2025年1月6日月曜日

雪の花~磐越西線 キハ110系乗車

2025年1月4日 磐越西線 阿賀野川の様子 GV-E402‐14 
御前橋梁付近 水墨画的な風景
 

キハ111‐202 のユニット 

キハ110系も今は岐路に立たされている。新タイプの気動車が開発されそれらに置き換わって車齢30年を超えたキハ110系は引退するものが出てくる。

登場当初は人気薄であったが、普通列車、急行列車、特急列車の各バージョンを持つ希少な形式と言えよう。座席もGV-E400より狭いが座席の座り心地はこちらが柔らかめで尻が痛くなることもない。暖房のきいた車内でぼんやり雪の花の咲いた阿賀野川の沿線風景を楽しんだ。朝の始発列車の状況がまるで夜行列車のようで新津で乗り換えて磐越西線はさらに乗車の少ないまさにローカル線の風情を味わうことができた。雪のない時期は「ばんえつ物語」というスターがいてそちらに人気が偏りがちであるが、騒がれないうちに本来の主役であった110系を味わうのも悪くはない。この車両あちこち国鉄風味を残している。


2025年1月5日日曜日

妙高高原115系横須賀線色臨時列車雑感

2025年1月3日 しなの鉄道北しなの線 115系S9編成

昨年横須賀線色が復活。新春の初もうで列車に妙高高原~長野間に2往復運転。

山間部は大雪が予想されたが妙高高原は薄日が差して穏やか。寒いだけであって雪は豪雪地故たくさんあったが。 撮影者は30~40名列車で現れ思い思い行っていたというところであった。

115系の横須賀線色は別名「山スカ」(本家の横須賀線に対し山岳路線の中央本線の列車のため)と言って、最盛期にはサロ165を組み入れた急行「かいじ」なども運転されていた。1985年3月のダイヤ改正までは篠ノ井線で長野まで入線していたが、系統見直しで松本までに変更され中央東線(おもに高尾~塩尻)のローカル輸送に使われていた。

信越本線の妙高高原界隈は北陸新幹線開業前の数日間運用変更で直江津乗り入れを行っていたようだ。

この横須賀色は115系ではなく70系旧型電車 が長野~直江津間の主力だった時代の塗装だったようだ。そんなイメージで眺めている。えちごトキめき鉄道はねうまラインのET127系V8編成も横須賀色のラッピングで半室荷物車のイメージとなっている。

いったんは途絶えた横須賀線色 これも115系の終わりをイメージしての復活と言われているが末永く走ってほしいと思う。

2025年1月3日金曜日

EF641001 〔高〕 茶色時代末期

2008年8月20日 新津 レール輸送
2010年10月8日 高崎車両センター

茶色塗装としては末期の頃。以降原色に戻された。この塗装は1052が引き継いだがすでに存在していない。

EF641001も昨年運用を終えて解体待ちのようである。


追記 2025年4月10日 長野車両センターに解体のため送致された。45年間の活躍に終止符が打たれた。

 

2025年1月2日木曜日

高崎車両センターDD51

2010年10月8日 DD51842 高崎車両センター

 DE10 1705と並ぶ。

DD51895他

公道からこのように見ることができた。

本年の秋をもってこれら国鉄型機関車の使用停止が案内され、引退に伴う運転がされた。

JR東日本からDD51の車籍がすべてなくなるようである。

この画像はそんな話題が出る前にこの界隈に出かけたときに眺めたものである。

2025年1月1日水曜日

信越本線大正14年時刻表

上り方面
下り方面

上越線が区間開通で塩沢~宮内間の時代。直江津~新潟間8往復運転。急行は上野~新潟間長野経由の101レ上野20時30分~新潟8時35分着、上り新潟18時発上野7時着 二等寝台車連結。普通急行料金が必要である。急行列車は他に上野~金沢間運転があった。この列車も二等寝台車連結となっている。 長距離普通列車は神戸~青森間列車がありこの列車も二等寝台車連結である。また磐越西線にも上野~新潟間夜行列車があり二等寝台車連結となっている。急行料金は266.6哩で2円(二等)1円(三等)となっている。二等寝台車とは現在のA寝台車相当で上段3円、下段4円50銭となっている。この時代まだ三等寝台車はなかった。

上野~新潟間急行の長野から新潟までの停車駅は田口(現妙高高原)、高田、直江津、柏崎、長岡、三条、新津、新潟である。一ノ木戸(現東三条)はまだ弥彦線が乗り入れていないため市街地に近い三条駅が急行停車駅であった。ここから燕方面の乗り合い自動車などで移動がされたものと思われる。新潟自動車商会の定期乗合自動車便で燕まで80銭、所要時間20分(距離は2里)三条駅の列車と接続をしていた。


2024年12月31日火曜日

愛するひとよそばにいて~消えゆくものへの鎮魂歌 1984年の記憶から EF58146

1980年5月3日 EF58146 〔宮〕 東海道貨物線

1982年8月15日 山陽本線

1984年3月31日 東海道・山陽本線の荷物列車牽引に長らく活躍してきたEF58がEF62に役割を譲って運用が終わった。多くの人々に愛されたEF58が主戦場から退くことは大きな意義を持っていた。2月にダイヤ改正がされ貨物列車の大幅削減、ここには信越本線の高崎~坂城間の列車も含まれていた。余剰EF62を東海道・山陽線に転属させ、暖房方式も蒸気暖房から電気暖房に変更された。1983年の暮れにEF58が東海道・山陽線の定期運用から撤退することは多くに知れ渡り、多数の見送りの人々が沿線に集うことになった。

ダイヤ改正後は各地配置のEF58は下関運転所に集中配置となりEF62の運用開始までの間最後の任務に就くことになった。

厳しい豪雪の1984年の冬EF58は精一杯蒸気を噴き上げて残りの使命を励んでいた。荷物列車の定期運用でEF58の最終となったのは3月29日荷2031レで大阪駅でEF6232に交換されEF58牽引の定期列車が終わった。この列車の牽引機はEF8146であった。この日は晴れのすがすがしい日であったという。(EF58は雨の日も雪の日も果敢に走っていたのであるが)

ずっとそばにいてほしいと願っていた人々に見送られEF58は舞台から去っていった。後任のEF62も2年後1986年10月ダイヤ改正で荷物列車とともに引退した。

沖田祐作 機関車表から履歴

 EF58146 東芝府中工場=302501-1 1957-11-10 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1957-11-10製造→納入;国鉄;EF58146→1957-11-20竣工→
配属[達51];関西支社→1957-11-21配置;宮原→1965-03-16借入;広島→
1965-04-05返却→1984-02-01下関→1984-11-05廃車;下関

この機関車はエアフィルターが原型で窓もHゴム化されておらず比較的原型に近い形状だった。

原型の窓の東海道EF58は寒冷地仕様の上越型EF58とは別物と言えるくらいの違いを感じた。この機関車が意識して東海道EF58を見た最初の1両だった。

表題の「愛するひとよそばにいて」・・・とは当時ヒットしていた女性2名のアイドルユニットの曲の中からいただいてみた。EF58が終焉を迎えようとしているこのころヒットした曲でEF58の鎮魂を思い浮かばせた。この曲を聴くと当時の光景が思い浮かぶ。むろん単なる感傷にすぎず、曲とEF58の引退とは全く無関係であるが。

もう40年前の出来事である。

 

2024年12月30日月曜日

大正14年時刻表~越後鉄道


 復刻時刻表から 大正14年(1925)越後鉄道時刻表

白山~柏崎間と弥彦~燕間時刻が掲載。前年の11月1日現在。大正14年4月1日に弥彦線が燕~一ノ木戸間が開通する。この時刻表ではまだ記載されていない。昭和2年(1927)一ノ木戸~越後長沢間が7月開通し10月には鉄道省に買収。越後線と弥彦線となる。

この時刻表では白山~西吉田間が7往復。西吉田~大河津間7往復、大河津~柏崎間6往復で柏崎~比角間に1往復の運転。2等と3等運賃の記載がある。

弥彦~燕間は9往復の運転でほかに区間運転がある。弥彦線はすでに3等車だけとなっていた。


車両は越後鉄道からの引継ぎ車両で運用されていった。弥彦線は1760型蒸気機関車と木造客車で昭和11年(1936)機械式気動車が導入される。

客車は買収当初は越後鉄道からのものが中心でのちに鉄道院基本型も使われているのか?

新潟支社三十年史の鉄道局の開局の頃のリストを見るとナロハ 11500、ナロハフ11800、ナロハフ11850が計8両、さらに22000系のナロ20700が13両、ナロフ21200が3両、ナロフ21250が5両、全室2等のナロ20700が13両、ナロ20850が1両配置され、新潟局は長野、山形、秋田の各地域も管轄のためどこにどの程度配置があったかは分かりつらいが越後線などだと半室車両で足りると考えられる、おそらくは鉄道院基本型の2等室がロングシートのものが入っていたのかもしれない。

昭和15年の時点では越後線も弥彦線も3等だけになっている。