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2024年12月28日土曜日

木造客車の黄金時代

2013年1月2日 鉄道博物館 オハ31型車内

昭和に入って木造客車から鋼製客車に進化した。ただオハ31型の車内はまだ木造車と同じレベルであった。板張り背もたれと二重屋根の車内。

昭和11年の新潟局開設時の鋼体客車はオハ32000型 これはオハ31型、スハフ32800型がスハフ32二重屋根、スハフ34400が通常の屋根のスハフ32だった。以降はオハ35系などもラインナップに加わっていくがまだ優等列車用で普通列車には回ってこないようだった。

昭和初期の地方の普通列車はホハ12000型やナハ22000型など木造客車が中心だった。これは戦後の早い段階でも存在していた。木造客車は1950年代に鋼体化改造の種車となって旧激に姿を消していく。
 

2023年4月2日日曜日

1等格下げ車キハ26609~長崎本線

1981年1月1日 長崎本線 鳥栖 351D 

鳥栖15時34分発長崎20時17分着 

かつて準急型1等車キロ25の格下げ車キハ26400番代を通勤仕様としたもの。旧型国電クハ47のように全ロングシートであった。車体は朱色5号1色。長崎機関区配置。

履歴はキロ2540として1960年4月18日帝国車輛で落成し北海道の苗場機関区に配置。車内は回転式クロスシートで電車のサロ110など同様だった。

普通車に格下げされキハ26440に なるがその時点での配置は美濃太田機関区。1968年7月23日のこと。改造は名古屋工場。1976年6月30日小倉工場で通勤仕様の改造がされ、筑肥線の運用のため東唐津配置その後長崎機関区に転属し1983年10月30日廃車となっている。

この車両を見かけたときには朱色1色で優等車両の面影は窓の配列だけ車内ロングシートとあれた雰囲気が漂い近づく気にもならずにさっさとその場を立ち去った記憶がある。

当時の配置表によると長崎機関区には606~613と615、616と10両も配置があった。この改造はキハ26400番代だけ行われそれ以外はされなかった。また九州のみで行われたのみ。

優等車両格下げ車の通勤仕様変更は珍しいことではなく客車では旧1等車のオールロングシート改造のオハ41型が多数存在していた。

2022年1月9日日曜日

近郊型電車の内部

2022年1月2日 弥彦線227M 115系N40編成 

1978年には近代的に見えた115系1000番代の車内。それまでの115系0番代よりあか抜けて座席もゆったりしたように感じた。あれから40年以上が経過して115系も消滅間近になってきている。 もし、115系がすべて廃止になるとこの車内構造は当地では見ることができなくなる。今走っている115系は保存されることなく解体されることになっているからである。

今できることはできるだけ親しんでおくことである。乗車して走行音を楽しみ、国鉄時代に思いをはせることただそれだけである。

2021年4月20日火曜日

糸魚川のトワイライトエクスプレス モックアップ

2021年3月20日 糸魚川ジオステーション トワイライトエクスプレスモックアップ

今はないトワイライトエクスプレスの食堂車と展望室を再現したものである。

ここは土足厳禁で、キハ52を眺めた後こちらを見学しようとうっかりそのまま上がろうとしたら先輩に注意されてしまった・・・

再現された食堂車スシ24のイメージ。上品な配列の食堂車内。ディナーも高級なものだった。

展望室のイメージ


 こちら側の方がイメージ的にしっくりくるかもしれない。日没を過ぎて越後平野を北上するトワイライトエクスプレスの姿は宝石箱を思わせた。

モックアップは通路側はガラスが入っていない。通路から室内を見ることもできる。

 このトワイライトエクスプレスの車体は木製で糸魚川市内の職人さんの木工技術の粋を集めた作である。


 トワイライトエクスプレスの乗務員の制服も展示。JR西日本より寄贈。

バスローブ、タオル、コーヒーカップなどアメニティ。


 

トワイライトエクスプレス大分という字幕が掲示。札幌運用終了後一時西日本を「特別なトワイライトエクスプレス」で走っていたことを思い出した。


キハ52の内部から・・・モックアップは台車が無いのでキハ52から見下ろす感じになる。





2019年5月30日木曜日

オロネ24 プルマン式A寝台

2008年8月15日 新大阪停車中の青森発大阪行き4002レ 「日本海」のオロネ24型の寝台部分。中央通路に寝台が左右にあるプルマン式。一般利用者の立場で言えば取り立ててこれといった設備のない古代の遺物的なA寝台車だった。広々とした空間が売りで(下段に関しては)良き時代の寝台列車を味わうことができたと考えられる。

2019年5月6日月曜日

令和元年・・・・・昭和の車両を見に行く

2019年5月4日 単なる週末休みの大型連休・・・疲れた体に鞭打って・・・
久しぶりの磐越西線。会津若松から新潟に向かう221D  磐越西線の会津若松~新津の区間の列車では最も長い編成。キハ110とキハE120の5連で保安装置の関係でキハ110系が先頭に立つ。朝もやが漂う磐越西線五十島駅付近・・・
阿賀町津川のきりん橋のたもとの八重桜とキハ110系 かつて舟運で栄えた津川。江戸時代は若松まで揚川船道、新潟まで津川船道が置かれ物資の輸送経路で役所も置かれて舟運の要衝だった。津川の街も物資集散で賑わいを見せていた。
鉄道開通後は次第にそちらへ移り舟運はなくなったが磐越西線の重要度は増した。

いまは磐越自動車道が物流の重責を担っている。国道49号も整備が進んだがそれ程混雑はしない。列車の手前にある道が国道49号の旧道で昭和の頃は渋滞に悩まされた難所だった。
キハ47の2連は223D わずか2連 実質地方交通線の磐越西線では妥当といえよう。
旧日中線の熱塩駅を利用した「日中線記念館」桜は終わったが天気も良く賑わっていた。
現役時代よりきれいな旧駅舎。




熱塩駅の改札口 改札ラッチは木製で昭和の国鉄時代の駅を思い出す。
ホーム側から切符売り場と小荷物受付所そして待合室側を・・・だるまストーブがある。

日中線があったころは半分廃墟だったものが整備され見違えている。
この日家族連れや見学者(女性多数)があり駐車場が一時満車になった。
ホーム跡・・・

八重桜と駅名標 

駅構内跡地は公園になっている。

待合室 カフェのような雰囲気。 コーヒーを頂いて作品を眺めた。
キ100型ロキ287 除雪の羽を開いた状態。本数の少ないローカル線であっても除雪は行われた。
参考文献 沖田祐作著機関車表から車歴を引用
 キ287 飯野重工業舞鶴造船所= 1954-00-00 J 31.1t2-2(1067)
車歴;1954-00-00製造→納入;国鉄;キ287→1981-03-31現在;信濃大町→
1982-03-31現在;信濃大町→1984-02-00現在;会津若松→廃車→
保存;福島県旧熱塩駅「日中線記念館」




車体標記・・・キ100型は月潟のものと同じである。
いかつい表情・・・ヘッドライトにも庇があり厳しい冬と闘ってきた。
ロキ287の後ろにはオハフ612752が 木造客車を鋼体化改造したもの。
車歴概略は1955年11月にナハフ14012を長野工場で改造、当初は秋田で最終配置は仙台だった。車体には仙フクとあるが・・・廃車は1984年6月 (鉄道ピクトリアル702号 P54)
車体には仙フクが・・・

車内は板張りで座席間隔も狭いローカル用 国鉄時代には長距離普通列車が多数あり主力として使われていた。決して快適ではなかったがいまとなっては懐かしい。




デッキ付近・・・オハ61系客車は磐越西線でよく見かけた。4両のうちたいてい1両は入っていてそれ以外は35系(オハ35やオハフ33)だった。
オハ612752は晩年は仙台配置なので東北本線が活躍の舞台だったと思う。

参考
郡山(仙コリ)磐越西線
オハ35 2021、2357、2488、2680、2912
スハ43 2163
スハフ322131、2219、2357、2366
オハフ332017、2023、3025、2051、2052、2054、2060、2063、2239
スハフ422099
会津若松(仙ワカ)磐越西線・日中線
オハ35 2041、2161、2179、2507、2905、2910
オハフ612527、2528、2542、2619、2706、2751、3035、2249
仙台(仙セン)東北本線・常磐線
オハフ61 2713、2714、2715、2734、2752、2753
(オハフ61の配置のみを記載)
福島(仙フク)東北本線・奥羽本線
オハフ61 2390、2616、2735、3053、3054、3055、3065、3066、3076
参考文献国鉄客車編成表1983(昭和58年)4月1日現在
ジェーアール・アール編

オハフ612752 車掌室側 

日中線 熱塩駅転車台跡 C11型蒸気がここで方向転換した

なんとなくコロシアムの小型版に見えたが・・・
記念館駐車場の桜の花から倉庫に使われている国鉄型貨車ワム70000を。
改札口からも入れて撮影ができる。
日中線もこれら貨車も国鉄改革の断行で行き場を失った・・・・

現役時代はボロボロの廃墟手前の熱塩の駅舎も整備されて季節の花で彩られているがここまでの道のりも決して平たんではなかったと思う。
感謝の気持ちで眺めていた・・・・








2015年8月30日日曜日

E129系内部とEF81723貨物など

8月29日 東三条を通過するEF81723〔富山〕牽引の3093レ 右手線路は弥彦線。

EF81723と弥彦線のE129系 弥彦線もE127系とE129系の双方がワンマン運用を務める。
なお、ダイヤ改正で115系Y編成はすべて廃車となって長野車両センターに送られた。
E129系 弥彦線に新車導入は1980年のキハ47以来。キハ30系の運用が主体の弥彦線でも朝の2往復はキハ47が運用されていた。
 新車の匂い漂う車内。セミクロス構造。
 クロスシート部分。115系1000番台より座席間隔はある。 スムーズな乗降のためだとか。
 ロングシート部分。 座り心地はE233系のような感じ。
 座席と車窓のマンションを入れて・・・・
新潟方面列車と長岡方面列車の接続を受けて列車は走り出す。12時8分発弥彦行き。
E653系「しらゆき」3号 上越妙高で北陸新幹線「はくたか」を接続して長岡、新潟を連絡する単距離特急。この時間乗車率は「まずまず」だった。ただ北陸新幹線と在来線の乗り継ぎは年配の方には辛いものがある。新潟日報に投書あり。
奥羽本線全線開通110周年。運んできたのは人だけではない。思い出や夢を乗せて110年。

素敵なポスターが。485系特急「つばさ」はリバイバル運転の485系T18編成。先ごろ先頭のクハ481-1508が新潟市秋葉区の新津鉄道資料館に静態保存された。
D51の姿も味わいがある・・・・

奥羽本線も山形新幹線や秋田新幹線の開業により分断されたが地域輸送に活路を見出している。信越本線も私鉄の「北越鉄道」の区間がJR線として残存して地域輸送主体と変化した。
幹線時代も遠い記憶になってゆく・・・・

午後はNHKの先ごろ世界遺産登録の長崎県の「軍艦島」の特集そして50年前のアニメ?「サンダーバード・・・海上ステーションの危機」そしてブラタモリの「軽井沢」を楽しんだ。


2015年2月15日日曜日

クロハ481-1007

2012年1月2日 クロハ481-1007 13番席 1057M 偶然指定が取れたらこんな席に。
デッキのすぐ脇座席は狭く落ち着かない場所であった。

2015年2月11日水曜日

475系車内




2012年1月2日 北陸本線金沢にて  475系車内のようす。 

2014年2月15日土曜日

キハ65車内

1984年8月17日  予讃線普通列車内  キハ65車内。
急行型気動車キハ65は1969年から冷房用に作られた。新潟~大阪間「越後」がなじみ深い。(1978年ダイヤ改正で「雷鳥」に格上げされ廃止)
車内はキハ58系より座席ピッチが広くゆったりしていたが洗面所はなかった。同じころ作られた12系客車も同じ構造である。キハ65は1980年代は西日本でしか見かけなくなっていた。500馬力の強力型でエンジン音も強烈であった。

2014年2月6日木曜日

キハ52 127〔新ニツ〕車内

2006年3月11日 新津駅にて 新津発新発田行き普通列車。キハ47とペア。米坂線への送り込み編成。新発田から坂町は回送列車として運転をしていた。
新津駅にてツートンカラーの国鉄色気動車を見たので思わずのぞいてみた。
車内は長野時代にキハ47ばりの改造を受けてかつてのおもかげはなかった。
新津運輸区には2009年12月まで運用がありその後2011年まで新津運輸区に留め置かれて、いまはフィリピン国鉄でマニラ近郊で運用がある。塗装は国鉄色であるが投石による破壊防止のネットが窓に取り付けられて物々しい姿である。車内は改造はされていないようだ。

2014年2月5日水曜日

キハ110-223、224内部

 2009年9月29日撮影 キハ110-224内部。かつて特急「秋田リレー」として運用された。車内はリクライニング付き座席であった。また車体は専用色で内部はデッキもあった。いまは一般仕様でありグローブ付室内灯に面影を残す。このキハ110-223と224は秋田リレー運用終了後すぐに新津に転属してきているが実際は一般型に戻ってきてから新津に入ったのでは?飯山線のキハ110も大半は秋田リレー組(キハ110300番台)で一部は秋田リレースタイルで走った後一般仕様になっている。
一般仕様は写真の座席配置とワンマン化を意味する。
キハ110-201内部。蛍光灯がそのまま見える。基本的なスタイルである。




秋田〔1997年当時の南秋田運転所〕から新津運輸区への転入は3月30日で301と302転入でのちに
301が1997年11月17日に223に。302は1997年12月3日に郡山工場にて改造をされている。
この年新潟県内では300番台=秋田リレー色では見かけていない.
改造を受けてから転入しているためである。