英語で開設が書かれて写真はモノクロで各工場とそこで従事する方々の写真が多数あった。険しい表情で作業と向き合う職人各位が印象的だった。
 工場の祭典 販売ブース
民謡の披露も行われた。

台風25号通過のため午前中は暴風が吹き荒れ雨も強かったが午後からは回復した。

2018年8月28日火曜日

晩夏を走る

2018年8月18日 お盆も終わって幾分しのぎやすくなった(ただしわずかひと時だけだったが相次ぐ台風で記録的な猛暑がすぐに戻ってきた)なんとなく夏の終わりが近づいた雰囲気が。
急行色のキハ47が入れ替えをしていた。
上越新幹線「とき330号」黄金色に色づいた水田を見ながら・・・
MAXとき332号?いまも16両が活躍するE4系。しかしそれも長くはない。
月潟の保存電車モハ11 角兵衛獅子の銅像とからめて
夏の花さるすべりとモハ11
さるすべりの赤と白
月潟駅に大きな看板ができた
締め切られて中に入ることができないが入り口のガラス越しに・・・
1999年4月4日に廃止となり東関屋から月潟駅に来る際に取り付けられたヘッドマーク




 このような光景も昭和の頃を思い起こさせる。まだ貨物列車が多数運転していた時代は日常的だったのかもしれない。
新潟市の青山から月潟まで走ってきたバス 現在電車の代替としての機能をわずかに残す。月潟の図書館の前がバスの終点である。
バスはわずかな客を降ろすとすぐに回送となって潟東の車庫に帰っていった。








2018年8月16日木曜日

MAXとき308号

2018年8月13日 長岡車両センターを上越新幹線から キハ48「縁結び」色他2両。
原色のEF81が・・・最近田端から転入した97号らしい
魚野川と越後三山  浦佐駅付近
水田の緑が鮮やか 上越線を入れて
越後湯沢 E2系が待機
上毛高原発車。道路橋が幾重にも重なる。右奥になだらかに裾が広がる風景が。
しばらく進むと赤城山が望める。
高崎ではホームではないところにいったん停車。停車時の揺れが客車列車のようだった。
高崎で東京寄りにE4系8連を連結する。こちらはたにがわ308号で停車駅は高崎を出ると大宮、上野、終点東京。
高崎では16両になるためかそれほど混雑もなかった。

この列車異例づくしで先頭車が9号車、駅のホームがない場所に停車などなど。初めての珍体験。(上越新幹線もかなり乗っているのだが発見することも多い)





2018年5月13日日曜日

新潟駅暫定高架駅開業を見学

2018年5月12日 新潟駅 5番乗場を発車するE653系の羽越線特急「いなほ」。115系は乗車してきた電車。話題の在来線特急と新幹線の接続ホーム。





新幹線乗場の案内板と自動改札機。奥には新幹線駅のキオスク。E4系が停車していた。
新幹線ホームには仕切りがある。
5番乗場・・・エスカレーターは上り下りあり。駅弁販売が行われていた。左手はE653の「いなほ」右手は上越新幹線のE2系。5番乗場は短く7両分くらいの長さしかない。

5番乗場から新幹線乗場を・E4系MAXの16両が待機。そこへ東京からのE2系「とき」313号が到着し添乗員を先頭に多数の観光客が下りて行った。
コンコース内にはコンビニエンスストアのnewdays(にゅーでぃず)がある。在来線は5番ホームのキオスクのみ。立ち食いそばは高架部分にはない。
左手の2番乗場はエスカレーターが未設置となっている。今後1番乗場ができたときには設置されると考える。また地平の8番と9番の乗り場も使われている。(今回こっちは見学していない)
新たに発車メロディが導入されたがE129系のワンマン列車はE129系に装備されている乗車促進メロディとなっている。
長岡からの快速3481M 115系N34編成。 120%くらいの乗車だった。115系はATS-Pが装備されたN33~38とN40の7編成のみが存在。それ以外の115系はすべて引退した。
吉田からの115系6連が到着。前のN37編成は午後の新井快速に入る。新潟駅到着後いったん白山方留置線に引き上げ。
高架暫定開業の新潟駅は乗るのが大変そうである。かつての1番乗場正面の改札から入ると 延々と通路を歩いて乗り場まで行かなければならないので相当時間がかかるようだ。特にラッシュ時間帯は。便利になったのは新幹線と羽越線特急乗り継ぎだけかもしれない。


新潟駅12時7分発長岡行きに乗車して帰ることにした。高架区間から地上区間へ降りるところも見てみたいので。

確かに眺めはよく構造ビルの多数ある新潟市中央区ではロングシートに腰を下ろすと都会の電車に乗っている気分を味わえる。白山方の越後線もそうだが。もちろん数秒間の話である。

今回の切符は新潟近郊区間の特例を利用したので駅の外に出ることができなかったがまた駅の様子を見てみたいと思う。すでに高架駅開業のブームも去っていて静かに見学できた。
なお残る115系は人気が高く撮影者の姿も目立った。

高架区間を降りて上沼垂信号所そして新潟車両センターを通過。ほとんどE129系とE653系のみだが115系は一番奥にN33編成が。越後石山寄りに懐かしの70系新潟色のN40編成が待機していた。

列車はガラガラのまま走っていったが途中の加茂で高校生が多数乗車してきて一瞬にぎやかになった。
自動改札にやや遠回りした切符が無事に吸い込まれたことを確認。近郊区間もうまく使うと安く楽しめる。






2018年1月21日日曜日

むさしの号~205系大宮~八王子

2018年1月20日 MAXとき302号 E4系 8連+8連 
乗車は4号車を。いずれ消える二階建て新幹線の旅。
燕三条~大宮間の利用。 今回は昨年の暮れに亡くなった親戚への弔問が目的。
なので前半は慎んだ行動を。(したがって列車の撮影はあまりありません)
親戚もリハビリに励んでいたのであるがなぜか急逝してしまった。
葬儀は1月4日だったが首都圏のメンバーだけで済ませるというので落ち着いたら弔問をする約束をしていた。なお、老母も一緒なのでハードな撮影行はできない。
列車内ではビールとおつまみ(亀田製菓の柿の種)。故人もお酒は好きだったので大目に見てくれるであろう!
新幹線からの風景は浦佐で八海山が霧の中から浮かび上がる光景が見事だったが暗いので撮影はできず。あとはどんより天気の関東平野を走るだけ。
浅間山も富士山も見えなかった。
MAXとき302号内で買い求めたビールとおつまみ!座席は4号車のリクライニング席である。ごくごく普通の新幹線の旅を・・・・飲んでも違反切符は切られないし!
下りのガーラ湯沢に向かう「たにがわ」は自由席は立ちが出ていた。スキーに行く方々だろうか?
大宮は8時22分。ここで老母はトイレタイムそして故人の祭壇に備えるお花を調達。
朝の8時から大宮駅では花屋さんがやっているのをスマホで調べたのでこのお店で仏花を調達。移動は八王子まで205系の「むさしの号」
それまでの間E233系やE231系の電車と貨物EF210牽引の石油列車を眺める。
大宮8時53分発八王子行き「むさしの号」 大宮から東北貨物西浦和から武蔵野線そして国立で中央本線経由で八王子は9時45分着。
親戚宅ではお骨となった故人と対面。静かに手を合わせた。
暮れに亡くなったため火葬場が開いていなくて年を越しての葬儀。さらに葬儀所を見つけるのも一苦労だったとか。
しばしの間故人をしのんでティータイム。思い出話に花を咲かせる。
昼食後個人宅を辞し帰宅となるがせっかくなので都内で精進おとしを!
老母も一緒なので派手撮り鉄はできないので東京駅界隈を散策することに。


ご存知東京駅。八王子で東京経由の乗車券と新幹線特急券を。帰りも自由席で乗る新幹線を特に決めていなかった。なので行けそうで行きにくい皇居を見学することに。

皇居はかなり広いエリアを歩くことに。アップダウンがあり日ごろの運動不足を感じた。
実は二重橋を見たかったのだが全然方向違いのところに行ってしまったようでいったん出て生き直すことに。(大手門からはいけないようだ)なお入場時に警察官の手荷物の検査があった。
客層はほとんどが海外の方々で中国の人が多かった。
一度は見たかった二重橋を撮影できてよかったが老母はあきれていた!(若いころここに来たことがあるようだ!)
東京とくれば銀座、新宿、原宿、渋谷、品川、浅草などがあるがもちろん皇居も重要な観光スポットである!午後から天気も回復して陽光の中散策できた。
帰路はとき333号でE2系10両。自由席であるがそれほどの混雑はなかった。
JR東日本ご自慢の新幹線が一堂に。奥にはJR東海の東海道新幹線も。1964年の開業である老舗の東海道新幹線はいまだに東京駅から乗車したことがありません!
暮れなずむ東京を後に帰路に。夕食は東京駅で買った弁当とお茶。
乗り込みは上野と大宮でそこそこあったが満席にはならなかった。
高崎からは下車が目立った。乗車中の感覚は新幹線というより在来線特急の末端区間の様だった。弁当殻は上毛高原で捨てたが捨て場所を間違えたので通りがかった車販の女性に助けてもらった。
越後湯沢の手前で車販が戻ってきたのでコーヒーを。列車内のコーヒーはおいしい。
聞いたところによると東京~新潟間一日2往復との頃だった。40台前後のベテラン商売人風の女性であった。
車販も在来線からは次々撤退新潟県では「いなほ」に残るのみ。新幹線も列車によっては全くない場合もある。このあたりの普通にみられた光景もいつの間にか貴重になってしまっていく。
上越新幹線も200系12両の時代にはビュッフェがありそこでコーヒーを飲んだり軽食を食べることもできた。2001年の暮れに廃止されたが・・・・
新幹線の車販もいつまであるかという保証もない。なぜなら関東の高崎や大宮、上野、東京の各駅のエキナカも見事何でもありそこで購入して乗るのが当たり前になっているためだ。
小雨舞う燕三条には18時35分着。弔問のミッションも無事終わった。