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2025年10月10日金曜日

踏切り工事の資材


 2025年10月5日  信越本線 通過列車はEH200-901 2088レ

踏切り工事の資材が行きつけの撮影場所に。昨年8月に工事が開始され、架線柱の移動がされた後は動きがなかったが、古い踏切がはがされ、拡張工事が始まった。

資材も搬入されて工事開始を待っていた。

*この踏切りが出来上がると、国道289号と国道403号との結節がスムーズになり利便性が向上するが、のんびり列車ウォッチやウォーキング難しくなるであろう・・・ 

2025年5月25日日曜日

電化廃止後の磐越西線喜多方~会津若松間の今

2025年5月24日 喜多方駅 架線が撤去された。トラスビームだけが残る
塩川~喜多方間(会津豊川) 架線設備は架線柱のみ。
架線柱は残ったが送電の部分は撤去されない。架線柱にケーブルが設置の区間があった。
塩川駅近くの踏切から喜多方側を見る。
塩川駅を望む。架線撤去されたトラスビーム
塩川駅にて。喜多方行き普通列車
喜多方方向を見る。 キハ110系2連
塩川~会津若松間(堂島) C57180 8226レ ばんえつ物語

2024年に磐越西線喜多方~会津若松間の電化が廃止されて架線と設備一式が撤去され非電化された。会津若松駅の分岐付近から喜多方までのすべての区間で架線撤去が完了した。

最近では奥羽本線新庄~院内間でも災害復旧の際電化を廃止している。今後はこのようなことも珍しくないと考えられる。

Web上で検索をしても要領を得なかったので実際に出かけてみて確認を行った。


 

2024年9月28日土曜日

役目を終えた架線柱

2024年9月23日 役目を終えた架線柱やビーム類が置かれていた。

架線柱はコンクリート製であるが1960年代後半製造の細いもの。

ハンガーというパーツ 吊架線とトロリー線を結ぶ金具
一番奥にビーム、手前は送電に使う腕木?
廃用の架線柱 昭和37年(1962年)の木柱が この年に信越本線新潟~長岡間電化

今までどこにあったのか?


 踏切り拡張を阻んでいた架線設備。左は国鉄時代のもの。右手の架線柱のコンパクトな設備に交代する。

また一つ国鉄の面影が消えるが架線設備は人知れず消えるので話題になることも少ない。

2024年9月22日日曜日

架線柱移動工事

2024年9月14日  架線柱移動工事に使われるであろうトロッコ一式 最大積載量が記載され1トンいかのようだった。


手前の太い架線柱がこれから架線の設置がされるもので後ろの細いものが役割を終え撤去されるものである。 太い架線柱も使用されるようになったのは50年ほど前。1972年の羽越本線や白新線での電化ではこの太いものが導入。幹線での電化工事の主流となった。一方列車本数の少ない路線は細い架線柱であり1984年電化の越後線や弥彦線はこれらが主流であった。ただ細い架線柱もその後太いものに更新している箇所が多数見受けられるようになった。2004年の中越地震、2007年の中越沖地震では越後線で架線柱が倒れる被害が多数あったこと、そもそもの老朽化などで太いものに交換されている場所が多数ある。

架線を支える可動ブラケットという器具。
可動ブラケットを取り付ける金具。架線柱に取り付けられて可動ブラケットを設置する。
碍子 絶縁のために使う。可動ブラケットは長管碍子(奥の大きいもの)真ん中の碍子は懸垂碍子で架線を吊るために用いる。


 架線柱 配電のための線とき電線 これらは懸垂碍子で支えられる。

吊架線とトロリー線は可動ブラケットで支えられる。可動ブラケットと架線柱の間を長管碍子で絶縁する。

架線柱に番号が割り振られ 、形式が記載されている。 番号は駅間を示しているようだ。

可動ブラケットも昭和の頃は角ばった単純な組付けだったが現在は丸み雨を帯びた組付けがされるようになっている。

これら架線工事は夜間に行われることが多く日中見かけることは少ない。架線柱の移動が終ると踏切り工事となるが完成はしばらく先のようだ。通勤や買い物の際に迂回しなければならないので早く完成してほしいと願っているが。

 

2023年3月30日木曜日

十日町駅構内1982年


 1982年6月 飯山線十日町 側道から構内を見る。

キハ55とキハ40の2連 キハ58などの編成、ワム7000などの貨車があちこち。十日町の構内は日本国内のローカル線の拠点駅を凝縮したような印象だった。腕木信号機が色灯式信号機に変わったが他は1979年に訪れた時と変わらず。このころまだほくほく線はなく(というよりも未成線として造られないであろうと思った)ひろびろとした構内は北海道のローカル線の駅の様だった。

列車の発着は少ないが次々車両の入れ替えが行われ見ていて飽きなかった。 

キハ55は初期車が廃車になり代わってキハ58の非冷房車に置き換わった。またキハ20やキハ25もキハ40に置き換わりつつあった。

2022年7月22日金曜日

磐越西線喜多方

2022年7月17日 磐越西線喜多方 キハ110系「喜多方レトロ満喫号」を遠望。

電化区間の終端駅である喜多方駅。かつては上野からの455系急行「ばんだい」の終着駅であった。新津から乗って非電化区間を走りづづけ、山都から喜多方に入り、電化区間から455系と遭遇した時遠くに来たことを遭遇した小学生の頃を思い出した。もちろん455系などという形式は後に知ったことである。当時は新潟周辺の普通電車70系との区別もつかないことであった。

郡山からの電化はこの駅で途切れる。山都方向に少し走ると電化設備は消えて本当のローカル線の風情になる。国鉄の頃も喜多方から新津方面と郡山方面では輸送量が大きく変わったと思う。

電化区間と非電化区間の継ぎ目駅は悲哀を感じさせる。都市部からやってきた人は頭上の架線が無くなるのを見ていよいよ山間の辺境の地に向かう覚悟をしなければならない駅であった。

大糸線南小谷や福塩線府中も同じような風情を感じる。

喜多方と会津若松の区間は電化設備を廃止して撤去する構想があるがいまのところ具体化していない。週末に719系電車「フルーティア 」の運転が1往復行われるからである。

2021年5月5日水曜日

C57180と新津鉄道資料館~鉄道模型で往年をしのぶ


2021年5月5日祝日 8226レ ばんえつ物語

跨線橋下のいつもの場所で待機。遠方から起こしになられた方が一人おられただけだったが発車直後には大勢のお子様連れが。女性たちはさっそく井戸端会議!

「まだ発車しないね」

「あと1分くらいみたい」

「そういえばきのう汽笛が鳴らなかったんだけど」

女性各位はおしゃべりに余念がない。

「ほら動いたよ」

「あまり煙が出てないね」

雑談に興じる方々をしり目に列車は走り去る。手を振る方々。

煙が流れてくるのを嫌がっていた坊やもご満悦だったようだ。

撮影後図書館へ行ったが資料整理の日でおやすみ。なので鉄道資料館へ。

企画展示はHO鉄道模型の運転とかつて展示されていた資料の公開だった。

181系特急「とき」をバックに電化設備の説明を記した資料。

発電所から実際に使うまでの電気の流れを記した資料。ボンネットの電車は特急「いなほ」


 すぐ脇の鉄道友の会の展示はビデオは115系と485系。雪原を走る場面が中心で秀逸な場面が多かった。他は現美新幹線の資料や会員のコレクション。写真展示はえちごトキめき鉄道ひすいライン。こちらも秀逸な写真が多数で6月末から走る413系急行色撮影の参考にはなる。

HO模型運転 ガラスでの仕切りが付き運転担当のスタッフは仕切りの向こうで観覧者は手前の椅子で見学をする。

キハ58急行型とキハ10一般型 1970年代には当たり前に見られたローカル列車の光景。当時小学生だった筆者には不思議な光景だった。急行と普通列車の車両が一緒に使われていることについては・・・(越後線や弥彦線の一部列車ではよく見かけた編成)

165系急行 国鉄末期の急行「とがくし」「南越後」のイメージだろうか?普通列車の主力115系はまだ冷房が無く、冷房完備の165系がうらやましかった。

他にEF64のスハフ32、オハ35、ナハ10などの普通列車と郵便車と荷物車。

C57の普通列車、683系スノーラビット「はくたか」キハ261系、285系「サンライズ」などの人気列車も登場した。

常設展示のHO模型は115系のみ。春の秋葉山のイメージ。

国鉄時代の車両も急激に減りいよいよ国鉄時代はHO鉄道模型で思い起こさなければならない時代になったようだ。ただしHO鉄道模型かなり高額らしい・・・


 






2021年5月3日月曜日

散る国鉄残る国鉄~鉄道電話の廃止

2021年3月19日 新津駅付近 電話のボックスに使用廃止のシールが。業務連絡用として使われてきたであろう電話が役目を終えた姿。


 

EF510-18牽引の3093レ 信越本線の直江津起点98キロポスト付近


 国有鉄道の境界杭 国鉄が潰えて35年以上経過したがこれらの標識は誰にも注目させず静かに立ち尽くしているだけだ。

2018年5月5日土曜日

太い架線柱とE129系ワンマン列車~越後線

2018年5月5日 越後線出雲崎駅付近 E129系2連のワンマン列車
架線柱が太くなり越後線らしさが感じられないが架線は直接吊架方式である。
中越地震や中越沖地震で従来のH型鋼の細い架線柱が被災した場所は太い架線柱となった。
H型鋼の架線柱と直接吊架の架線が越後線の特徴なのだが電化から30年以上経過し地震の被災のほか老朽化でこのような太い架線柱に変わった場所がある。

2017年9月4日月曜日

飯山線十日町 腕木式信号機

1979年2月 新潟日報社の「写真集新潟の鉄道百年」に出ていた腕木式信号機が残る十日町駅まで遠征してきた。キハ58系6連の「十日町雪祭り」号での往復。十日町雪まつりのための専用快速列車で新潟~十日町間の運転。土曜は新潟→十日町が午後、十日町→新潟夜で日曜は新潟→十日町が午前、十日町→新潟が夕方という運用だった。キハ58系と記載したがキハ55やキハ17などが入ったこともあるようだ。 

さて十日町の機関庫があるあたりでターンテーブルに給水塔も見える。C56がいたころの風景が残っていた。腕木式信号機はその後廃止されて1982年には通常の信号機となっていた。
2017年6月24日 現在の十日町駅  ほくほく線が開業し高架線路のため見通しはよくない。
しかし、十日町終着列車のための車庫は健在である。

十日町雪まつりの列車はほくほく線が開業するまでは気動車で運転されていたようだ。
ほくほく線開業後は電車化されて最初は165系ムーンライト編成で近年はE653系7連が使われている。


2017年8月9日水曜日

JR東日本 千手発電所遠景

2017年6月24日  十日町市にあるJR東日本千手発電所  近年不正な取水など芳しくない話題で知られたが首都圏の電車を走らせるための電力をここで発電する。下流の小千谷発電所と同様に重要な発電所である。

いまはもうないがかつては十日町駅から発電所まで専用線が伸びていた。1979年の時点でも雪の下から線路が見えたときは感動した。 腕木式信号機、専用線、未だ作り掛けの北越北線(現ほくほく線 )の線路など話題には事欠かなかった。

2017年8月2日水曜日

GG信号機~ほくほくせん十日町

2017年6月24日 北越急行ほくほく線十日町駅  右側から1番目の信号機が高速列車対応のGG信号機である。 130㎞/hを超えて走る列車が通過する場合緑の灯が2つ点灯する。
2015年3月のダイヤ改正までは在来特急「はくたか」が通過する際使われていたが現在は130㎞/hを超えて走る列車はないので使用されていない。いずれ姿を消すものと思われる。

1979年の2月に十日町に来たときはまだ腕木式信号機が飯山線にあり大いに喜んだ記憶がある。
あれから35年以上が過ぎて大きく変貌したが高速対応の信号機がありそれも消えゆく運命にあることにはかなさを感じる。 十日町の腕木式信号機も1980年頃にはなくなっていたと思われる。